施餓鬼の「餓鬼」は飢えに苦しんでいたり、身寄りがなくこの世に彷徨っている霊です。
施餓鬼は、自分の先祖供養だけでなく、このような餓鬼の供養を行って徳を積むことで、自分にも救いがあるとされています。
だ、
そうです。
くちこは、何となく、です。
お堂とか、
お香とか、
お経とか、
そんな中に身を置くと、
ただ、自分が安堵するから、それだけ。
くちこ家は、臨済宗。
サメ家は、浄土真宗。
で、今回行ったお寺は、真言宗。
何しても・・・仏教ってこれからも残って欲しいな、と。
最初に、外にある、お大師様と、水子観音に手を合わせました。
このお寺の水子観音は、ある元産婦人科の看護師の遺言によって建てられたと聞いています。
その気持ち、解る気がするくちこです。。。
お母さんのお腹の中で、うっかり死んでしまった子達。
分娩室で、既に死んでしまっている子を陣痛を起こして産む母親。
多胎だったら、明暗を分けることも。
くちこは、「暗」の子供を担当していました。
分娩室から、すっと、抱いて出て、
元気で生まれた子の何倍も注意深く産湯を。
その子の為に用意されていた産着を預かり、両親の心を着せる。
用意周到な?くちこは、
常日頃から、倉庫にいろんなサイズの箱を隠し持っていました。
「その子」のサイズによって、必要な箱のサイズは違うから。
一番小さいのは、ティッシュの箱位から・・・
葬儀社はね、普通の赤ちゃんの為の棺しか持っていないんです。
しかも、突然のことも多く・・・てね。
箱には、「捨てないで」と、メモを貼っておきました。
綿と、ガーゼで、敷き布団も枕も、布団も作りました。
酷い所は見えないように、くちこ庭の花で飾りました。
心の中で、話しかけながら。
「またおいでね」
「待っているよ」と。
それから、その子のお父さんだけ呼びます。
どうされますか?と。
そこからは、ご家族の希望に添います。
翌日には、病院からいなくなる子です。
くちこが、夜預かる時は・・・
ほ乳瓶にミルクを作り、適温に冷まし、頭元に置きました。
くちこが勝手にしていたことです。
誰も知らない。。。
これは、マニュアルでもなんでもありません。
くちこ流に見送った子達。
今頃は、元気に生まれ変わって、
幸せに暮らしていると信じているけれど、
くちこが生きている間、
あの子達を忘れずに、
心を寄せて手を合わす。
それが、引退したくちこに残った最後の仕事です。
手を合わして、目を閉じると、
白い着物を着た「あの子」達が、何人も空に上る姿が見えたことも。
今回は、自分の背中から頭に向かって、何かざわつく波が・・・
くちこの両手には「心眼」という手相が入っているからか、
そんなことを感じることがあるんです。
まあ、錯覚と言えば、それまでって程度です。
施餓鬼壇。
餓鬼が食べに来られるように、本堂より低く、濡れ縁に設置され、
餓鬼がまぶしくないように、灯明もなし。
蓮の葉に溜まったしずくを掛けて、お焼香します。
皆さんは、何やらずっと唱えていましたが、くちこは無理、知らないから。
般若心経だって怪しいのに。
このお寺は、引っ越して年数の浅いお寺で、
元の場所は、地権者との諍いで、超不本意ながら裁判に敗訴したので此処に。
何故か、お説法は?
どんなに悔しかったか、不本意だったかのストーリーでした。。。
くちこが気になっているのは、
元の場所に残されたお地蔵様。
全て更地にして返された土地ですが、そのお地蔵様は元々あったから、
縁を切って、置いてきた、と。
日に日に、草に埋もれていくお地蔵様のことについて、
地権者のありようについて、呆れている、と。
そうかなあ・・・
そこで生まれ育ち、拝みながら育ったんですよね?
そして、代々、僧侶になられた。
縁を切ったら、仏像型の石?
残されたお地蔵様の気持ちは?
寂しさは?
お地蔵様に心を寄せて、
もう少し違う方法を探すことはできなかったのかなあ。。。
道行く人が、どんどん草に埋もれていくお地蔵様を見て、どう思うか。
みんなの気持ちは?
今の時代、
何でも、権利。
そして裁判。
でも、それでけじゃない、筈。
ちょっと此処で、ぼやいています。
じゃあ、自分がどんだけ?
凄い凡夫です。
くちこ流、くちこの勝手な話でした。
一週間、びっしり忙しくて、昨日の夕方からダウンしています。
今日、よろよろと鍼灸に行ってきました。
ただね・・・
乗り掛かった船で?
新生児の母乳介助を久しぶりにして帰りました。
体調悪い為に、サメ氏の送迎で行ったので、十分に見てあげられなかったのが申し訳なかったです。
老兵だわと、しみじみ実感しました。