かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

山小屋のいびき

2023-01-26 19:00:27 | 日記

昨夜は久々に酒をぬいた。雪が降っていて、歩いてすぐだがいつも酒類を買い求めに行くコンビニに行くのもはばかられたこともあったが、年末年始の酒量増加とそれにともなう内臓の不具合に不安を感じてもいことで、「少しの間アルコール控えようか」という前向きな変化もあったからかもしれない。。

で、いつものことだが、酒を抜くと眠れない。酒を飲んだ時のように眠くならない。いつまでも頭が冴え冴えとしている。それでも寝ようとして蒲団に横になって、YouTube朗読なども聞いてみたが眠れず、結局朝まで枕もとで本を読んでいた。

だが、読んだ本がいけなかったのかもしれない。山岳写真家田淵行男さんの山岳エッセイ「黄色いテント」だ。田淵さんは、写真家でもあるが、博物学を収めた博物学者でもあり、蝶や植物など対象に対する執拗な観察眼と洞察力、そのための行動力にはあきれ返るほどだ。「山頂の石」、「アルビノ遍歴」、「ゴゼンタチバナ」などをよむと、あまりの「凝り性」にあきれるほどだし、「霧の大キレット」では、大キレットの底で霧に濡れて弱っていたタカネヒカゲを保護し、なんとキャラメル箱に収納して、翌日仲間の多い蝶ヶ岳山上で放してやった話題が語られていて、とてもかなわないヒトだと笑ってしまった。

おもに彼の撮影の舞台である北アルプスで体験した石のこと、鳥のこと、蝶のこと、動物のこと、植物のこと、山道のこと、山小屋のことなど様々な話題を提供してくれる「黄色いテント」は、冒頭から引き込まれ、ますます眼が冴えて、つい夜のふけるのを忘れて読みすすめてしまった。

未明だったろうか、話が当時の(昭和40年以前か)の山小屋やテント場事情などを描いた「山の残酷物語」というあたりに来て思わず笑いが込み上げてきた。

とくに「いびきノイローゼ」というお題のエッセイには思わず声をあげて笑ってしまった。田淵さんの実体験だが、昭和の中頃は、今以上の登山ブームで山小屋は相当込み合ったみたいで、夏の双六小屋での話だが、同部屋の男性の高いいびきで一晩中眠られなかったというもの。よくある話ではあるが、やはり田淵さんは科学者だけあって、やや神経質なところがあって、いちど気になったら、いびきの強弱や調子に聞き耳を立ててしまい、ますます寝付かれなくなったとのこと。オイラが声をあげて笑ったのは、田淵さんが何とか寝ようとポケットのチリ紙を耳に詰めて耳栓にしたが違和感があり徹夜を覚悟した時のこと。

「その時、ふと私は、先ほど布団に入る時、掛布団一ヶ所の鍵裂きから綿がのぞいていたのを思い出し、紙に替えて入念に栓を作った。」というくだり。

結局布団綿は違和感こそなかったが、効果が少なく徹夜をしてしまったとのことで、ご愁傷様ですといいたい。どうやらこの部屋の住人は優しくて悶々として眠られなかった人は多かったみたいで、「犯人」に抗議するでもなく、フラフラと翌日の山行に出かけたみたいだ。日本の登山者はやさしいな。

結局、山小屋で大いびきをかくヒトは、横になるとすぐに寝付く楽天家か大酒飲みの種族で、オイラもこれまで山小屋で泊まっても、他人のいびきをあまり気にせず寝ていた「大酒のみの種族」にあたり、何人かに迷惑をかけたのかもしれない。それでも、一度、同部屋の後輩に「歯ぎしり」を注意されたことがあったくらいでイビキの非難はなかった。

この田淵さんの「いびきノイローゼ」では、二度あることは三度あるようで、秋の穂高小屋では夜になっても登山者が到着し、部屋の詰め替え調整するほどに登山者でギューギュー詰めとなり、あろうことか、後から隣の寝床に到着し横になった学生が高いびきをはじめ、近くでは歯ぎしりを立てる者までいて、田淵さんまた眠れなかったらしい。ご愁傷様。

あれから60年以上も経ったのだろうか、現在の山小屋は予約必要の定員制となり、昭和ほどすし詰め状態は起きないとしても、ほとんど相部屋で、あまり事情に変化はないだろう。寝つきの悪い人は大変だ。

一泊13,000円も支払って、イビキで眠れないなんて「令和版・山の残酷物語」だ。山小屋宿泊派諸子は、良質の耳栓にアイマスクなどの持参は必要だろう。オイラが山小屋の場合は、疲労+ワンカップ3杯もあればバタンキューなのだが、眠れないときには、星撮りにカメラと三脚をもって外に出ようか。


日本百名山 MY SONGS      92 大山(だいせん・1729米)

【深田久弥・日本百名山から】

「伯耆の国にありながら出雲冨士という名もあるのは、この山が整った富士山型に見えるのは、出雲から望んだ場合に限るからであろう。私は大山を、松江の城から、出雲大社から、三瓶山の頂から、望んだ。いつも一目でわかる。秀でた円錐形で立っている。しかし何々富士ならどこにでもある。大山がそれ以上に私を感動させたのは、その頂上の見事な崩壊ぶりであった。東西に長い頂稜は、剃刀の刃のように鋭くなって南面・北面へなだれ落ちている。まるで両面から大山を切り崩しにかかっているふうに見える。その北壁が夕日に染められた時の美しさは、古陶の肌を見るかのようであった。」

くづれては きえていくのか はうきふじ いはをのいのち もえわたりをり

 

        大山lf

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

2004年か5年の秋だったか、広島での会合があった機会に米子までバスで行って大山に登った。ロングトライアスロンの聖地、皆生温泉に前泊し、翌日、米子から登山口の大山寺までバスで登った。今地図で見ると登頂が許されている弥山(みせん・1709米)までの夏山登山道は、ほんの2時間少しの登りだったのか。確かブナが繁っていた急登を少し登り、ダイセンキャラボクの茂みを抜けると、ウッドデッキのような木道が現れて、そこはもう山頂だった。ガスっていたのか、山頂からの展望の記憶はない。

下りは行者谷コースを歩いたんだと思う。振り返ると、ガスの晴れ間から崩壊が進むという北壁が現れだした。しばし、足を止めて大山の膨大なマッスと荒々しさに息をのんだことを鮮明に覚えている。

熊本地震のあった2016年4月、オイラは島根の奥出雲で開催されたウルトラマラソンに参加するために、大阪から松江行の高速バスに乗ったが、米子近くの車窓から雪を頂いた大山の姿をしげしげと眺めた。あの北面の荒涼とした姿が想像できないほどの秀麗な冨士の姿だった。

     

          

           行者谷方向からの大山lf   

 

崩れゆく 大山(だいせん)にみな立ちたるを 人新世(ひとしんせい・アントロポセン)の幸(さち) と思ふ

 

    

 

 

 

 

 

 

 


 

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