かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

四国お遍路の「順打ち」と「逆うち」

2023-01-28 14:14:15 | 日記

四国お遍路道の歩き方として、1番札所から88番札所までを時計回りに周る「順打ち」と、その反対回りに周る「逆打ち」があることは知っていたが、それがどういう意味を持つのよく分からなかった。

下記のサイトなどで、教えられやっと分かったのだが、

① 弘法大師さまは、いまも「順打ち」で巡礼されていて、「逆打ち」だとお大師様に会えることからご利益がある

② 伝説では、最初にお大師様に会いご利益のあった方が「逆打ち」をした年がうるう年であったため、うるう年に「逆打ち」をすると3倍(3年分)のご利益があり、うるう年は、「逆打ち」をするとよい、とされる

③ ただし、「逆打ち」は標識が「順打ち」仕様となっているので、歩きにくく初心者には薦められない

とのことであった。

オイラは、今年中に大峰山奥駈を済ませば、来年には四国巡礼をと考えていたが、来年は、パリオリンピックのうるう年となっている。

「逆打ち」は初心者なので不安なのと、それでも「順打ち」お遍路さんが圧倒的に多いのだろうけれど、どちらを歩いてもお遍路さんにすれ違って、いちいち挨拶するのはめんどうだ、などとどうでもいいことまで憶測してしまう。

ということもあり、来年2024年はやめておこうかな。

今年と来年二回に分け、大峰を落着いてゆっくり歩き、その翌年でもいいか・・・・・。

 

うつ女子のためのお遍路から


 日本百名山 MY SONGS   94 石鎚山(いしづちさん・1982米)

 

深田久弥・日本百名山から

「一九四二年十月半ばのある晩であった。私は四国道後温泉の共同浴場に浸かりながら、浴槽の中の装飾の円塔に刻んである、山部赤人の『至伊予温泉作歌一首並短歌』を眺めていた。眺めていたというのは『皇神祖之神乃御言乃・・・』という万葉仮名だったから、難しくて読めなかったのだ。ただその中に『伊予能高嶺』という文字を見つけ、うれしくなってそこばかりみつめていた。その翌日、わたしはその伊予の高嶺に登ることを決めていたからである。伊予の高嶺とは石鎚山のことである。」

 

うれしかり 「伊予の高嶺」と刻まれし赤人の歌 湯舟に見つけ

「北側から登るのが表参道であろうが、私は南の裏側面河(おもごう)渓から登った。こちらの方が原始的な自然の姿を残している。」

 

「天は青く澄み、風もなく、この秋の好日に、ただ一人、四国の最高の地に立っているのだ。四国一円がわが眼中に収まっているような気がした。」

 

「伊予小松駅へ出るため乗ったバスが、大きなジグザグを描いて黒瀬峠の上まで登った時、ふと見ると、たそがれの空に、ぼかしたような石鎚山の姿が遠く浮かんでいた。ほんの一刻の眺めであったが、感動した。それは今日、あの頂上に立ったとは思えない、遥かな崇高な姿であった。」

 

振り返り 今日登りける石鎚を 未踏の山かと 遥けくも仰ぐ

 

深田日本百名山登頂の思い出・再掲

クルマを登山口に駐車させて山に登るのは嫌いだった。理由は二つ、同じ道を下って来なければならないこと、下山してすぐにビールが飲めないこと、である。

四国の山にマイカーで出かけたのは、日程的にバスや鉄道でいくのは厳しいと判断したのだろう。

四国最高峰の石鎚山には、南側の面河渓(おもごけい)から登ったのは、剣山との行き来がしやすかったからだろうが、メインの登山コースである登拝道を選ばなかったのは、あの度胸を試されそうなクサリ場の連続を嫌ったからかもしれない。が、今となってはどちらか判断に苦しむ。

でも、結果として、面河渓コースでよかった。深田さんも歩いたということだし、面河渓の原生林は新緑のまっさかりで、あの美しい風景はいまでも消えていないのだから。

 

     

 

石鎚の面河渓(おもごうけい)の山道を深田も選び 同行二人

 

青色のスバルジャスティ走らせて 四国登りき昭和の終わり

 

 

       

                       LF 

 

 

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