兄や姉家族や弟兄弟が集まり、昨夜決まった13日午後6時通夜、14日午前10時告別式の準備をする。
誰に連絡したのか、通夜の食事、初七日の食事、香典返しなど決めることが次々に出て、親族だけでも40~50人の人数になる。
久しぶりに母のことなどいろんなことを兄弟で話し合った。
不思議に涙は出てこない。安らかで眠っているようにしか見えない母の顔を見ていると、
大腿骨を骨折してから、1年4か月「イタイイタイ」と言いながらも、ポータブルトイレで、大小を自分でしようと頑張っていた。
しかし、骨折してからのこの1年が母にとっても一番つらかったのではなかろうか。
義妹も20年間一緒に住んで、ほとんどおむつで用足すことはなく、大の方が失敗は一度もなかった。
食欲も旺盛で、11日の朝まで食事をして、お昼は食欲がなくってたべれなかったとディサービスの人が言っていたが、
それまではいつも完食だったようです。そういった意味では手のかからない母だったと話してくれた。
言いたいことをズケズケ言うしっかり者の母であるだけに、この20年間いろんなことがあったと思われるが、でもよくやってくれたと感謝の気持ちでいっぱいである。
好きなお寿司も夕方に一口食べさせてもらい、眠るように旅立った母は大往生でした。
そういう意味では、幸せな最期だったではないかと思う。
私も長生きしても母のように最期を迎えたいと思った。
今日の万歩計は、1,774歩でした。
誰に連絡したのか、通夜の食事、初七日の食事、香典返しなど決めることが次々に出て、親族だけでも40~50人の人数になる。
久しぶりに母のことなどいろんなことを兄弟で話し合った。
不思議に涙は出てこない。安らかで眠っているようにしか見えない母の顔を見ていると、
大腿骨を骨折してから、1年4か月「イタイイタイ」と言いながらも、ポータブルトイレで、大小を自分でしようと頑張っていた。
しかし、骨折してからのこの1年が母にとっても一番つらかったのではなかろうか。
義妹も20年間一緒に住んで、ほとんどおむつで用足すことはなく、大の方が失敗は一度もなかった。
食欲も旺盛で、11日の朝まで食事をして、お昼は食欲がなくってたべれなかったとディサービスの人が言っていたが、
それまではいつも完食だったようです。そういった意味では手のかからない母だったと話してくれた。
言いたいことをズケズケ言うしっかり者の母であるだけに、この20年間いろんなことがあったと思われるが、でもよくやってくれたと感謝の気持ちでいっぱいである。
好きなお寿司も夕方に一口食べさせてもらい、眠るように旅立った母は大往生でした。
そういう意味では、幸せな最期だったではないかと思う。
私も長生きしても母のように最期を迎えたいと思った。
今日の万歩計は、1,774歩でした。