痴呆、否、認知障害とは、理解しがたい病気である。
世界がセピア色に変わる、黄昏時に似ている。
同じ世界でありながら、まるで違う世界のような、
急に、足元が崩れるような不安。
いつもの場所なのに、知らないところに迷い込んだような言いようのない寂しさを胸に抱く病気なのだろうか。
閉鎖病棟の中、夕暮れ時になると、入所者は一様に不安を募らせる。
「○○に帰ります」
「○○方に帰ります」
それは、つい先日まで生活していたところとは限らない。
心の中の、一番確かなところへ・・・・
「帰りたい」
「帰らせてください」
何度でも、訴えてくる。
夫の名前も、子供の名前も、自分の名前さへ忘れても、帰りたいという心は生きている。
そして、各々の方法で、夕食を口に入れ、各々の方法で眠り、また、次の朝がやってくるのだ。
心の襞は無数にある。
失った襞が、どんなに多くても、
残っている襞は、やはり無数なのだ。
だから、痴呆の程度なんて本当は誰にも計れない。
計りようもない人々に囲まれて、一緒に、じっと座っていると、私はずっと座っていたい気持ちになる。
未だにその理由がよく解らない。
ただ、そうしている時、亡き父や母が天国から降りてきて、すぐ側から笑って見ていてくれるような気がする。
そして、ふと我に返り、あわてて涙を拭いたりする・・・
という原稿も実は出てきました。
一体、何年前かな・・・
認知症の人の介護をすること。
くちこが神様から貰った宿題かもしれないなって、ちょっと思いました。