資料館勤務していたら、村内の方がこられて(地蔵頌歌)という写真集を見せてもらいました。著者は元校長先生だった人らしく、私よりもずっと先輩な方なようです。その本を見せてもらってしばらく借りることができました。人吉球磨ばかりではなく日本中アチコチで‘石仏’を中心に写真を撮られて、紀行文、短歌などを添えての写真集でした。
写真を撮って、それに紀行文的な文章をつけるということは、私がやってみたいことだったのです。いま、‘毘沙門天像’に興味を持って写真を撮っていますが、毘沙門さんは室内(お堂)に坐しておられます。地蔵さん(石仏)は、外におられるので、周りの風景や人、あるいは自然も一緒に撮れるのです。(菜花非思料地蔵)と名付けられた菜の花と一緒の地蔵さんの写真がありました。こんなやり方があるんだ!と驚かされました。
つまり、また、私の興味の的が(石のお地蔵さん)に向いたのです。付和雷同的な私の悪い癖がはじまったのです。まあ、いいか!毘沙門さんも鰐口も一緒に探しながら、野辺のお地蔵さんにも目を向ければいいのだと思いました。ちょっとアチコチと目を配りながら歩かなければなりませんが、‘認知症予防’にはいいのかもしれません。
今日は資料館の写真展に山江出身で現在神戸に住んでおられる方がこられました。懐かしく写真を見て帰られました。よかったです。
今日の天気( → 一時ひどく降りました)
写真を撮って、それに紀行文的な文章をつけるということは、私がやってみたいことだったのです。いま、‘毘沙門天像’に興味を持って写真を撮っていますが、毘沙門さんは室内(お堂)に坐しておられます。地蔵さん(石仏)は、外におられるので、周りの風景や人、あるいは自然も一緒に撮れるのです。(菜花非思料地蔵)と名付けられた菜の花と一緒の地蔵さんの写真がありました。こんなやり方があるんだ!と驚かされました。
つまり、また、私の興味の的が(石のお地蔵さん)に向いたのです。付和雷同的な私の悪い癖がはじまったのです。まあ、いいか!毘沙門さんも鰐口も一緒に探しながら、野辺のお地蔵さんにも目を向ければいいのだと思いました。ちょっとアチコチと目を配りながら歩かなければなりませんが、‘認知症予防’にはいいのかもしれません。
今日は資料館の写真展に山江出身で現在神戸に住んでおられる方がこられました。懐かしく写真を見て帰られました。よかったです。
今日の天気( → 一時ひどく降りました)