賽の河原。
ずっとずっと長い間忘れていた言葉です。
子供の頃、母から教えられた言葉。
逆縁。
親より先に死んだ子供は極楽に入れて貰えなくて、
賽の河原で、一日中、石を積む修行をさせられる。
辛くても、痛くても、泣きながら・・・
積んでも積んでも鬼に崩されて、
また最初から積むのだと。
子供を亡くした親が長くお経を唱えるのは、
お経を唱えている間だけは、
その子が休ませて貰えるからだ、と。
幼心に恐い話でした。
本当だろうか?
ネットで調べてみました。
宗教から出た俗説のようです。
そして最後は、
お地蔵様が救いに来てくれるそうです。
良かった。
自殺した人は死んだらどうなるのだろう?
誰かが、天国に行かれないと言っていた気がします。
自ら命を絶つことは大罪だから、と。
本当だろうか?
いろんな人のいろんな言葉をネットで読みました。
生まれかわる順番が後回しにされるとか、
生きていれば、背負って生まれた宿題を、
人に教えて貰ったり、手伝って貰ったりが可能だが、
死んだら一人でその宿題を解かないといけないので、
なかなか宿題を終わらせることができない、とも。
全ては宗教論です。
見える世界でも諸説乱立し真偽不明のことが多いのだから、
見えない世界のこと。
さらに計りようが無い。
自分から死を選ぶほど苦しかった。
自分から命を絶つほど逃げたかった。
くちこも似た思いをしたことがあります。
友達の息子さんが自殺しました。
両親と妻と二人の子供を遺して。
両親の悲しみは如何ばかりか。
妻の悲しみは如何ばかりか。
二歳と零歳の子供は父を知らない子達になりました。
くちこは、遺体を殴りたかったです。
もしも魔法が使えたら、
絶対に生き返らせたかった!!!
健康で屈強な体を持った35歳。
誰にも悟られることなく、
唐突にみんなを置いて逝きました。
くちこは子供の頃、
時々母に脅されていました。
「もしも○○ちゃんが死んだら、お父さんもお母さんもすぐに死んでしまうよ」と。
若い頃、一度、死にたくなった事があるけれど、
「あ、ダメだ、両親が死んでしまう」と思いました。
しかも今思えば、全然たいした事でもないのですが。
14年前、母が亡くなった時にくちこは、
「ああ、やっと、これで死ねる」と思いました。
別に死にたかった訳では無いけれど、
何が何でも、親より先に死んではいけないと思っていたのでね。
一人っ子なのもありますが。
母のように、ちゃんと子供を脅しておくこと。
案外大事なのかな・・・
とりあえず、悪い子を脅しておきました。
「そんな予定は無い」と。
でも、心に刻んでおいてね。
念のため、順次脅しておこう・・・
今日は満月。
久しぶりにパワーストーン類を塩水に漬けています。
今夜、月光に当てるつもりです。
くちこも石と並びます。
一番浄化が必要なのは、
↑京都で、くちこの心を捉えた観音様?です。
それだけ孤独な人が増えたのかなあ。
生きたくても生きられない人もいるのにねえ。
複雑ですね。
生きていて良かったと思える時も来る筈。
でも、どんなに明るい性格でも、フト苦しんだり悩んだりして、消えてしはえたら、なんて考えたことも、こんな私でもありますが、悩むだけで解決しましたよね、やはり(^。^)
主人の同僚が今年自ら命を断ちました。
ついさっき、友人の娘さんが死にたいと言っていると知りました!!
どうか、生きて下さい。
と、願っています☆
今回、偶然帰省した息子にも釘を刺しました。
あり得ないことも、あり得るのが人生と解ったのでね。
くちこも弱い人間ですが、遺される家族の事を思うとね、頑張れます。
母より先に逝くことは絶対したくなかった、たとえ病気でも。
そしてそれは娘達にも、親より先に逝くのは絶対許さないと。
私は無宗教です、先の事は分からないけど、
母はきっと向こうの世界で先に逝った人達に
逢えたと思っています、思いたいです。
自死は絶対ダメと、言っても私自身全く考えたことが
無い訳ではないけど。
自分は良いでしょうが、後に残された人は・・・
頑張ればなんとなる、死んでも解決しないんだから。
京都で、誰も居ない和室の床の間に一人、立っておられました。
有名なお寺なのに、何故、誰も、この部屋のこの観音様を見ないのだろうと思いました。
不思議な絆を感じたのは確かです。
賽の河原、ずっと忘れていた言葉でした。
最後には救われると書いてあってほっとしました。
言葉の感性も、音楽的感性も好きです。
あ、トークも好きです。
昔は、山口百恵も好きでした。
ちなみに同年同月生まれです。
音楽って癒やされますよね。
最近また、ピアノを弾き始めました。
下手ですが。
それがどんなに理不尽なものか痛感しました。
肉親では無いので言えませんでしたが、
若くて健康な五臓六腑、生きたいと頑張っている人に差し上げて欲しかったです。
せめて。
本人にしか解らないですよね。
一つ、はっきりと言えることは、
遺された人達が、ぼろぼろになったということです。
そして天国への切符がGetできると思います。
くちこは、両親を看取り、子供の自立したので、ちょっと安心です。
それでも、生きている間は、色々、楽しんだり、頑張ったり、怒ったり、笑ったりして過ごすつもりです。
知らない間にでも、心は相当傷んでいると思います。
くちこもです。
最後に一番辛いのは孤独かなあ。
とっくにご存知だとは思いますが、
大騒ぎするタイプです。
だから、しぶといと思います。
子供は結構、親の話したこと、心に留めていると思います。
お互い、念だけは押しておきましょう!
本当に辛くなったら遺された人の事は考えられなくなるのでしょうね・・・
でも、思いとどまって欲しかったです。
送られる人のことも、送る人達のことも。
毎回、そう思います。
くちこは、両親とくちことずっと三人家族でした。
父も母も闘病生活が長く、看護に明け暮れる人生だった気もします。
くちこも、こう見えて?苦労人です。
くちこも、結構、仕事や職場の事、ここに触れているので、自分の所在を明らかにすることはできないし、
したらいけないと言われています。
夫家も浄土真宗ですよ。
但し、くちこは死んだらくちこ家の仏壇、お墓に入ることにしています。
ちなみに禅宗です。
痛恨。
くちこは、約束事として、自分の実家の仏壇、お墓に入ると言ってあります。
夫とは、生きている間だけの縁と。
くちこは、早めに両親と別れたので、両親の元に帰ります。
なければならないのです。
この現実界で修行を全うしなければ又生まれ変わって同じ修行をしなければならな
いとか言いますから。
長い人生で誰だって一度や二度死んでしまいたいと思ったことはあるでしょう。
でも、此の世にたった一人でも愛する人や、悲しむ人が居れば自殺など
出来ないはずなのです。
だが、心が病んでしまえばそのコントロールも効かなくなるのでしょう。
京都の観音様一瞬はっとしました。
くちかず子さんはこの観音様に亡くなられたお母様の姿を観られたのじゃないのか
なってね。
何だか慈愛に満ちて見守られている感じですね。
綺麗な観音様だと思いました。
自分のことが自分でできなくなるよりも・・・といつも考えていました。
何度となく危ないことを繰り消し何度目かの正直?やはり思い直すことはできなかったのです。
今もそばにいてくれたら、と考えたりもしますがプライドの高い人で下の世話など誰にもさせませんでしたよ。
健康な体を持っていて自分で命を断つ人がいたら交換可能な臓器を取り替えっこして欲しいと思う私がいます。
話、全く変わりますが 最近私は「ちあきなおみ」の唄声に酔っております。
YouTUBEでたくさん聴けるのでずっとBGMのように聴き続けています♪
くちこさんはどんな歌手がお好きなのかしら?
弟の長男が5才で亡くなった時、つくづくそう思いました。
宗教論については何か言える立場ではないのでなんとも言えませんが、少なくとも親よりは長生きしなくてはいけないのです。
高校3年の時、クラスメートが自ら命を絶ったことを思い出してしまいました。
やっぱり、今思い出しても悲しいです。
自分でもどうしようもない程追いつめられていたのでしょう。
肯定はしませんけどね。
残された人たちの心の傷が
少しでも癒されるときが来ますように・・・・
私は母がこの世にいる間はくたばらない、くだらないトラブルで
お縄ちょうだいしないこれが目標です。
その後はケセラセラで行けたら幸せと思ってます。
何人も命を自ら絶った人見てきたし、あの人がなんて人づてに
聞いたりしましたが、人はそれぞれ理由ありますから非難する
気にはならないです。悲しい、空しさは感じますが・・・。
注:自殺を肯定してるわっけではないです。はい
まだ人生を楽しもうと思ったらいくらでも楽しめる立場だったはずなのに・・・
62歳、何があったんでしょう
後者は、もう一度しっかり言っておかなくてはです。
この年になって、これ以上の悲しみは体験したくないですからね。
死ぬほどの苦しい思いを打ち明けることもなく、自分だけ抱えて
死ぬ人もいるのですね。私にはとても出来ません。
弱虫なので、騒いでしまいます。
一人で逝くには、それなりの理由があったと思いますが、
残されたご家族の悲しみを考えたことがあったのでしょうか。
それも考えられないくらい苦しく辛い日々だったのでしょうね。
とっても辛い出来事でした。
残されたご家族が一日も早く立ち直られることをお祈りしています。
上手く気持ちが書けなくて・・・ごめんなさい。
残された方たち事を思うと、つらくて切なくて。
逝ってしまった方も。
私自身は、自分の生まれたことを「罪と思っていた時期がありました。
死にたいと思うことが無かったとは言えませんが、だからこそ「滅私奉公」(笑)と。
大家族で暮らせば、老いも死も身近でした。
お寺参りをして手は合わせるけど、本当は写真を写したいと考える
どちらかと言えば不届きものですかな。
でも仏像を鑑賞するのは好きで良く出かけますけどね。
それから、ご質問のあった広島の孫のお友達は下山天くんといいます。
ニコラという少女雑誌の男性モデルに採用されて9月号から登場していますね。
それにナショナル自転車のカタログにも昨年には載せられていましたよ。
少し古い映画「大奥」で西田敏行さんの部屋子役でも出演しましたよ。
お盆にも孫を我が家まで送って母親と一緒に来たようですが
私は寝てしまったようで今回は会わずじまいでしたけど。
ニコラネットで見たら177cmですからもう身長は大人並のようですね。
スターダッシュプロモーションの専属なので「天くん」を勝手に写真に写して
ブログに載せることは控えるようにと娘からの忠告なんですよ。
それを乗り越えたあとで振りかえったら、
あの時踏みとどまってよかったとつくづく思いました。
でも私が死んだら大好きな海に散骨して欲しいと思ってますよ。
くちこも、パワーを貰うために京都で神社巡りをしました。
みんな現世では宿題中ですね。
くちこもです。
なかなか合格が貰えません。
親の介護、これで5人目です。
比叡山にも写経をする場所がありました。
くちこも練習帳を持っていますが、やっと半分です。
先月生まれた、夫の初姫孫も、先天性心疾患があります。
最初はファロー四徴と言われましたが、そこまで重症ではないようです。
でも、幼い体で朝晩薬を飲んでいます。
いずれ、手術も・・・
姫孫に幸あれと祈っています。
みんなが何故?何故?と連呼していましたが、
くちこは、先に心が悲鳴を挙げ死んでしまったんだなと・・・
心が病んでしまったら、力を奪われてしまう。
でもね、
弱音、吐いて欲しかったな、と。
やっと楽になれた代償は、あまりにも大きくて。
でも、16歳で狭心症とは・・・・
お母様もお父様も貴女も可哀想。
辛かったですね。
でもお父様は天寿を全うされたみたいで良かったです。
で、くちこも女に生まれて良かったです。
三人の子供を従えることができて(^_^)v
無事に育ち、元気でいてくれること、
本当に感謝です!
みんな、
それぞれ、
定命だったのでしょうか・・・
夫もそうして欲しいそうです。
くちこは50歳で初めて他家に嫁ぎましたが、
縁は生きている間だけと言ってあります。
くちこは死んだら、両親の眠る墓に入り、
くちこ家の仏壇に納まるつもりです。
縁があった人達の、お別れをしたい気持ちを汲んで葬式だけは出すように言ってあります。
香典等は全て辞退で。
どんなに弱音を吐いても、
どんなに文句たらたらでも良いから、
生きて欲しかった・・・・
現生での修行とも言われていますね。
賽の河原ですが、高千穂に行った時に
天岩戸神社の天安河原で石を積んで
祈願をしてきましたよ。
冷気も漂うパワースポットでした。
なぜ、お経が必要なのか。
死んだ人が少しでも安らかになれるようにと。
お水はお供物もあげなくてはね。
私は写経をします。
先祖のため、100枚単位で書いて、お寺に修めます。
目に見えないけど、写経の力はすごいと、実感しています。
元々は、次男が先天性の心臓病で生れたのを機会に始めました。
これからも続けていこうと思っています。
周りを考える力も無くなり、気持ちも立ち直れず
どんなにか苦しかったことでしょうね
どうにもならない、悲しい苦しい日々が続いていたのでしょう
お可哀想に・・
残された、ご家族様の悲しみを思いましても
神様は、きっと最後には、気持ちが楽になられた時をお与えてくださったと、
信じてあげたいですね
安らかな永遠を、お祈りしたいです
悲しみは時間とともに薄れるとは言うものの、私にとっては、時間とともに思い出が鮮明に蘇り、時に、大きな悲しみの波に押しつぶされそうになるのも事実です
悲しみの中で、実父の大きな悲しみを今更ながら思うのです。
1週間の間に、妻と子供の二人を失った悲しみは、計り知れないものです
よく耐えたと思いますよ。
実父の髪がいっぺんに白くなった事で、逆縁の罪深さを知りました。
「お前は嫁げばいい」「私の事は気にするな」と、結婚をためらう私の背中を押してくれたのは実父です
その父も2年半前に急逝しました。
父の死は、くちこさんと同じ感情を持ちました
「これで私も死んでもいい」と・・
私の中で、もし私まで死ぬようなことがあれば、父は生きていけないだろうと、ずっと思っていましたから。。
私の両親も弟も亡くなりました。
でも、女性って幸せですよね
自分の子供を授かる事ができるのですから。。
今、私は、実の両親と暮らした時間よりはるかに長い時間を一緒にする義両親。夫。こども2人。お嫁さん1人。孫2人。
穏やかな日々を送っています
長くなって。。。
死後の世界を描いた仏教の教えは、無知な人間に、恐怖心を与えて、自派の勢力拡大に資する手立てにしたり、あわよくば、物質的な欲望を満たす手段としている様におもえるのです。
歴史的に見れば、大乗仏教に移行して、念仏で成仏できると教えた、法然、親鸞のあたりから、堕落が始まっています。
仏様も、神様も、キリストもアラーも、困ったとき以外は頼りにしません。
mcnjがあの世へ行っても、あの世でどんな生活をしているかは、心配するなと言ってあります。
葬式もしませんし、法事もしません。
墓も作りません。
金だけは置いて行ってやりますので、後家さんや、子供がどうするかは、連中の勝手出よいと思います。
>両親と妻と二人の子供を遺して。
両親の悲しみは如何ばかりか。
妻の悲しみは如何ばかりか。
二歳と零歳の子供は父を知らない子達になりました。
いかなる事情があろうとも、この男性には生きてほしかったです。
生きたくても生きられない人がいるのですから。