月明かりや街の明るさが夜空で観察できる星の数をめっきり少なくさせているが、下記の写真のように約20分間に約80枚の写真を撮影し、比較明合成のソフト(オイラは、SiriusuComp64を使用)を使うと数えきれない星の軌跡が浮かび上がる。
一番太くて明るいのが太陽光の光を反射する衛星=木星だが、そのほかはすべてと言っていいくらい太陽と同じ自らが燃えている恒星だというのだから驚きである。
彼らの明るさや線の太さは、星の大きさや遠さに関係しているのだが、翌々軌跡の色を観察すると、白い色、青白い色、黄色、赤い色、オレンジ色など様々な色調であることが分かる。
この星の色は、星の重さと年齢に関係しているとか。青白いのは若い星、赤いのはお年寄りの星、わが太陽は見ればわかる(眩しくて見れないが)とおり黄色かオレンジ、まだまだお年寄りとは言えぬバリバリのミドルエイジというところか。
今の季節は、午後8時ごろに晴れてくれると南の空に赤い色のベテルギウスを仲間としたオリオン座と青白いシリウスを仲間としたおおいぬ座が現れてくれるが、なかなかいい条件となってくれない。
余りに寒いので、約20分ほどのインターバル撮影のため撮影スタートと終了時のみベランダに出るアンチョコ撮影姿勢だが、比較明合成ソフトやカメラの高機能のお世話になってベテルギウスの赤とシリウスのシロをゲットしたい。
1月5日19時 木星を中心とした星の周回【20分】 横切る斜め線は人工衛星か
日本百名山 MY SONG 65 両神山(りょうかみさん・1723米)
【深田久弥・日本百名山から】
「私がいつも気をつけて見る山に両神山がある。それは秩父の前山の後ろに岩乗な岩の砦のさまで立っている。大よその山は、三角形であったり屋根形であったりしても、左右に稜線を引いて山の体裁を作っているものだが、両神山は異風である。私それはギザギザした頂稜の一線を引いているが、左右はブッ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している。古くから名山として尊崇されているのも、この山の威圧的な山容からである。」
両神の巌の砦の切っ先で二匹の狼(いぬ)は遠吠えてをり
【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】
深田さんの「わが愛する山々」所収の【御座山・おぐらさん】は、いつもの山友「不二さん」と「茂知くん」らとの両神山から御座山まで4泊5日の愉快な山行を描いたもので、オイラの愛する紀行文である。
だから、両神山と御座山にはぜひとも行ってみたいと思っていた。両神山は2000年6月、職場の中央研修で埼玉県朝霞市に滞在中の休日に、深田さんたちと同じ日向大谷登山口から日帰り往復している。神さびた信仰の参道らしい登山道とお社からすぐ先の山頂の狭い岩肌の記憶が割と鮮明によみがえる。
2018年の2月末、オイラは石垣島から飛んで、埼玉県の小鹿野町というところに「セツブンソウ」の撮影に行った。両神温泉というところに一泊し、翌日「セツブンソウ群生地」や「フクジュソウ群生地」を歩いた。咲きだしたばかりのセツブンソウは、早春の淡雪に半ば埋もれていたが、日当たりのいい草地にフクジュソウが元気に咲いていた。それらの場所から間近に仰いだ両神山の要塞のような峩々とした姿に目を見張った。「こんなに形のいい山だったのか」と。前に登った時には、梅雨空で雲に隠れていたのかもしれない。はじめて見たような山容だった。
ヤマケイ文庫「わが愛する山々」の表紙を飾るこれも堂々とした御座山は未踏で宿題の山だ。深田さんの愛したご近所の荒船山とセットで計画してみよう。
両神のきのうの雪を指でのくセツブンソウはまだ眠りをり
*2018年2月の秩父でのセツブンソウ撮影データを消失してしまい、当時のブログに道の駅看板を写したセツブンソウと両神山を載せていた。
今年の寒さと大雪がなければ、このような姿にあいまみえたのでした。(道の駅の看板から)
両神山のふもとの桃源郷に咲く花々。アカヤシオツツジでしょうか。(道の駅の看板から)