かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

若菜の季節がやって来た

2023-01-07 11:08:41 | 日記

新年七日、市販のパックに閉じ込められた草たちではあるが、パックから取り出すと春が目の前に現れた心地がした。若菜の季節到来である。もう郊外の陽だまりには「繁縷・ハコベラ」が伸びだしていることだろう。採取の季節にはもうひと月ばかり待たねばならないので、スーパーの野菜売り場で、芹(セリ)、菘(すずな・カブ)、清白(すずしろ・ダイコン)を買ってきて粥や菜飯にしていただきながら、あたたかな季節を待とう。

セオリー通り、〇.五合のお米に六〇〇ccの水を入れ、土鍋で三〇分ほど炊いて粥にし、パックの七草たちを塩で湯がき刻んでから二つまみの塩とともに粥に入れた。今朝は、正月で余った餅を1個粥に入れたが、余計だった。腹がくちくなり、「ああ、また糖質をとりすぎた」とぼやいた。

      七日粥根っこも愛し土の味

 

    

 

 

   

 


日本百名山 MY SONG   66 雲取山(くもとりやま・2017米)

 

【深田久弥・日本百名山】

「三多摩が東京都に編入されて以来、この大首都はその一隅に二千メートルの高峰を持つ名誉を獲得した。あえて名誉という。煤煙とコンクリートの壁とネオンサインのみがいたずらにふえて行く東京都に、原生林に覆われた雲取山のあることは誇っていいのだろう。忘れてならないことは、東京都民の生活の根源をなす水道は、この山の東面の大森林を水源地としていることである。」

 

雲取の雲を集めて沢水の水を集めて首都を生かせり

 

 

 

    

               雲取山山頂より富士山 (L.F)

 

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

メモを見ると、東京都の最高峰雲取山に登ったのは昭和50年(1975年)5月とある。大学2年在学時か。オイラは、前年の10月の八ヶ岳山行以来、カモシカ製エスパースの一人用テントを持参した単独行を登山スタイルとすることを決めていたので、雲取山もテントを担いで登り、雲取山荘前にテントを張った。鴫沢から七ツ石山を経由した一般ルートだったはずだ。

雲取山のテント場でいつまでも忘れられないことは、夜中にテントの周りをウロウロするヤツ、おそらく足音からしてキツネかタヌキだったろうが、動物の気配がしきりとしていた。おっかなくてテントの外を見ることもできず、寝袋の中で息をひそめていた。テントの外に食料でも置いていたらまっさきに狙われたのだろうが、幸いそんなことはなかった。オイラってなんて臆病なんだ。でも、動物を恐れて眠られなかったことはそれが最初で最後だ。オジサンとなってからは、夜中に再三おしっこのためテントを出るので、動物のほうから人の気配を察知して逃げたのだと思う。なお、最近聞いた話だが、テントの外に靴を置いておくと、キツネがくわえて持っていくテント場があるそうで、靴やサンダルもビニール袋に入れてテントの中に置いておく方がよさそうだ。

雲取山から奥秩父縦走する予定だったのか、初めから途中で下る予定だったのか、今となっては思い出せないが、縦走路の途中の雁坂峠から秩父方面に下りている。時間的には雲取山から雁坂峠までの間、笠取小屋あたりでもう一泊したのだろう。雁坂峠からの下山路は二本あるが、つり橋を渡った記憶があるので、今の黒岩尾根を下ってやがて荒川となっていく滝川を渡った可能性がある。ちなみにこのコースのつり橋は今は破損して渡れなくなっているようだ。ちなみに、オイラはこの下山路で初めて「道迷い」を経験したが、原則通り元の道を戻って正しいコースを発見し事なきを得た。下山後は、秩父の川又の河原にもう一泊テント泊をした記憶がある。気持ちの良い砂地の河原だった。

雲取山からの縦走では、ちょうど5月の新緑の時期であり、しばし足を止めては、新緑の美しさを満喫した。雲取山から金峰山までの奥秩父完全縦走は、5泊6日か6泊7日を要するが、来年からチャレンジしたい南アルプステント泊のトレーニングを兼ねて、来年5月末あたりにチャレンジしてみようか。きっと、稜線は47年前と同じように新緑で燃えているのだろう。

 

エスパーステント担いで泊まりたる雲取の夜は魑魅魍魎と

 

コメント