かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ウサギさんよろしくね

2023-01-12 14:48:42 | 日記

新年11日、月の出も午後9時前となり、雲がそれほど流れてくれないので、午後8時を過ぎると南の空高くオリオンを仰ぐことができた。街が明るいので星座の視認には限界があるが、カメラとレンズの機能で何とかそのほかの星座も教えてくれる。

オリオンの足元にウサギ座が確認できる。今年の干支の星だ。

ウサギさんは、狩人オリオンとシリウスを輝かせる猟犬オオイヌに追いかけられ逃げまどうが、同じ速度で夜空を周回してくれるから、「永遠に捕まることはない」のだ。

ウサギさんを眺めて、今年の平和と無事を祈ろうではないか。

 

 

 

 

 

     

 

     

 

     

オリオンやウサギたちの駆けっこを20分間80枚の比較明合成。少しだけ流れ去った雲がきれいだ。

 

 


日本百名山 MY SONG                              73 天城山(あまぎさん・1406米)

 

【深田久弥・日本百名山から】

「ひとつを指して天城山と呼ぶ峰はなく、伊豆半島の中央を東西に横切ったこの山脈を眺めて、そのうちどれであろと構わず、人は天城山と呼んでいる。」

 

「天城山のいいことの一つは、見晴らしである。煙を吐く大島を始め、伊豆七島がそれぞれの個性のある形で浮かんでいる海が眺められるし、いつも真正面に富士山が大きく立っている。全く大きい。天城の写真と言えば、たいてい富士山が取り入れられている。それくらい天城にとって欠くことができない背景である。山の好きな人だったら、富士山の左に遠く南アルプスの山々が連なっているのを見落とさないだろう。」

 

海原は伊豆の七島 振り向けば富士 天城の峰に千切れ雲ゆく

 

 

 

深田日本百名山登頂の思い出・再掲

百名山踏破の意志を持ち始めた1900年代の後半以降、オイラは職場の後輩Ⅿ君と百名山を10座程度集中的に登っている。1999年1月には、前日に伊東温泉の公共施設に泊まって、翌日天城山の最高峰万三郎岳(1406m)と万二郎岳(1299m)を周回している。暖かな伊豆半島なので、1月でも雪の中を歩いたという記憶はない。山頂の展望はどうだったか、印象がないので冨士も南アルプスも太平洋に浮かぶ伊豆七島も見えずじまいに終わったのではないか。ただただ記憶にあるのは稜線にたくさん繁っていた滑らかな木肌のヒメシャラぐらいだろうか。わざわざ、伊豆まで出かけ4,5時間の山歩きで帰った所為は、ただただ百名山を「潰す」という浅はかな考えだったと思う。

天城というか伊豆半島の思い出は、2017年と2018年12月にエントリーしたトレラン大会「IZU TRAIL JOURNEYRUN」のほうが鮮明で感動的だ。

2大会とも、完走はかなわなかったが、西伊豆の松崎漁港から修善寺温泉までの約70kmのコース上、ヒメシャラやシャクナゲ、アセビといった天城山の美しい植相の中を歩けて、とくに30k地点の二本杉峠から40キロ地点の仁科峠までは美しい森で、稜線から望めた純白の富士に思わず目が熱くなった。2回とも40キロの関門時間に追われていたので、写真に収めることができなかったのが悔やまれる。

山と高原地図「伊豆」をみると伊豆半島には様々なトレッキングコースが走っていて、テント場もあちこちに点在している。暖かなので、早春でも晩秋でも雪の心配がないし、5月の新緑の季節はシャクナゲやアセビが美しく咲き誇っているのだろう。冨士や伊豆七島などの展望も得られ、あちこちに湯もわいている。老いらくの山歩きにはもってこいなのだろう。1週間、2週間、いやひと月ばかり天城で暮らすのもいいのだろう。そのときには、「伊豆の踊子」の薄い文庫本1冊だけザックに入れて行こう。

伊豆トレイルジャーニーのコース

 

 

    

        NHKBS1「グレートレース」から

 

(伊豆トレイルジャーニー第3関門を直前にして)

十二月アセビの丘に帆のような富士現れて制限時刻(とき)迫り来る

 

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植物のことば、植物のこころ

2023-01-12 12:22:26 | 日記

昨年11月NHK総合で放映されたそうだが、正月七日に再放送されたNHKスペシャル「超・進化論」第1週「植物からのメッセージ~地球を彩る驚異の世界」を視聴し、NHK+で復習している。

科学技術の進歩と世界の科学者たち研究成果により、「寡黙な生き物だと受け止められてきた植物はメッセージを発しながら、仲間や他の植物ばかりでなく昆虫や鳥たちとコミュニケーションを取り合い、また、地中では根に寄生した菌糸らと栄養の交換をしながら生きながらえ、この菌糸ネットワークを通じて森の中の種の異なる植物たちとも協力し合いながら互いに生きながらえている」ということが分かってきた。

植物のメッセージ手段は植物から発せられる揮発性物質を組み合わせるというもので、「今葉っぱが虫に食われているよ、毒物を化合せよ、テントウムシさん、シジュウカラさん助けに来てください!」、「火事で焼けちまったから、地下に眠る子等よ目を覚ませ!」、などとさまざまな生命維持、子孫繁栄のためのメッセージを発しているのだという。

ヒトとは全く言葉の概念が異なるが、植物たちには立派な「ことば」があって、それがおなじ種属ばかりでなく昆虫や鳥といった他生物にも受け取られ、理解されているというのだ。なんという大きな心を持った生物なのであろう。

また、菌糸ネットワークを駆使して、針葉樹と広葉樹が相互に栄養をやり合っていたり、森に弱って死にそうな他の植物があれば、栄養を届けてやっったりもしているのだという。

まさに、「超・進化論」!宇宙船地球号の全乗り組み員的、いちゃりばちょでぃ的博愛の志ではないか。

あのダーゥインが唱えた生存競争に行き抜いたものだけが進化するという「優勝劣敗」の思想はどこに行ったのだろう。人間様だけが進化している、西洋人だけが進化しているという「正統性」の下で、侵略や戦争、乱獲や伐採が繰り返されてこなかったか。プーチンもまだそのような古典的蒙昧に囚われていないか。

また、この番組の後半では植物が命をリレーするための起源となる「花」こそ、植物以外の生物の命を育んできたとのことが語られていた。まさに「花」こそ「神々」であったということだ。

 

植物のことをもっと学んで、ヒトの謙虚な生き方を考えていく余生としたいな。

 

 

NHK「超・進化論」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本百名山 MY SONG  71 丹沢山(たんざわさん・1673米)

 

【深田久弥・日本百名山から】

「私が百名山の一つに丹沢山(丹沢山というのは山塊中の一峰である)を取り上げたのは、ここの峰でなく、全体としての立派さからである。丹沢山塊という名称は、たぶん、高頭式の『日本山嶽志』から始まったのだろうと思うが、ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば、山の規模は大きく複雑で、容易にその全貌をつかめない。」

尾根行くも沢行くひとも分け入れよ丹沢山塊深く分け入れ

 

 

塔ノ岳から大山方面(lf)

 

深田日本百名山登頂の思い出

古いメモによると昭和53年(1978年)11月と昭和54年【1979年)12月とある。丹沢といえば、最高峰の蛭ヶ岳(1673m)、丹沢山(1567m)、塔ヶ岳(1491m)が代表的であるが、この三山の山頂を踏んだという記憶はあるが、どのコースから登ったのか忘れたため、現在の昭文社「山と高原地図」を見て考えたら、メインの大倉尾根からこの三山を日帰りで帰ってくることは厳しい。でも山頂の山小屋に泊まったという記憶も乏しい。と考えながら地図をよく眺めたら、「ユーシンロッジ」のあるユーシンという固有名詞が思い出された。玄倉林道を詰めた先にユーシンからだと三山を日帰りで周って来られる。ネットで調べたら、ユーシンは1970年代以降丹沢登山でかなりにぎわったとあり、オイラもここを起点としたのだろう。ユーシンロッジは、玄倉林道がトンネル崩壊危険による通行止めなどがあって現在休業中とのことで、ユーシンという不思議な固有名詞は、オイラの記憶みたいに風化していくのだろう。

ただ、大倉登山口も記憶にあるので、昭和54年は初級者の雪山を歩きたくてここを起点として塔ヶ岳くらいまで歩いたのかもしれない。

なお、丹沢にはアルバイト先知り合った丹沢のエキスパートに連れられて沢を登ったが、どの沢だったかの記憶もなくなっている。

それと、「キタタン」という愛称の「北丹沢12時間山岳耐久レース」という40kのトレラン大会があって、2000年代半ばに蛭ヶ岳北麓の風巻の頭や姫次といった東海道自然歩道コースをたどっている。7月の第1週に行われる夏の大会だったが、最後の長い下りを気持ちよく走れて完走できた思い出がある。

 

丹沢の雪山トレラン沢登り一度っきりが淋しすぎるか

 

 

 

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