かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ロングトレイル その先に・・・

2023-01-05 19:09:09 | 日記

日本百名山の霧ヶ峰と美ヶ原に触れて、霧ヶ峰と美ヶ原を結ぶロングトレイルコースを思い出した。

そこで、2023年の抱負をまたひとつ。日本の名だたるロングトレイルコースを歩き続けること。ロングトレイル協会のホームページにあるコースのうち、山岳展望にすぐれたコースを歩いて、昔登った山々を眺めながら歩くのもいいだろうし、比較的標高が低いから安全でもあるし、バードウォッチングも楽しめそうだ。10㎏前後と軽装化した装備で快適に歩き、足りなくなった食料の買い出しもできそうだ。温泉もあるぞ。

協会の加盟コースのうち、

① 霧ヶ峰・美ヶ原中央分水嶺トレイル

② 群馬県境稜線トレイル

③ 信越トレイル

④ 八ヶ岳山麓スーパートレイル

は、今年と来年の初夏と紅葉の季節に計画に組み込もうか。

そして、その先に・・四国八十八カ所巡礼も控えている。ボチボチもしていられない。再来年は〇〇才の大台だ。まずは、体力づくりと行きたいところだが、今日も・・・・。

 

日本のロングトレイルコース

四国巡礼


 日本百名山 MY SONG

                      63 蓼科山(たてしなやま・2531米)

                      64 八ヶ岳(赤岳)(あかだけ・2899米)

【深田久弥・日本百名山から】

(蓼科山)

「この円頂はどこから望んでも端正な形を崩さず、蓼科山が名山として讃えられたゆえんも、ここにあるのだろう。」

「森林が尽きて、大きな岩が累々と散乱しているところを攀じ登ると、頂上の一端に取りつく。頂上は一風変わっている。大きな岩がゴロゴロころがっているだけの円形の広地で、中央に石の祠がある。(現在は小屋が出来たそうである。)秋風に吹かれながら、石ばかりの頂上で私は孤独を味わった。」

 

蓼科の岩累々の円にいて秋風吹かれ孤独知りけり

 

 

(八ヶ岳)

「四十年前、私が初めて登った時は、八ヶ岳はまだ静かであった。(中略)五月中旬であったが登山者に一人も出会わなかった。もちろん山麓のバスもなかった。建って二、三年目の赤岳鉱泉に泊り、翌日中岳を経て赤岳の頂上に立った。横岳の岩尾根を伝って、広やかな草地の硫黄岳に着き、これで登山が終わったとホッとしたが、それが終わりではなかった。そのすぐあとに友の墜落死というカタストロフィーがあった。今でも海ノ口あたりから眺めると友の最後の場であった硫黄岳北面の岩場が、痛ましく私の眼を打ってくる。」

 

八ケ岳海ノ口より眺むれば硫黄の岩に落日の燃ゆ

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

 

北八ヶ岳の北端にある美しい円錐形の山に初めて登った詳しい年月は忘れたが、1970年代後半にめずらしく東京に住んでいる姉夫婦とまだ幼稚園ぐらいの幼い甥っ子と登ったと記憶している。おそらく蓼科山への最短距離ルートである白樺高原から往復したものと思うが、2019年の秋にオイラは双子池から大河原峠を経て、蓼科山荘から頂上に向かったが、上記白樺高原からの登山道とは蓼科山荘で合流するわけだが、同山荘から頂上までは岩のゴツゴツした小1時間ばかりの急登であり、クサリ場も少しあって、こんなところをよくも幼い甥っ子が登ったんだなぁ、少し驚いた。

蓼科山の山頂の記憶だけは消えていなかった。大石がゴロゴロした野球場ほど広大な山頂。2019年は、よく晴れていて360度の展望を1時間ほど楽しんだが、初登の時はどうだったか。ただ、登頂の歓声を姉家族ともどもあげたのは間違いないだろう。急登を喘いだ後、あのような広々とした山頂に立った者は、誰でも顔がほころぶだろう。

近からず、晴天の予報を聞いたら山頂小屋に泊まって、残雪のアルプスや八ヶ岳にかかる天の川を撮りたいな思っている。小屋泊まりだったら、三脚だって担いでいけるだろう。

 

  

   2019.10 双子山付近から見た蓼科山

 

(蓼科山上にて)

ひろびろとまぁるいおやまのてっぺんではるけきものをみつめていたり

  

 

関東から近い人気の高峰で、交通の便が良いにもかかわらず、7年ばかりの関東暮らしだった若かりし頃、八ヶ岳と一般に言われている南八ヶ岳の峰々は、1975年の9月ごろに行者小屋にテン泊して、赤岳とお隣の阿弥陀岳の山頂を踏んできただけ。横岳、硫黄岳、権現岳、編笠岳は歩いていない。

理由は見当たらないのだが、オイラは1975年当時、大学の同好会に属していたが、会に無許可で単独で登山しているのを、ちょうど八ヶ岳に来ていた同会の先輩たちに見つかってしまい、同会の規則とかで3ヶ月ほど会参加禁止というペナルティーを受け、それが原因で、オイラが退会したことにあるのではないか。それで、八ヶ岳を「鬼門」と考えていたのかもしれない。そのころは、単独行にあこがれていた時期でもあり、とくにつらい出来事ではなかったのだが。

40年という歳月は、そんな出来事をほんの些細なことにしてくれているので、稜線のどこかの山小屋に泊まって横岳、硫黄岳山頂にも立ってみたいと思っている。

   

       2019年蓼科山頂から望遠で撮った赤岳とお隣の横岳

 

 

   

            2019.10.9 北八双子池の夕暮れ

 

   

北八はアラカンのころ南(みんなみ)は十九のころの山靴のあと

 

 

 

 

 

 

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