チタンのクッカーでご飯を炊くと、熱伝導効率の悪さからか鍋が焦げやすいのは経験積み。
「こうしたクッカーでご飯を炊くとき、クッカーのなかにもう一つの容器を入れ、入れ子状態にし、クッカーの水蒸気でご飯を炊くと焦げ付くことはない。」
というYouTuberさんの情報提供を受けたので、手元にあったダイソーの折り畳み取っ手つきステンレス製シェラカップを使って0.5合を炊いてみたら、直火で炊いたご飯と遜色のない出来上がりのご飯ができた。
1.5合のメスティンに1合炊きのメスティンを入れ子にして、入子にもフタをして炊いてみたらこれもおいしいご飯ができた。(入れ子の底にスノコなどを敷い親鍋との接触を避ける必要)
焦げ付かないのなら、山での食器洗いも楽だろう。
オイラは、コロナ禍における家庭での炊飯実験で、焦げ付かないご飯の炊き方を習得はしているが、チタン製品はちょっと自信がないので、水蒸気炊飯を覚えておいて損はないだろう。またシェラをチタンに変えれば更なる軽量化を期待できる。
このところ、山でも炊いたご飯を食べたくなってきている。アルファ化米も進化はしたが、やはりおいしく炊いたご飯にはかなわない。
チタン製品と水蒸気炊飯。軽量化と食の充実が共存できればいい。さらに研究を重ねよう。
おいしく炊いたは白米をセリのナムルでいただく。セリごはんの「味変」だが、ごはんお代わりをしたくなる逸品となる。
エバニューチタンクッカー600にダイソー折り畳みシェラカップがぴったり収まる。シェラカップに0.5合のお米、100mlの水を入れ30分給水。クッカーに200ml程度の水を入れた後、シェラカップを入れ、クッカーのフタをして、固形燃料やアルコールストーブで20分前後燃焼させる。10分ほど蒸らせば出来上がり。
適当に切った芹を食品ビニール袋に入れ、醤油、ごま油、一味、酢、レモン汁、を適当にふりかけ、袋の外からモミモミし、10分ほど放置。出来上がりに、白ごまを投入。
日本百名山 MY SONG 70 大菩薩岳(嶺)(だいぼさつだけ(れい)・2057米)
【深田久弥・日本百名山から】
「峠から大菩薩岳(嶺)にかけて甲州側は広々とした明るいカヤトで、そこに寝ころんで富士や南アルプスを眺めているのは、まったくいい気持である。」
「ある秋のさ中に、私は数十年ぶりで大菩薩岳を訪ねた。(中略)あくる日曜、あさ表へ出ておどろいた。蜿蜿たるハイカーの行列が登ってくるではないか。(中略)底抜けに晴れ上がった秋天の下に、健康的な青春謳歌の風景が展開されていた。もう私の頭から文学的・歴史的回顧など跡形もなく消えて、たださわやかな生命の息吹きを感じるばかりであった。」
(大菩薩嶺)
ねころんで 富士とアルプス眺めてる カヤトの原の 老いも若きも
【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】
メモをみると、今は大菩薩嶺という呼称が一般的な大菩薩山に登ったのは昭和51年(1976年)4月とある。中央線の塩山駅はなんども通過しているが、この山に登るのは、当時塩山駅からが当たり前だったので、この駅で降りて、バスで大菩薩峠登山口に向かったのだろう。この駅を通過するたびに「ダイボサツ」という名が浮かんでくる。
さて、どのコースを歩いたのか、記憶が定かでないが、樹林に囲まれて展望のない山頂の標識と展望の効いた気持ちのいい草地を下りた大菩薩峠の雰囲気だけは、おぼろげながら映像として浮かんでくる。おそらく丸川峠から時計回りに回って大菩薩嶺一帯の春を楽しんだのだろう。
ああ、思い出したが、1990年代以前は、昭文社の「山と高原地図」を使用せず、国土地理院の5万図などの持参を常としていた。我が家の古いキャビネットにはこれらの地図が捨てられずに保管されているはずだ。こんど「断捨離」をしながら、それらの地図1枚1枚を開いてみよう。もしかしたら「大菩薩嶺」の地図もあって、歩いたルートを赤鉛筆でなぞっているのかもしれない。
百名山思い出紀行のあとのお楽しみがまた増えた。
*古い国土地理院地図を探したが「大菩薩」は見つからなかった。
エ・ン・ザ・ンの駅名(えきな)とカ・ヤ・トの稜線と風に残れり大菩薩の砂