かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

田淵行男さんに学ぼう

2023-01-15 03:45:24 | 日記

昭和を代表する山岳写真家田淵行男さんの「山の季節」という文庫本を、例のとおり図書館の書架から行きあたりばったりに、おみくじでも引くかのように取り出して借りてきた。

田淵さんのプロフィールをみると、1905~1989年とあり、1903年生まれの深田久弥さんと二つ年下で、ほぼ同時代人だ。ただ、深田さんは1971年68才で亡くなっており、田淵さんのほうが長生きした。ただ、田淵さんが山岳写真家として脚光を浴びたのは、教師を辞めて安曇野に移り住んだ40代以降のようで、お二人のご活躍したのは40年というスパンで共通する。作家と写真家という違いはあるが、多くの登山愛好者に影響を与えたお二人だ。

この「山の季節」文庫版の頁ひらくと1「山麓の春」というエッセイが始まるのだが、なんと、カタクリの蜜を吸うヒメギフチョウさんの写真が飛び込んできた。ヒメギフチョウは、オイラが春の訪れともに逢いたいと願っているチョウだ。

読み進めると、「ヒメギフチョウ」という見出しがあり、そこの冒頭はこのように書かれている。

「ヒメギフチョウは春の蝶である。春の女神と呼ぶのにふさわしい美しい蝶である。この蝶が姿を見せると安曇野に本当の春が来る。梅、桃、李(すもも)、杏(あんず)、桜が一斉に咲き揃って山国に華麗な季節の幕が開く。」

田淵さんは、春が来るとともに麓から山に入り、山を下る行動を日課としたようだが、その花咲くルートでヒメギフチョウはおなじみのチョウだったみたいで、「ともかく私の季節の山には欠かせない馴染み深い季節の友達だから、この本もこの蝶の姿で幕を開けることにしたものである。」と結んでいる。

田淵さんと言えば、高山蝶の写真家でもあり、研究者でもあることを忘れていた。この小さなエッセイ集にもヒメギフチョウのほかに、タカネヒカゲ、ミヤマモンキチョウ、クモマツマキチョウ、オオイチモンジが取り上げられていて、思わずこれらのチョウたちにも会いたいなと思わせてくれる。

この「山の季節」には、チョウのほかに、よく通った後立山、常念、穂高などの山岳展望地、残雪に残る雪形、コバイケイソウなど好きな花々が語られていて、「好ましい生き物は生態をよく観察し、好ましい撮影ポイントには何度も足を運び、被写体としてのいちばん美しい姿をとらえるためのチャンスを待つ」という姿勢が作品にも現れていて、心打たれる。

そうだ、この小さな本に出合ったことが、おみくじで「大吉」を引いたようなもの。

チョウのことも、山のこともオイラはこの写真家から多くを学ぶ必要がある。早速、図書館の蔵書を検索して数点あたりをつけた。

そして、残雪の後立山を一望する安曇野の春の展望地に一刻も早く立ちたいな思うようになった。

梅、桃、李(すもも)、杏(あんず)、桜が一斉に咲き揃って、ヒメギフチョウさんが舞うその「安曇野の本当の春」という季節に合わせて、一刻もはやく出かけたいと思った。いつ頃なんだろう、三月はまだ早く四月の末頃なのだろうか・・・・調査開始。

 

 

      

          田淵行男著 新編「山の季節」(小学館文庫)を読みながら

 


日本百名山 MY SONG                       76 恵那山(えなさん・2190米)

【深田久弥・日本百名山から】

「藤村のこの大作(*夜明け前)を読んだのは随分前のことだが、その頃から恵那山は私に強い印象を残した。まだある。それはウェストンである。日本アルプスの父とも呼ばれた、山好きのこの宣教師は、私の生まれる十年以上も前に、すでに恵那山に登っている。まだ東海道線から分かれて中津川まで汽車も通じていない時代に、彼ははるばるこの山に向かった。ウェストンの名著『日本アルプス登山と探検』に収められている恵那山紀行も、かねがね私の登山欲をそそっていた。」

 

(恵那山上にて)

ウェストンの見た富士山は見えざるもふるさと白山白無垢で迎ふ

 

【深田日本百名山登頂の思い出・再掲】

恵那山頂から下山中に「あ、頂上の小石拾ってくるのを忘れた!」と悔やんだ思い出がある。よって恵那山をいつ登ったのか不明であるが、頂上の小石は、集中して百名山歩きをしている2007年に集めていたので、その年だったかもしれない。

恵那山登山に選んだルートは、あのウェストン卿も歩いた前宮ルートという一番長いルート。あのころネットで、恵那山神社を登山口とする上川(かおれ)道とも称されたクラッシックルートが整備されており、素晴らしいルートだという情報を仕入れていたので、オイラもこの道を選んだ。

岐阜県中津川の駅前から恵那山神社のあるウェストン公園前までバスに乗り、ウェストン卿の像に挨拶してから登り始める前宮コース。地図だと往復13時間は要すると記されているが、たしかオイラは8時ごろの朝一のバスに乗って、夕方5時ごろ、暗くならないうちには帰りのバスに乗ったのだから9時間以内で往復してきたことになる。あの頃は、富士登山競争にも100kマラソンにもチャレンジしていた時期でもあり、体力には自信があったのだろう。今のオイラからは想像もできないオイラが存在したことになる。

ともかくも、頂上まで1合目から20合目までの標識があり、古いモニュメントや古木を目にした神さびた静かな山道で、1日誰にも会わず、頂上の展望もきかないながら、充実した山歩きだったので、オイラの選択に誤りがなかったのだろう。

2015年9月はじめ、木曽町のウルトラマラソンを終えた翌々日、オイラは妻籠~馬籠~中津川までという中山道の宿場町を繋ぐウォーキングをしたが、東に鎮座する恵那山の堂々とした姿に、何度立ち止まったことだろう。そしてあの上川道の静かな古道を思い出してもいた。

 

ウェストンのゆめまぼろしに導かれのぼっておりた恵那川上道

(えなかおれみち

 

 

 

木曽・馬籠側から  NHKBS1「グレートトラバース3」

信州・神坂峠側から  NHKBS1「グレートトラバース3」

 

 

 

 

 

 

       

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