日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

自然の恵みと脅威

2005年05月24日 | インポート
小学校の3・4年生頃から、遊びといえば家の裏を流れる「千鳥川」での川遊びが常だった。
フナ、ハゼ、ナマズ、ウナギにツガネなどの手づかみ漁である。

潮が満ちてくると、その潮とともにハゼやボラやウナギなどが上ってきて、釣竿を出すとおもしろいように釣れていた。

潮が引くと、河口付近の干潟ではムツゴロウ掛けやアゲマキ採り、シシ貝採りなど自然の恵みにより、遊びと食卓のおかずの両方を与えてもらっていた。

このようなことは、自然が穏やかでやさしい時のはなしである。

梅雨時に大雨が降るとその様相は一変する。
千鳥川の流域に降った雨が、川を濁流になって流下し、降雨時間が長くなるとその水位が上昇する。

そんな時に、親たちは潮汐による満潮の時刻を気にして神経質になる。
その神経質になっている親の様子を見て、子どもの方は不安になる。
特に台風の襲来する夜中に満潮時刻を迎えるような時には、そのような緊張感は極限に達する。

言うまでも無く、古来からの干拓によって造られた標高の低い低平地域に住んでいる者にとっては、低気圧と満潮と水位が増した上流からの流下水の相関次第で、川の水が溢れて居住地域が浸水することもあるために、高台への避難を考えなければならない。

自然が牙をむき、猛り狂った時の顔であり、自然の脅威である。
私は18歳までこの愛野町に育ったが、記憶に残っているだけでも二回は千鳥川の水が溢れて高台に避難したことがある。

今はどうか。
諫早湾干拓の潮受け堤防のおかげで、豪雨の時にでも下流からの潮水の遡上の事は考えないで済むようになった。
有難いと思っている。

しかし、今の諫早湾干拓のありようでは、漁民の方々の疑念を払拭することはできない。

農水省の役人も、県の役人も、農民も漁民も一般住民も、私と同じ庶民である。
その庶民同士がそれぞれの立場ばかりを主張して、いがみ合っている姿を私は好まない。

諫早湾干拓事業が、後世に誇れるような国営事業となるような解決策を、関係する全ての人々の知恵でひねり出して見つけ出さなければならないと思う。

その事業の是非や経緯は別として、今更引き返せないのであるから。