しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

音松さんのこと

2010年01月24日 20時34分00秒 | インポート

太平洋戦争で戦死した人の中で、
運良く??????妻子を残した人はともかく、
独身のまま散ってしまった人は、
もう誰の記憶からも消えてしまうのではと、不安なくちこです。

例えば、くちこ家の、音松さん。
くちこの祖父の弟で、独身のまま、くちこ家から招集され、昭和20年に戦死しました。
既に音松さんの親兄弟はこの世になく、
生前の音松さんを覚えている人は、最早数人かと。

くちこ家は、本家なので、位牌もあるし、何度か法事をしたことも覚えています。
(不肖、くちこは一人っ子で跡取り娘でした)
写真によると、とてもハンサムです。
話によると、物静かで優しい人だったと。
「音やん」と呼ばれていたと・・・

誰からも忘れられてしまう前に、
せめて、くちこが此処に、音松さんのことを残しておこうと思って。
戦争がなければ、子々孫々が今、いたかもしれないのに、
国権によって、人生が断ち切られてしまった人です。
皆さん、読んでくれましたか?
「音松さん」という人がいたと言うこと。
くちこは、ここに伝えます。

さて、閑話休題。
父は、台湾から出兵して敗戦後に日本に復員しました。
そこには、結核を患った父、兄、姉。
そしてまだ学校に通う弟妹が・・・

収入もなく、「胸患い」がいる家と白眼視され、
父は、がむしゃらに働き、塩を舐めるようにして、病院代を作ったと。
そして、昭和22年23年、父、兄は相次いで他界。

貧乏ながらも兄弟肩を寄せ合って暮らしているすぐ側に、
裕福な分家が住んでいたとのこと。
(音松さんの兄、くちこの祖父の弟)
が、援助は一切なし。
父達は、叔父達が食べる山盛りの白いご飯がどれほど羨ましかったか・・・と、よく話していました。

そのうち、音松さんの遺族年金の話が出て、父が代表で全ての手続きをし、最後の段階で・・・
その裕福な叔父に横取りされてしまいました。
兄弟のほうが血が近いからと。
その叔父が亡くなるまでずっと。
墓、位牌、法事は、すべてくちこ家で続けましたが・・・

十数年前、ふと、くちこは、戦死者の遺族への弔慰金が、遺族年金とは別にあることに気付きました。
雑談としてくちこの叔父(父の弟)に話すと、
叔父は、数十年来の恨みを晴らさんと、口から火を噴くかとの勢いで走り回り、掛け合い、印を集め、その弔慰金をくちこ家(本家)に取り戻してくれました。

ただし、くちこの父は、とっくに他界。
その後、くちこの母も他界。
権利は、口から火を噴いた?叔父のところに戻りました。
いくら本家でもくちこは、血が遠すぎるのでね。

くちこは、くちこの家の墓参りに年に数度行きますが、
叔父は毎週行って、いつも綺麗にしてくれています。
くちこの父に恩があるからと。

その上、くちこに、毎年、自分が受け取った弔慰金を渡します。
どんなに辞退しても・・・ね。
「これは、本家のものだから」と。
ちなみに弔慰金とは、花代という感じで、年間4万円です。

くちこは、そのお金を貯めて、台湾に子供達とお墓参りに行っています。
台中の宝覚寺にあるのですが、そこには、日台戦死者(台湾人も日本軍として戦っています)の慰霊碑もあります。
お賽銭箱には、日本海軍のマーク?が入っています。

祖母のお墓と音松さん達の慰霊碑はほんの10メートルしか離れていなくて、くちこはとても、便利です。

これにて、音松さんの報告を終わります。

コメント
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