ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-1-15(水)、永和台サロン「健康チェックと健康体操」☁のち☀

2025年01月16日 04時50分10秒 | サロン活動
室温は、5.6度(6:30)。
寒いけれど、今日は永和台サロンがあるので、いつもより早めに起きて着替えて準備をする。

今日の永和台サロンは、半年ぶりの「健康チェックと健康体操」を行いました。

参加してきた人から、順番に健康チェックを行い、体重が正月太りで増えた人が一番多いが、体重は減り、筋肉量が増えているが、内脂肪、体内脂肪が著しく減って、至って健康だが、3回血圧を測ったが計れない人がいた。

最近、ウォーキングを始めた人は、筋肉量が増え、体脂肪、体内脂肪が減り、確実にウォーキングの効果が表れて喜んでいました。

時々健康チェックをすることで、体調が分かって健康チェックの必要性を感じた。

健康チェックの終った人から
左右の手を変えながらお手玉をするが、右手からは手早く出来るが、左手からお手玉をすると全く出来なかった。
普段出来ない左手からのお手玉を時々やってみるのも面白い。

音楽に合わせてストレッチ体操をして、順番にストレッチをすると身体中が伸びて、久し振りに身体がスッキリとする。

最後にお尻を動かして、前に進むと失禁を防ぐことが出来るようである。

喉を潤して、「風船バレーボール」座って丸くなって、風船飛ばしをする。

始めのうちは10を数えるとすぐに落ちていたが、だんだん慣れてくると、50、100回数えることができるようになった。

終わると身体中がポッカポッカ。

しらす干しの入ったおせんべいとしっかりと喉を潤すとホッとする。

14年5ヶ月「永和台サロン」をやってきたが、ニュース作りも難しくなってきたので、3月で終了することを話をすると、ニュースは要らないが楽しみにしていたので、これからもやってほしいと言われてしまった。

いつかは辞めることになるなら、無責任に体調を突然崩して、途中辞めることは出来ないので、キチンと切り目のいい時に辞めることにするが、なかなか分かってもらうことは難しそうである。

また、形を変えて、老人福祉センターで「脳トレと健康体操」を行うことを伝える。

ランチにてんしんらんまんに出掛けて、健康体操講師と4月から老人福祉センターで「脳トレと健康体操」を行いたいので、打合せの日程を決めました。

これから自分自身も歳を取り、認知や健康維持のためにも「脳トレと健康体操」を続けていきたいとの思いもあるので、まだ若い講師の方にこれからも続けて行ってもらいたいものである。

今日の万歩計は、7,324歩でした。






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2025-1-14(火)、浅田次郎「流人道中記上」☀

2025年01月15日 04時41分03秒 | 本と雑誌
室温は、5.5度(6:20)。
相変わらず寒さが身にしみる今朝も7:00近くまで布団の中。

麦ちゃんは早くからご飯ご飯といっているようで、寝室の扉をゴリゴリと爪を立てて呼んでいる。

早めに餌をあげると必死に食べている様子が可愛い。

直ぐに布団の中に入って、浅田次郎さんの「流人道中記上」を読み上げる。

物語は、若い与力である石川乙次郎が罪人・青山玄蕃を蝦夷の流刑地に送り届ける旅から始まります。

乙次郎は、武士としての立場を守り、罪人である玄蕃に対して厳しく接しようと心がけますが、旅を共にする中で次第に玄蕃の人間味に惹かれていきます。

道中での様々な出来事を通して、玄蕃が見せる優しさや思いやり、周囲の人々に対する温かさを目の当たりにし、彼の心の内にある強さを理解し始めます。

また、旅が進むにつれて、玄蕃の真の身分や過去が徐々に明らかになり、彼が不義密通という冤罪をかけられていることを知ります。

玄蕃は、自らの武士としての誇りを守りつつも、あえて流罪を受け入れることで、自分が信じる正義を全うしようとしていたのです。

2人が歩いた奥州街道で上は仙台国分町までの物語である。

本を読むにつれて、2023-3に図書館で借りて読んだことがあるなあと思い出したが、結構具体的な物語はほとんど忘れていることもあり、そのまま読んでみることにしました。

この本の発行は2020年3月の発行で意外にまだ新しい本でした。

満月の夜

乙女ガールのメンバーからライン「今夜は満月、その右下にあるオレンジの星よく見えるよ。その左の方の明るいオレンジの星が木星夜の空も着込んで見てね」が入って、ベットに入る前に東の空を見上げるとオレンジの月が輝いて見えた。

月の近くに輝いているのは火星で、地球と火星が一番近づく時で、幻想的に見えるのが素晴らしい。

冬の澄んだ夜空は寒いけれど、珠には見上げると色んな発見があるものですね。

今日の万歩計は、6,145歩でした。
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2025-1-13(月)、ライオン・キング(ムファサ) ☀時々☁

2025年01月14日 05時17分06秒 | 映画
室温は、5.9度(7:00)。
今日は予定もなくのんびりしていたら、友人から「モーニング」に行かないかと電話があり、早速迎えに来てくれた。

津島の「てのひら」に行き、シフォンケーキセットを頼んで、おしゃべりに花が咲いていつの間にか12時を過ぎていた。

今日は「ライオンキング(ムファサ)」を見に行きたいので、ヨシヅヤ津島本店に送ってもらい、丁度上映に間に合って、最初から観ることができた。

年末に前編の実写映画化の「ライオンキング」を見ていたので、前作の主人公であるシンバの父ムファサの若かりし日々を映し出す物語である。

洪水に巻き込まれて、両親とはぐれたムファサは、溺れそうになっているときにタカ(後のスカー)に助けられて、王の血を引くタカの群と行動するようになる。

ある日、ムファサとタカは強敵である白いライオンキロスから仲間たちを守るべくキレーレを目指す旅に出ると、マントヒヒのラフキーと鳥のザズーと出会い、旅を続ける。

それは彼らの予想をはるかに超えた苦難の日々の始まりだった。

ハラハラ・ドキドキの展開で動物の実写版でよくもこんな映像が撮れる何て凄くて感動する。

撮影の裏側を見てみたいものである。

帰りのバスまで2時間あるので、無印良品の店で蓋付きのコップと和服売り場で黒色の模様のある足袋を買う。

ウロウロしていたら、バッタリと偶然に知り合いに会って、今から帰ろうとしていたところだったとのこと。

家まで送ってもらえてホッとする。

今日はなんて運のいい日だろうか。

今日の万歩計は、8,564歩でした。


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2025-1-12(日)、愛西市二十歳の集い ☁

2025年01月13日 06時39分20秒 | 記念日
室温は、5.9度(7:00)。
今日は「愛西市二十歳の集い」が愛西市文化会館で行われるので、出掛けていきました。

9時頃から家族に送ってもらって、ボツボツと女性は振袖で着飾って、男性は黒のスーツや袴で新成人が集まってきました。

愛西市原水協の宣伝を兼ねて、二十歳のお祝いのチラシを配布しましたが、殆どの人が取ってくれて足りないくらいであった。

式典の始まる10時には殆どの人がスンナリと会場に入っていきました。

愛西市二十歳の人数は629人で、文化会館に集まる佐屋、立田地区を合わせて346人が集まってきました。

佐織、八開地区は283人で、佐織公民館で「二十歳の集い」が行われます。

毎年のことであるが、派手な羽織、袴の若者も車に旗をなびかせて参加して来ました。

愛西市は非核宣言都市として
毎年中学生を広島に派遣し、
市民が平和の願いを込めた千羽鶴を託しています。

二十歳になった記念に被団協がノーベル平和賞を受賞したことや核兵器廃絶の運動に関心を持ってくれると嬉しいなあ。

我が家の庭にメジロ

ロウバイの花の咲くころに、残っていたミカンを切って、ロウバイの枝に刺すと、ツガイのメジロが飛んできて、ミカンを啄ばみに来ました。

可愛いものですね。リンゴも指したけれど、硬いのか全く知らん顔でした。

麦ちゃんもじっと窓越しにしばらくの間見つめていました。

今日の万歩計は、7,911歩でした。


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2025-1-11(土)、映画「第五福竜丸」⛅️

2025年01月11日 06時03分47秒 | 核兵器・原発問題
室温は、4.8度(6:00)。
日本側沿いは平年以上の積雪に除雪の注意事項がラジオから流れてくる。我が家は平年を下回る気温だが、昨日より1度高くなっている。

1年で一番寒い時期だけれど、朝から着物の襟付けを友人にも手伝ってもらい、2枚の長襦袢の襟付けをする。

友人はさすがに内職に縫い物をしただけに、丁寧でとても早い。これからも縫い物を頼もうかな。

モーニング、ランチ兼ねて出掛けると、てんしんらんまんもみるくも休みで「和らく」に行くと、やっとモーニングに間に合ってゆっくりと雑誌を見ながら過ごす。

映画「第五福竜丸」

午後から友人に誘われて、映画「第五福竜丸」を見に行く。

1959年に新藤兼人監督が米国のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇した「第五福竜丸」の映画を公開した。

出演は宇野重吉(久保山愛吉)、乙羽信子(愛吉の妻)等有名な役者揃いで、マグロ漁船の「第五福竜丸」がビキニ環礁で1954年3月1日に米国の水爆実験に遭遇して、死の灰を浴びて焼津港に帰ってきた。

乗組員23名は顔が真っ黒にヤケドしたようで、不気味で直ぐに医療体制が引かれて、東大病院に入院し、原爆症の治療が始まったが、半年後の9月22日に久保山愛吉さんは「原水爆国の犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言して40歳の若さで亡くなる。

死の灰からウラン237、ストロンチウム90が検出される。

米国の医療団が診察に来たが、ざっと見て回るだけで、治療に携わることもなく、血液検査だけをさせよと迫る身勝手のやり方に、日本の医療団は怒り心頭であった。

現在、第五福竜丸は、東京都の第五福竜丸展示館として、1976年6月に開館され、今も第五福竜丸が保存されています。是非第五福竜丸に会いに行きたいものです。

日本中で原爆の恐ろしさを広島、長崎、第五福竜丸で体験し、大きな原水爆禁止の運動が発展し、新婦人も誕生することになる。

そして去年の被団協ノーベル平和賞につながって行きます。

今年は被爆80年の記念の年です。是非長崎で行われる原水爆禁止世界大会に参加したいものです。

今日の万歩計は、4,591歩でした。
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