かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

スロー&ライト登山で行く南アルプス南部

2023-01-19 16:57:21 | 日記

ヤマケイ新年号付録の「山の便利帳2023」を開いて、南アルプスの山小屋・テント場情報を見ていたら、ついに南アルプスの山小屋も、二食付き13,000円、素泊10,000円、テント泊2,000円の時代がやって来ていることが分かる。コロナ禍を経た山小屋の経営環境悪化が主要因なのだろう。

人が少なく鄙びた静かな山小屋ならまた味わいも深かろうが、夏山だったら定員近くの登山客でごった返し、「隣のイビキの音で眠れない」、「歯ぎしりで迷惑をかけたらいけないな」、「夜中に何度もオシッコで立ち上がるのが面倒だ」、「まだコロナの感染は心配だ寝る時もマスクなのか」などと余計な気苦労をしがちであり、そんな気苦労の見返りに13,000円に支払うのは割に合わない。ましてや、南アルプスの縦走に1週間もかけたら、10万円ほど費用がかかるので、やっていけない。

したがってオイラはアルプスの縦走は断然テン泊ときめており、山小屋は悪天時の「避難小屋」と位置付けている。

問題は、テン泊に要する、テント、クッカー、食料、寝具の重量であり昨年までは、1週間分だと20kg近くになり、ガイド地図にある標準コースタイムの倍近くもかかったりもしていた。(体力の低下と太りすぎというこちら側の問題が主要因だが)

でも、この夏、オイラはどうしても、というか後期高齢に至る前早めにという発想で、南ア南部の山たちを訪れたくなったので、今のうちから準備を始めよう。

そして次の結論に至った。

第一に、ザックの重量はカメラと飲料水をいれても12kg以内とすること。

第二に、1日の行程は、標準コースタイム×1.5倍として計画すること。

である。

いわば「スロー&ライト登山」である。

そうして、行程をはかったら、なんと光岳を除いて南の百名山四座を踏むだけなのに10日を要することが分かった。

が、閑だけは十分にあり、南とじっくり相対するにはいい機会じゃないとも思っている。10日も歩けば、雨や風の日もあろう、場合によっては山小屋で1日停滞だってあり得る。予備日は、二日は取ろう。

問題は、ザックの重量だが、幸いコース途上には営業山小屋がタンとある。食料が足りなくなったらカップ麺でもアンパンでも買えばいいし、食堂もやっていよう。夏山なら何の心配もない。

「スロー&ライト登山」、晩年はこれでいこうぜ。

 

(南ア南部計画案) 原則 標準タイムの1.5倍、行動時間8時間以内、早立早着(5時~13時)とする。

第1日 畑薙第一ダム ⇒ 横窪沢小屋テン泊 

第2日 横窪沢小屋 ⇒ 茶臼小屋テン泊  /茶臼岳/仁田岳/

第3日 茶臼小屋 ⇒ 聖平小屋テン泊  /上河内岳/

第4日 聖平小屋 ⇒ 兎岳避難小屋テン泊 /聖岳/奥聖岳/

第5日 兎平避難小屋 ⇒ 百間洞山の家テン泊 /兎岳/

第6日 百間洞山の家 ⇒ 荒川小屋テン泊 /赤石岳/

第7日 荒川小屋 ⇒ 高山裏避難小屋テン泊 /前岳/中岳/悪沢岳/

第8日 高山裏避難小屋 ⇒ 三伏峠テン泊 /小河内岳/

第9日 三伏峠テン泊 /塩見岳往復/

第10日 三伏峠 ⇒ 鳥倉登山口(下山)

予備日2日間

 


日本百名山 MY SONGS     

                       82 塩見岳(しおみだけ・3047米)

                    83 悪沢岳(わるさわだけ・3146米)

                    84 赤石岳(あかいしだけ・3120米)

                    85 聖岳(ひじりだけ・3011米)

                    86 光岳(てかりだけ・2592米)

【深田久弥・日本百名山から】

(塩見岳)

「塩見岳の特徴は、漆黒の鉄の兜、あるいはズングリとした入道頭、こうおぼえておけば、遠くの山から南アルプスを眺めても、その中の塩見岳を見落とすことはないだろう。」

「塩見とはいい名前である。そしてその山も、南アルプスの他の三千メートル峰に伍しながら、どこかつつましやかなところも大へん私の気に入っている。」

降り止みて積乱雲も立ち去れば塩見はにゅうと頭ゐだしぬ

 

(悪沢岳)

「この山は国土地理院の地図には東岳(ひがしだけ)となっているので、その呼称が普及しつつあるようだが、私たち古い登山者にとっては、どうあっても悪沢岳であらねばならぬ。」

「読者にお願いしたいのは、どうかこれを東岳と呼ばず、悪沢岳という名で呼んでいただきたい。(中略)しかし荒川岳の続きと見るにはあまりにこの山は立派すぎる。南アルプスでは屈指の存在である。」

「悪沢・わるさわ」と読者よどうか呼ばれたし 

         今、地図にあり 悪沢岳(東岳)と

 

(赤石岳)

「日本アルプスという名称が流布してしまったが、わが国の言葉でいえば、北アルプスは飛騨山系、中央アルプスは木曽山系、南アルプスは赤石山系である。その山系の名の起こりの赤石岳である。南アルプスの宗家としての風格を十分そなえている。」

「私の記憶にある頂上のなかで、赤石岳のそれほど立派なものはない。それは実におおらかな風貌をそなえている。広々としているがただの緩慢ではない。キリっとした緊りがある。これほど寛容と威厳を兼ねた頂上はほかにあるまい。」

赤石へ ウエストンの小渋の沢は 遭難多発 超上級ルートたり

 

(聖岳)

「聖岳という名前には誰しも引きつけられるだろう。何か崇高で清浄な山が空想される。たしかにその名に恥じぬ立派な山である。聖は聖でも、外国のseintではなく、例えば高野聖のような意の聖である」

「神は私の宿願を嘉(よみ)したか、最上の天気を与えてくれた。稜線上のアザミ平と呼ぶ美しい草原まで登ると、そこで初めて聖岳が私たちの目の前に現れた。一本の太い残雪を刻み込んで、それは悠然とした高山の風格で立っていた。匐松で覆われた尾根を辿って、聖の根っこまで行くと、見事な大岸壁が西沢の方に落ちていた。」

宿願を聖も神に届けたか匐松に寝そべ友と語らふ

 

 

(光岳)

「山の名前に引かれることは稀ではないが、光岳もその一つであろう。光と書いてテカリと読ませるところに味がある」

「頂上は狭かった。(中略)パインアップルの罐をあけ、一株の匐松の根匐松元に腰をおろして休んだが、その匐松こそ日本最南端のものであった。人夫の言によるとこれから先の山にもう匐松はないという。(中略)『匐松の日本最南端は、つまり東洋の最南端というわけだ。』と同行のわが友の植物学者は言った。山旅から帰って、たまたまお会いした武田久吉先生に、『東洋最南端の匐松を見てきました』そう言ったら諧謔好きの武田さんは、『ほう、それじゃそれは世界最南端の匐松ですよ』と私を喜ばせて下さった。」

 

(光岳にて)

匐松の最南端のいただきでパインの罐は甘く香れり

 

 

 

深田日本百名山登頂の思い出・再掲

86座の光岳をのぞく南アルプス南部の山々に登ったのは、皆昭和50年代で、塩見岳は前期のように北部からの縦走で昭和51年(1976年)7月、悪沢岳は翌52年(1977年)7月、昭和55年(1980年)8月、聖~赤石~悪沢縦走で頂上を踏んでいる。

二度以上登って上書きされていないが、何分古いので断片的な記憶しかない。その断片。

① 悪沢岳初登頂は、当時南アルプス南部の入山口の主流であった転付峠(でんつくとうげ)越で二軒小屋に下りマンノー沢ノ頭を経由しテント泊した。デンツクゴエは名にしおう急登の道で、今は利用する登山者も激減したようで、「山と高原地図」では道の荒れていることを示す破線ルートとなっているのが隔世の感がある。

② 当時のオイラの南アルプスの登山スタイルは背負子(しょいこ)に40~50リットルザックと食料を入れた一斗缶を横付けにして歩いていた。その方が、縦走などで荷が重くなる場合は、背負い心地がいいと確信していたのだろう。ザックには一眼レフカメラを入れて、三脚も持参していた。何キロぐらい背負って歩いていたかは記憶にないが、今より格段に重かったのだろう。

③ 二度目の悪沢だったか、めずらしく千枚小屋に泊まったら「冷ややっこ」が夕食に出てきて驚いたことをいまでも鮮明に覚えている。どうやって山の上に揚げたのか聞いておくべきだった。あんなに冷えて美味しいヤッコには、その後出会っていない。

④ 殆んどのヒトがそうだろうが、当時オイラは行動中にビール一口でも飲むとガクンと力が落ちて、とても登ってはいられなかった。悪沢からの帰り、千枚岳山頂で二人の年配者に出会ったが、彼らは「飲まないと山は力が出ない」といって日本酒だったかカップでグイとやって、そのまま悪沢方面にスイスイと歩いて行った。(今のオイラだったらできそうだ。年を食うとカンゾウがマヒするのだろう。)

 

光岳は、2007年7月29日に登頂している。前々日、オイラは富士吉田市の「富士登山競争」を初完走して、ご機嫌をそのままに静岡駅前のビジネスホテルに泊まり、早朝の畑薙ダム行の長距離バスに乗ろうとしていた。ところが、事故か何かでそのバスが運休となっていたことを知り、急きょJR飯田線平岡駅に回り、最終バス停から易老渡という登山口まで4,5時間ヒグラシの蝉しぐれのやまみちを歩き、テント場に着いた時には薄暗くなっていた。翌朝3時前には出発。コースタイム15時間の行程を午後2時ころまでには下りてきたので、元気がありすぎた。

南アルプス南部、聖岳の姿を見ただけでも震えが来るくらいの神々しさを感じる。あまりにも堂々とした山容だ。テントかツェルトを担いで、もう一度懐かしい南部の山々をコースタイムの倍という計画でゆっくりと歩こう。

 

塩見終え従弟と浴びた沢の地を地図で探せど明らかならず

 

悪沢を終えて一夜を過ごしたる千枚小屋の冷奴かな

 

鉄製の背負子に括る一斗缶赤石岳の足取り重き

 

名を聞いて深田を読んであこがれて背負子で行った聖岳・夏

 

カナカナのセミの時雨とアカハラの今も響ける光岳行

 

 

 

 

   

      飛行機の窓から見えた南部の山々。中央が赤石岳かな。(2018.2)

 

 

 

 

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