室温は、6.4度(6:00)。
大野町の住民の人に聞きながら、中ノ坊寺を目指してモクモク歩いて行くと、大野城の立看板があり、池を左に回ると、老人施設の上に中ノ坊寺がありました。
大野城は信長の妹お市の娘のお江が大野城主佐治与九郎に嫁いだ城です。
二つ目の第67番所の「三光寺」に向かい、小綺麗に整備されたお寺でした。
今日の知多四国は友人と二人の旅をのんびりと味わいました。
朝方は冷たい風に震えるくらいだったが、自転車で永和駅まで走ると、体が温かくなりました。
今日は友人と名古屋で待ち合わせて、先月行けなかった大野町の2つのお寺と大野城
を回るために名鉄電車で大野駅に降りて、知多四国を回りました。
歩くと暑くなるくらいの風のない上天気に、矢田川沿いを歩くと、松尾芭蕉の句碑がありました。
大野町の住民の人に聞きながら、中ノ坊寺を目指してモクモク歩いて行くと、大野城の立看板があり、池を左に回ると、老人施設の上に中ノ坊寺がありました。
住職はいないようで、御朱印は小さな窓を開けて、自分で判を押して、お金を払うようになっていました。
しばらく休憩しながら、のんびりしていると、住職がやって来て、戸を開けていると、30人位の白装束の団体が弥勒寺の住職の案内で、大野町駅からお参りに来ました。
御朱印帳が御朱印で真っ赤になっている人もいて、ビックリ。
本堂の戸を開けて、お参りして貰うことはとても珍しいことだそうです。何か今日はいいことがありそうです。
知多四国霊場会「寿詣会(スマイル)」という団体で、毎月各地から集まって知多四国を回っているようです。
調べてみると、今年で20年という記念の年だということです。
本堂に上がって、お経の合唱に便乗させてもらい、黒弘法大師にもお参りさせてもらいました。
中之坊寺の住職はあま市の蓮華寺で、近くの住職が代わりに来ていたようです。
戻って大野城の階段を四苦八苦しながら上ると、伊勢湾や大野町の海や街並みが見渡せました。
大野城は信長の妹お市の娘のお江が大野城主佐治与九郎に嫁いだ城です。
気がつくともう12時を過ぎていたので、食事処を探しながら歩いていると、スケーキ屋で久し振りにステーキを食べました。
二つ目の第67番所の「三光寺」に向かい、小綺麗に整備されたお寺でした。
大野駅に戻り、1月に行った古民家カフェの「きょう屋」で中庭を通って、堀炬燵のある奥座敷であんこ付きの美味しい珈琲を味わいながら飲みました。
今日の知多四国は友人と二人の旅をのんびりと味わいました。
来月は3月17日名鉄の「歩いて巡拜る知多四国」に参加する予定です。
今日の万歩計は、16,381歩でした。