ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-1-11(土)、映画「第五福竜丸」⛅️

2025年01月11日 06時03分47秒 | 核兵器・原発問題
室温は、4.8度(6:00)。
日本側沿いは平年以上の積雪に除雪の注意事項がラジオから流れてくる。我が家は平年を下回る気温だが、昨日より1度高くなっている。

1年で一番寒い時期だけれど、朝から着物の襟付けを友人にも手伝ってもらい、2枚の長襦袢の襟付けをする。

友人はさすがに内職に縫い物をしただけに、丁寧でとても早い。これからも縫い物を頼もうかな。

モーニング、ランチ兼ねて出掛けると、てんしんらんまんもみるくも休みで「和らく」に行くと、やっとモーニングに間に合ってゆっくりと雑誌を見ながら過ごす。

映画「第五福竜丸」

午後から友人に誘われて、映画「第五福竜丸」を見に行く。

1959年に新藤兼人監督が米国のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇した「第五福竜丸」の映画を公開した。

出演は宇野重吉(久保山愛吉)、乙羽信子(愛吉の妻)等有名な役者揃いで、マグロ漁船の「第五福竜丸」がビキニ環礁で1954年3月1日に米国の水爆実験に遭遇して、死の灰を浴びて焼津港に帰ってきた。

乗組員23名は顔が真っ黒にヤケドしたようで、不気味で直ぐに医療体制が引かれて、東大病院に入院し、原爆症の治療が始まったが、半年後の9月22日に久保山愛吉さんは「原水爆国の犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言して40歳の若さで亡くなる。

死の灰からウラン237、ストロンチウム90が検出される。

米国の医療団が診察に来たが、ざっと見て回るだけで、治療に携わることもなく、血液検査だけをさせよと迫る身勝手のやり方に、日本の医療団は怒り心頭であった。

現在、第五福竜丸は、東京都の第五福竜丸展示館として、1976年6月に開館され、今も第五福竜丸が保存されています。是非第五福竜丸に会いに行きたいものです。

日本中で原爆の恐ろしさを広島、長崎、第五福竜丸で体験し、大きな原水爆禁止の運動が発展し、新婦人も誕生することになる。

そして去年の被団協ノーベル平和賞につながって行きます。

今年は被爆80年の記念の年です。是非長崎で行われる原水爆禁止世界大会に参加したいものです。

今日の万歩計は、4,591歩でした。
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2025-1-10(金)、今季初の積雪 ❄のち☀

2025年01月11日 05時02分19秒 | 天気、気候
室温は、3.6度(6:00)。
ラジオから流れるのは全国的に大寒波で、積雪何cmという報道を聞きながら、布団に潜り込んでいた。

居間のエアコン、ストーブを付けて窓を開けると、雪がうっすらと積もって降り続いていた。

コピーをしようと外に出るが、とても出掛けられる状態ではなく、隣のご主人が仕事に出掛けようと、夫婦で車の雪を取り除いていた。

温かなおじやを食べて、身体の中を温めるとホッとする。

外を見ると、雪が小降りになっていたので、しっかり着込んで、コンビニまで歩いて行くが、真っ白な雪景色に思わずスマホで撮影。

コンビニから出ると吹雪いていて、真っ直ぐに前を向いて歩けないくらいであった。
ただ下を向いて、歩いてもメガネに雪が積もって、目が開けられないくらいだった。

歩いても歩いてもなかなか家に到着しないで、いつもより倍位の時間が掛かったような気がしたが、何とか家に到着すると、頭から雪だらけになって雪だるまになったようである。

もうこれじゃあムリに外に出ても仕方がないと諦めて、家にいると、昼過ぎには晴れてきて、あっという間に雪が解けてしまった。
サロンのニュースを配り終えてくれた人から「もう止めるんだ。仕方がないなあ」と言われたが「是非若い人に引き続きやってもらえるように声を掛けて!」と頼んだら、「オッ」と手を挙げて帰っていった。

こんなにも寒い時も80歳過ぎても老人会の世話役やみまもり隊に参加している元気な人でも、何時かは後輩に引き継ぐ時が来るが、何処もやり手がいなくて困っているようである。

高齢者住宅の悩みのタネである。

今年の団地の自治会の会長は若い女性が頑張って楽しくやってくれているが、これからはドンドン若い人に早めにバトンタッチして、役員の若返りをする必要があることを学んだ。

団地も歯抜けのように空家、空地が増えてきたが、新しく若い人たちも増えてきた。

一気には難しいが、徐々に若い血が流れてくるような団地になってほしいものです。

老兵は早く退くべきである。

今日の万歩計は、3,915歩でした。




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