かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

写真文集「安曇野」を開き、春の安曇野の旅を決意する

2023-01-21 15:10:01 | 日記

図書館にある写真家田淵行男さんのありったけの蔵書のうち4冊を選んで借りてくる。

そのうち、まず昭和51年に朝日新聞社から刊行されている「安曇野 田淵行男写真文集」をひらく。

戦前から戦後すぐかけて録り始めたの写真なのだろう、カラー写真は現代から見たら色あせたような彩度であり、モノクロームも、後輩の山岳写真家たちの作品のように「ビリビリとしたピント」による写実性をもたらすものではないが、一枚一枚が写真家のこころに満ち溢れている。住んでいた安曇野の風景と生き物たち、また、そこから遠望する常念や後立山の山々への愛情が満ち溢れている、そんな写真集だ。古さを感じるが、どうしようもなくなつかしい。洒落ではないが古さは古里。

冒頭のエッセイで、田淵さんは以下のように語っている。

「・・清らかで美しい安曇野の自然も、その後いくばくもなく世をあげての開発の渦中に投ぜられ、蝶も野草も、桑も落葉松も、あるいは消滅し、あるいは彩度を失ってしまった。本書に収録したほとんどの風景も今では姿を変えた。期せずしてこの小著が、豊かな桑と落葉松の古里、野草と蝶の王国の衰亡の記録、回想の形見とおなり、心ならずもその頃の安曇野の山野に捧げる挽歌となったことが、私にはこの上もなくかなしい。」

開発により失われた安曇野の挽歌の書だったのだが、安曇野や「アルプスの三面鏡」と記した仁科三湖(木崎湖、中綱湖、青木湖)周辺の小高い丘からのアルプスの展望だけは、いまも変わっていないのだろう。

GWに前後した時期を選んで、出かけてみよう安曇野に。

幸い、この書で田淵さんは、掲載した写真の撮影ポイントを地図で示してくれている。このガイドを頼りに田淵さんが撮影した場所を訪ね、遠望した残雪の山々を眺めてみよう。

 

  

田淵さんは鹿島槍や爺ヶ岳を撮影したポイントの正確な記録を地図に残していたようだ。

仁科三湖の小熊山や権現山の山頂に立ってみようか。

 

 

 

 


日本百名山 MY SONGS  88 荒島岳(あらしまだけ・1523米)

【深田久弥・日本百名山から】

「数年前の五月、私は勝山の姉を訪ねた折、荒島へ上る機会を逃さなかった。勝山から大野(略)へ向かう間から眺めた荒島岳は、文句なしの立派な山である。「美しいですね」と私は、自家用車に乗せてくれた親戚のTさんに声をかけると、「良うゴエス」という返事。なつかしい越前弁である。」

「良うゴエス」 親戚の声越前弁 荒島岳を二人で仰ぐ

 

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

2007年という年は、百名山の登り残しの「追い込み」で集中的に出かけていたが、おもに青春18きっぷ・深夜バス・レンタカーの組み合わせをアシに使っていた。

小石の記録では、荒島岳登山は2007年10月7日。登山口としたのは、JR越美北線勝原(かどはら)駅だった。福井県は当時住んでいた仙台からは遠すぎるし、わざわざ荒島岳一座に登るだけに出かけるはずはないと、小石を探したら伊吹山が2007年10月6日と分かった。

「そうか、伊吹山を登ってから、線路を繋いで比較的近い?福井県の荒島岳に行ったのか、でも18キップの時期でもないのにアシはどうしたんだっけ」

と考えてみたら、

「あ、そうか、JRがこの頃、3日間在来線乗り放題の鉄道記念日記念切符を販売していたな!。」

とギモンが解決した。でも、各駅ばかりで3日間で帰ってくることは厳しい、どうして帰ったのかは不明だが、おそらく金沢か新潟に出て深夜バスでもどったのだろう。

伊吹山と荒島岳の小石にはそれぞれ「98」「99」とも記されていた。荒島岳は、百名山全山踏破に「王手」をかけた記念すべき山だった。

山頂の石仏群と黄金色に輝く越前の田園風景と山並みを眺めながら、晴れ晴れとした気持ちで荒島岳山頂にしばらくの間座っていたことを思い出した。

 

百名山九十九の山アラシマと教えてくれた小石をにぎる

 

 

    

 

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