かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

大寒や炬燵の電気いまだオフ

2023-01-23 19:55:49 | 日記

大寒に入り、超一級の寒波が水曜日にもやってくるというが、当地では最低-6℃、最高-1℃の予報。雪国ではないため、雪かきの心配もなく、ただただ寒いだけだが、昔は当たり前だった1月の寒気は、しかし、温暖化に慣らされた高齢者にはつらい。窓を開けただけですぐさま閉めて、部屋に閉じこもりたくなる。

閉じこもりの友として、片時も離れないのが「オコタ」だが、今季はいまだ電気コードをつないでいない。昨年通販で買った毛布がとても暖かいので、毛布をこたつ布団の間に挟んでいればもうポカポカであった。いままでは。

それと節電意識の理由は、ニュースの脅迫。電気代が急騰していて北海道の二人暮らしの高齢家庭の電気代が、オール電化ではあるが昨シーズンの倍程度に跳ね上がって、10万円近いとか「エーッ!」と驚いてしまう。

日常的に節電に努めてはいるが、わが家の昨シーズンは「オコタ」の電源を「弱」にしていても、冬の最高値が二人暮らしで16,000円程度であり、夏場より7,8千跳ね上がった。倍と言われたら3万円にもなる。これではやっていけないため、これまで毛布のおかげもあって「オコタ」を電化製品として扱ってこなかった。

さて、明日からの寒波、耐えて行けるか。やせ我慢はよすか。

隣の電力会社だが、東電が電気料金30%アップを申請したとか。当地の電力会社も右にならえだろう。

何もかも値上がりの季節。防衛費は倍増するも年金は2%しか上げてくれないのだという。

「年寄りに明日はない」。

 


日本百名山 MY SONGS  89 伊吹山(いぶきやま・1377米)

 

【深田久弥・日本百名山から】

「私は山の混雑が嫌いだから、四月中旬の一日を選んだ。晴天に恵まれて、誰もいない山腹を一人登っていくと、草枯れの間にもタンポポや草ボケや紫ケマンの色どりが美しかった。しかし私は薬草採りではないから、草花の詮索よりも、登るに従い展けてくる眺望に心を奪われた。」

「頂上での第一の獲物は、遠く北に茜色ににじんだ純白の白山で、こんな角度からこんな美しい白山を眺めたのは初めてであった。ショウジョウバカマが雪どけの間にもう花を開いている。そのうららかな山頂で過ごした一時間は、まさにこの世の極楽であった。」

 伊吹山 雪どけ月に立ちたれば 雪どけの花 茜の白山

 

   

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深田日本百名山登頂の思い出・再掲

伊吹山には、2007年10月6日、深田百名山98座目の山として登った。今の時刻表を検索したら、おそらくJR鉄道記念日キップを利用して前日豊橋あたりまで行って、安いビジネスホテルを宿にとり、翌日の始発の新快速で大垣まで行って乗り継ぎをし、登山口となる東海道線「近江長岡駅」で朝8時前に降りたのだろう。

駅から三之宮神社伊吹山登山口までは、歩いても1時間の距離だから歩いたかもしれないが、今時刻表を検索すると30分も待てばバスが出るので、バスだったかもしれない。

コースはスキー場から登っていて、展望はいいが、草っ原を行く樹木のない山という印象のコースだった。昔から薬草が育てられていたということで、伐採されたのかもしれない。深田さんの百名山には、暑熱をさけるため昔は夜登って頂上で日の出を拝んだとある。夜に登っても、ほとんど危険を感じないようなジグザグ道が、ただただ上へ伸びているようなコースだったか。花の季節だったら、もっと癒されたかもしれない。

眺めはよく琵琶湖や伊賀の山並み、白山などの好展望地の山だったが、登り着いてシラケたことは、山頂の茶店かレストハウスかどこからか歌謡曲が音高く流れていたこと。それと「伊吹山ドライブウェイ」が頂上直下まで走っていて、観光客めいた軽装登山者で賑わいつくしていたこと。深田さんが、最も嫌う山頂の光景だったろう。もちろんオイラも。

この「伊吹山ドライブウェイ」を調べたら、昭和36年に着工して、昭和40年に竣工したとある。

昭和36年といえば、深田さんが人込みを避けて4月のまだ山頂に雪のある時に一人で登り、静かな山頂で1時間も展望を楽しんだとされる年。深田さんが、この道路のことを知っていたか知らなかったか。百名山には何も記載がないので、まだ耳に入っていなかったかもしれない。4年後にこのことを知って大いに嘆いたのだろう。

オイラは、走る様に元来た道を下り、翌日の荒島岳に登り行くために、その日のうちに近江長岡から米原、長浜、敦賀を経由し福井まで行ったのだろう。せわしない山旅ではあった。

 

 伊吹山 茶店の流す流行歌 伊賀の山見て 走り下りつ

 

     

 

 

 

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