娘が休暇を取ってくれていたので、
二日目は安心ガイド付き
因みに、34階の部屋からは、品川駅が眼下でした。
日本橋界隈って、これからどんどん変わるらしい
START!新しい道へ!日本橋へ! | 首都高速道路日本橋区間地下化事業
温故知新・・・
目指すは、江戸時代の日本橋?
じゃ、今の日本橋を見ておこうかなと。
先ずは、朝食。
品川プリンスホテルメインタワーのハプナです。
くちこ的には、フランスのルーブル美術館を連想す天井なんです。
広々とした空間。
品川プリンスホテル ハプナ|LUXE DINING HAPUNA
20年位前に、子供達と食事をしたレストランなのですが、あの頃と変わっていないわ。。。
当時は、オープンキッチンが珍しく、シェフがカウンター越しに、こちらを向いて並んでいたのが驚きだったな。
先ずは、和食で第一戦、手前がくちこ、奥がサメ氏。 お粥って嬉しいよね
第二戦は洋食、左はくちこ、右はサメ氏・・・これをさ、完食するのよね、和食の後に、流石、丑年、胃袋が四つある
さて、
娘が予定通り10:30にホテルのフロントまでお迎えに。
が、
くちこは、ファンデーションを忘れてきていて、娘に貰って、一階のトイレで化粧
それよりも、
部屋を出る時になって、
サメは、ICOCAカードが行方不明
くちこは、眼鏡が行方不明
まあ、それぞれ出てきたのですが、
あれどこだっけ?探し物ばかりの日々・・・連日うんざりでした
ああ、情けなや
でも、どんなに辛くても遊ぶんだ
日本橋到着。
次の目的地は、COREDO室町テラス
※COREDO室町って1,2,3・・・沢山あります
お買い物も、体験もできる COREDO室町テラス|コレド日和|三井ショッピングパーク アーバン
マジ、ホントに、テラスが広々と
このテラスにくちこは救われました。
疲れなのか、気分悪くてね、屋内の暖房された空気がさらにこれを悪化させる
このテラスで二度もまったりと休憩しましたよ。
冷たい外気が気持ちよくて、でも、屋外用の暖房器具の点在していました。
娘とサメ氏も自動的に、くちこの脇に控えていました。
どこでもマイ水筒持参なのでお気楽休憩。(いつもの台湾水筒)
注目していたのは、誠品生活日本橋。
この台湾水筒、20年近く愛用しています。
今は二代目なんだけど、二本の内一本が、蓋部品を紛失したままだったので、今回丸ごと此処で新調しました
どうせ、ホテルで貰ったクーポン券が12000円分あるしね。
ついでに、サメ氏の希望で、刀削麺の袋麺も購入。
ライチジュースもサメ氏の希望。
くちこ父は、台湾生まれ台湾育ち、祖母や大叔父のお墓も台湾にあるくちこ家。
そもそも台湾贔屓、くちこは5回も渡台していますよ。
ブロ友さんの料理レシピを拝見していると、結構、中華が多く、XO醤とか使われているのでね、
くちこも久しぶりに新手の中華調味料をGETしてみました
微糖のローズティーも癒されるかしらん?と。
さて、
次は、日本橋三越本店へ。
ちょっと歴史的建物を見物してみようかと。
以前、ブロ友さん達と日本橋高島屋には行ったのですが。
以下抜粋↓
ルネッサンス様式の威容を誇る日本橋三越本店の現在の建物は、昭和10年(1935)、6年の歳月を費やし増築改修されたもので、
完成当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築でした。
平成28年(2016年)7月、本館が国の重要文化財に指定されました。
本館正面玄関でお客様をお迎えする2頭の「ライオン像」。この像が誕生したのは大正3年(1914)のことです。
この「ライオン像」の注文主は、三越百貨店の基礎を築いたとされる当時の支配人、日比翁助。
その日比が百貨店開設の準備のため欧米を視察したときにイギリスで注文したものです。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の下の4頭の獅子像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したものです。
完成までに3年の歳月を要したこの仕事はイギリスの彫刻界でも相当な話題となりました。
本館1階中央ホールから、吹き抜けの5階に届くようにそびえる壮大な天女の像。この像が完成したのは昭和35年(1960)のことです。
この像は、三越のお客様に対する基本理念「まごころ」をシンボリックに表現する像として「まごころ像」ともいわれ、日本橋三越本店の象徴ともいえる存在です。
製作にあたったのは名匠・佐藤玄々先生。
京都の妙心寺内にあるアトリエで、多くのお弟子さんとともに「構想・下絵・原形・試作」という数々の工程を経ながら、完成までには約10年の歳月を要しました。
歴史を感じるよねえ・・・お隣の三井住友信託銀行も。
ライオンは、サンタライオンになっていました
天女象、猛烈大きくてビックリ・・・ちょっと小林幸子風???
これまた歴史的なエレベーター。
これは、日本橋高島屋もだったと思います。
ただね・・
サメ氏のキチンと感のあるカーディガンと娘のマフラーを探したのですが、なかなか思う商品が無い・・・
と言うか、あっても、お値段の折り合いが、ね
と言うことで、銀座三越に行くことにしたのでした。
こちらは、くちこ母娘には馴染あり。
先に、くちこの希望で木村屋のあんぱんを買いに。
と言うか、くちこは、此処のスコーンが好きなので。
王子にも買いましたよ。
結局、サメ氏のカーディガンは、三越銀座隣りのモトキで購入しました↓
来月お誕生日なので、くちこからのプレゼントとしました(実はクーポン券も投入)
結局、娘のマフラーは、銀座三越で購入。
来月お誕生日なのでね、くち母からのプレゼントとしました
地下鉄はレトロ車両でした↓ サメ氏が撮ってくれと言ったゴジラ↓
東京ミッドタウン日比谷↓
以上で、前半を終わります。
後半、こうご期待
日本橋、銀座、日比谷界隈、
ワタシもテリトリーなんですよ~
最近近くには行くけれど行っていないから懐かしい~
木村屋のパン、夜な夜な酔っぱらって買ってましたww
行きたくなってきました~^^
盛りだくさん^ー^
わぁお!!!!!
続きも 待っております
くちこは、銀座appleにも結構用事があってね、
木村屋の二階で軽食を食べて、appleを待ったことも。
銀座のせんねん灸とかね。
渋い女です( ;∀;)
パナフ、あの開放感が好きだなあ。
ような印象があります。品川駅ってJRの線が
いくつも集まって来ている場所だし、さらに内側に
は京浜急行線。昔は各線のホームを横断的に
つなぐ通路は地下に細いのがあって、ラッシュ
アワーの時間帯に乗り換えをしようとしたら大変。
今は上に上がって広場みたいな通路を縦横無尽に
人が移動しますね。そこへ構内ショップ、レストラン
いろんなものが出来たが、つぶれて、新しいの
が出来て。また全体のレイアウトもどんどん変化して。
という30年だった気がします。
いきなり来られると、なんのこっちゃ?
になりませんか?(笑)
でも楽しいでしょう??
日本橋も大きく変わりました。
こちらはとても上品になったしキレイになった。
脇へ入ると、古い日本橋が残っていますね。
私が最初就職した銀行がまさに日本橋に本店
を置いてましたし、この界隈を見ると
変ったわぁ~と、品川駅同様驚くのでした。
日本は戸建てもビルも建て替えサイクルが短い
ですねえ。都内でキレイな開発だ!と思った
ところが案件によっては、20年ほどで陳腐化して
見えるのはなぜだろう。で、また建て替えられる
のですが。丸の内なんて正にそう。欧州のよう
に世紀を何度もまたいでビルの景観が変わらず
古いほどますます美しいとはなかなかならない。
難しいものだと、思います。
私も 読みながら 画像を見ながら
東京観光させてもらってる 感じです(笑)
何回目かの東京で
どこかの観光客のおばちゃんが
”東京の建物は眺めるのに首が折れそう!”って 言っていたのを思い出しました(笑)
体調不完全の中でも アクティブですねー
札幌三越の前にも 同じようなライオンさんがいます
皆 お手々をナデナデするからか
同じように ライオンさんのお手々ピカピカですよーー(笑)
後半 楽しみです!
新生銀行だったかしら?
品川駅は、出張で現役時代は時々。
既に今とあまり変わらなかったかな?
今や、娘が徒歩圏内に住んでいる。
不思議な縁です。
孫王子の保育園のお迎えは、田町、品川間を山手線でした。
田舎の婆さんが、通勤ラッシュの中を王子の手を引いて歩いた駅でしたよ。
古い建物が現役で頑張っていると、ほっとしますね。
軽薄短小になる前の時代、、、
建物でも、他の物でも、信用できる。
三越のライオンは、どこもお約束のポーズですよね。
でも、日本橋のライオンが初代なのかな?
くちサメは、東京に向きません。
サメ氏なんて、防衛省勤務の時代もあるし、東京に住んでいたのにね。
子供達が居るから時々行っているけど、やはり、田舎が好きです(^^)
東京、、、
田舎者には疲れる所ですが、
刺激的かな?
そうそう、続き、楽しみにして下さいね^_^
今日本橋にあるのは移転してからの本店です。
私が就職したのは外国為替専門銀行の東京銀行
でした。その後東京三菱銀行となり、今は
三菱UFJ銀行。
第二次大戦後改組されるまでは横浜正金銀行で
した。日本史に出て来る話です。高橋是清なん
て人が頭取でした。明治時代に日本の輸出振興
のためにつくられた国策銀行でして、日本国内は
支店が少なく、海外の方がはるかに多い銀行でした。
そして横浜正金銀行本店は港町横浜にあり
その石造りのすごい建物は、現在神奈川県立
歴史博物館になっています。で、戦前は
東京は支店のみ。それが戦後改組され誕生
した東京銀行の本店になりました。戦後も
海外ばかり目が向いてた銀行です。
日銀のとなり、日本橋本石町という住所に
その本店(戦前の東京支店)がありました。
というわけで私は今も日本橋が大好きなのです。
新生銀行だったと思ったのは記憶違いだったのですね。
高橋是清さんまで遡るとは!
最近、銀行の名前、どんどん変わるので、全く分からなくなりました。
サメ氏の再就職先も、最初は日本興亜だったのですが、その後、二度名前が変わったような???
まあ、もう退職していますけれどね。