11/8、目出度く63歳になり、
朝から萩に向かったのでした
折しも?
車内の音楽はショパンのCDだったらしく、(音楽準備はサメ氏担当)
子犬のワルツが♪
あ、
小5だったか、小6だったか、次男が弾いていた曲だわ。。。
遠い目。
参考資料↓
そもそも63年前、
妊娠継続は断念するように言われたのに強引に粘った母、
ついに妊娠8か月で胎児心音が停止
これまた強引に皮膚麻酔だけでお腹を開けて蘇生された子がくちこです
重症仮死、早産未熟児、聾唖の疑いまで追加
病弱で発達も遅く、小学校入学まで生きてないないだろうと思っていたよと、父後日談。
拾った命を背負って、よくまあ63年もと思うし、
気分は既にお釣り状態で、生き疲れた感満載ながら
そこはそれ?・・・萩に向かっていると言うお話。
車内は、次々にピアノ曲が・・・
保育園時代、オルガン教室が全盛期?
が、くちこ母は、くちこに習わす気配が無いことをちょっと不思議に思いつつ、
どうでも良いことだったので、何のリアクションもせずに暮らしていたくちこだったのですが、
唐突に、我が家に真新しいピアノが届き、くちこは個人レッスンを受けることに
なんでこんなことになったのかと思いつつ、不真面目に習っていたくちこでした
ただ、後から思いだ出すのに、
母は時々くちこに、「エリーゼの為に」を弾いて、と。
その位は暗譜していましたから、要望に応えて弾いていましたが、
あれは・・・
「エリーゼのために」が好きだったのか?
娘の弾くピアノが聴きたかったのか?
極めて不遇な幼少時を過ごした母は、中卒で紡績工場へ集団就職。
ピアノどころか、修学旅行にも行かせて貰えなかった母
結婚したら不妊症が分かった母
バスの運転手とバスの車掌の社内結婚。
家は、親戚の借金で四重抵当になっていて、
赤貧の中から抵当を一つづつ外していった若かった両親。
それでもピアノを買ったのは、
母のこれまでの不遇を清算する象徴として必要だったのかもと、今更思うくちこです。
くちこの部屋には滑り台まであったし、
梁にロープを掛けて作った父お手製のブランコもあったのでした。
だからね、
後から聞くまで、貧乏って知らなかったんです。
案外・・・くちこは・・・
母の夢を背負って生きてきたのだろうか、と63歳、車内で徒然思うくちこでした。
そんなこんなを思い出していたら、
63歳になったくちこに目には涙が・・・
既に他界して久しい両親なのですが(59歳と64歳でした)
※やばい、話の枕で終わりそう
物思いにふけりつつ、大寧寺に到着。
去年も来ているし、結構、何度も来ている、くちこの好きな古刹で紅葉の名所です。
お出掛け前に作った手抜き弁当を大寧寺の駐車場にて食べました。
それでも、自分の料理が好きだし、外食続きは避けたいんだなあ・・・
これと、みかんと台湾茶ですよ。
奈良漬けも自家製です!(^^)!
卵焼きには、朝摘みのニラ!
朝から雨100%の予報でしたが、どうにか昼までは曇り、そしてぽつぽつと・・・
小雨の大寧寺は初めてかもと思って歩いていたら止みました。
何度もブログに載せたお寺なので写真は少しに。
此処に沢山載せています↓
大好きな扁額、この青が好き
苔が良いよね・・・
雨だと分かっていたので、
萩・明倫学舎に行くことにしていました↓
このHPね、見応えありますよ。
ご興味とお時間のある方は是非
https://www.city.hagi.lg.jp/site/meiringakusha/
全国屈指の規模を誇った、萩藩校明倫館。
その跡地に建ち、平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎が、新たな萩の観光起点「萩・明倫学舎」に生まれ変わりました。
くちこ的には、存在は知っていたけど、最近まで、そのまま現役小学校だと思っていたのですが、いつのまにやら・・・
なかなか見応えのある展示内容でした
よく解らんまま連れて来られた?サメは感慨深げに、現役!小学校を撮影
これじゃない!と叱られたのですが、現役だけど風情があるよね、流石、明倫小学校
実は、この古い校舎、くちこが通っていた下関市立日新中学校の旧校舎とよく似ているんです
それで、懐かしくて来たかったのもあります。
くちこが通った旧校舎はもう残っていないのでね。
こんな感じ↓
そうそう、時を同じくして、平行する感じで、吉田松陰の松下村塾も萩にあったんです。
明倫小学校は上級武士の子弟しか入れなかったけれど、松下村塾は平民でも入られたとこが違います。
だから、維新の志士が生まれたとも言えるのかしら?
くちこと、吉田松陰。大河ドラマでは、松陰役は、小栗旬だったでしょ。
あれさ、次男がそっくりで、死刑になった時は、次男が死んだみたいで当分胸が痛かったくちこなんです
くちこと、長州ファイブ・・・
すみません!
かなり、写真、しつこいです!
凄く似ていて、凄く懐かしくて、ついつい、自分のために載せました
この、木製の木の蓋を開けて中に入れる机は、小3から小6まで、くちこも似た机でした。
もっと黒くて古かったけれどね。
中学校の時、よく校長室の掃除当番だったんです・・・これまた懐かしい!
でもって、こんな食器と先割れスプーンでした(小学校の時)
くちこ的には、こんな感じにちょっとだけ階段を上がった所にある小部屋がガリ版を刷る部屋で、時々、先生の手伝いをしていました。
ガリ版は、学級新聞を書く時とかに使っていたので懐かしい・・・
明倫舎は、孔子を祀っていたそうです、中国みたいに?
その後、萩市内のケーキ工房で、さらりとケーキタイムにしましたよ。
※飲み物の無料券を明倫館で貰ったからなのですが
シュークリームをお皿に載せるだけの作業ね、
サメ氏は、潰してクリームをはみ出させ、
堂々と、逆さまに置き、
くちこの逆鱗に触れる・・・そんなケーキタイムだったとは、この写真からはツユも感じられないわ
長くなるので、次回をホテル編にします