ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2016年2月13日(土)、母の通夜

2016年02月17日 16時51分32秒 | 冠婚葬祭
 夫と娘の運転で、豊田に到着。母に会い、お参りをすると、「肺気腫 われも生きたや 95歳」と俳句を詠んで、
「ばあさんに元気をもらった」とつぶやいていた。

 午後から兄や姉もやってきて、一緒に「納棺式」を行い、体をきれいにみんなで温かいお湯で拭いて、固くなっていた手をほどいて、
結婚式に着ていたお気に入りの着物を着せてもらい、お化粧をすると、母がこんなにもきれいだったのかと思うほどきれいになって、
20歳ほど若くなりました。思わずカメラのフラッシュの嵐でした。

 4時から「メグリアセレモニー前山ホール」に母と一緒に行き、花づくしの祭壇は母らしい華やかに安置してもらいました。



 次々従妹や孫や曽孫や親戚の人が弔問に来てくれ、一番うれしかったのは、久しぶりに母の末の弟(86歳)を甥が連れてきてくれました。
杖を曳きながらも、12月まで入院生活でリハビリをして、ゆっくり歩くことができるようになった。

 戦争で亡くなった兄たちの分も長生きしなきゃと頑張っているとのこと。「母の95歳をぜひ超えてほしい」とお願いしました。

 通夜式が6時に始まると、親族の列はいっぱいになり、どの顔も懐かしい人ばかりでした。
通夜の後の食事は、50人も集まり、あっちでもこっちでも、母の思い出話に花が咲いていました。

 父方の従妹たちは、叔母が車の事故で突然亡くなった時に、母が時々トンカツ、メンチカツコロッケを買ってきてくれるのが、
子供心にもとてもうれしかったという話。

 従妹の中にも、1月に亡くなったという話にびっくりしたり、大勢の親戚に母が逢わせてくれたことがうれしかった。

 夜は弟夫婦と式場で母と一緒にいたが、来る人来る人母の顔をみて、20歳ほど若返っていたので、びっくりポン。
95歳まで家で過ごして、家で安らかに最後に迎えたことがうらやましいととても賑やかだったので、
「誰も私が亡くなったことを悲しんでくれない」と怒っているのか、だんだん目が吊り上がって見えてきた。

 しかし、眠るように大往生した母。誰もがこんな死を迎えたいと思っていることだろうと思います。
そんな見本を見せてくれた母でした。

 そんなことを考えていると、眠れなくなってしまいました。

 今日の万歩計は、1,485歩でした。
 

 


 
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