中国という国が最近よく分からない。
社会主義という自分が体験したことの無い国のことだから、分からないというのが当然のことかもしれない。
国家として歩んで来た歴史や、その教育環境も異なるがゆえの考え方の違いなのかもしれないが。
小泉首相が靖国神社に参拝することがけしからんという。
もし我が国が戦勝国であったとしたならばどうなのだろうか。
きっと靖国神社に祀られている「A級戦犯」と呼ばれている人々も、国家の指導者の一人として活躍されたのかもしれない。
同じ日本人である。
一国の首相が、その祀られている人の過去における立場はどうであれ、戦争という強制的な国事行為により亡くなられた多くの人々が祀られている場所に参拝に行くということは、他国から批判されるような事ではない。
分かりやすい例えをあげてみる。
家族の中に、法を破って死刑を執行された者がいたとしよう。
死刑の執行ということによって、犯した罪を帳消しにすることなどできるものではないが、生きる事が当たり前の人間としては、最高に重い処罰を受けたことになるのではないか。
私だったらその遺骨を受け取り、自分の家の墓に納めて、盆・正月・彼岸にはお参りに行くと思う。
お墓というのは、一人の人を供養する場所ではなく、全ての祖先を供養する場所であるはずであるから。
このように考えると、神道と仏教の違いはあったとしても、小泉首相の靖国神社参拝は他国から非難されるような問題ではないという事が納得してもらえるのではなかろうか。
断っておくが、私は右寄りでも左寄りでもない。かといって中立という訳でもない。
その事象ごとに自分なりの解釈により判断をしているつもりである。
もし中国という国に自尊心があるのであれば、自国の意に反するようなことをしていると思うような国からの「施し」は断固拒否して、それから自国の主張をするべきではないだろうか。
政府開発援助のことである。
自国の技術力で、有人人工衛星を打ち上げて、それを回収できるような国家である。
そのような国へ、自国製の無人の人工衛星の打ち上げにすら失敗をする事があるような我が国が、無償援助などする必要はないはずだ。
そのような事に使うお金があるのであれば、国内の本当に必要な公共工事等のために使うほうが、この疲弊している建設業界をも含めた国民にとっては、はるかに有益であると思う。
勝手な一素人の推測ではあるが、政府開発援助という名目でありながらも、実は戦後保障の一環として実施されている部分があるのではないのかということも、考えられなくも無いとも思っている。
国家間の事は、このような単純な論法では説明できないのだという事は認識しているつもりではあってでも、最近の中国の日本に対する言動を聞くたびに、つい言いたくもなる。
他国の大使館に投石するなどの犯罪行為を実行している自国民に対して、ただ傍観して規制もしないような国から、小泉首相の愛国心的な、誰にも危害を与えないような行為を非難される筋合いのものではないと思う。
週に2回ほどは町内のスーパーに妻とともに食料品の買出しに出かける。
私の好物のおかずの一つはきんぴらごぼうである。
ごぼうが置いてあるコーナーに行くと国産のごぼうの他に「中国産」の表示のごぼうが並んでいる。
中国産の方が国産品に比べて価格は半値程度であるので、以前は中国産の方を買い求めていた。
きっと中国の農家の方々が丹精込めて育てた農産物であろうと思い、ささやかではあるけれども日中友好のために協力しているつもりでいたのだ。
日本製品の不買運動をするということで、デモ行進をやっている。
日本の企業が多く中国に赴き、中国人の労働者を多く雇い入れて、いろいろな物を生産している。
日本製品の不買運動をするということが、自国の経済にどのような影響を及ぼすのかということは考えているのだろうか。
自国の置かれている現状認識がきちんと出来ているのか疑わしい。
最近では、中国産のごぼうは買わないようにしている。
国産の青森県産とか熊本県産のものしか買わない。
価格は中国産に比べて、二倍ほどだが、金輪際中国産のごぼうは買わないように決めた。
中国政府の日本に対する態度への、私に出来る一庶民としてのささやかな抗議の姿勢の表明だ。
かくして、今後は国産ごぼうによる「愛国心的きんぴらごぼう」が我が家の食卓の一品となるのであります。
社会主義という自分が体験したことの無い国のことだから、分からないというのが当然のことかもしれない。
国家として歩んで来た歴史や、その教育環境も異なるがゆえの考え方の違いなのかもしれないが。
小泉首相が靖国神社に参拝することがけしからんという。
もし我が国が戦勝国であったとしたならばどうなのだろうか。
きっと靖国神社に祀られている「A級戦犯」と呼ばれている人々も、国家の指導者の一人として活躍されたのかもしれない。
同じ日本人である。
一国の首相が、その祀られている人の過去における立場はどうであれ、戦争という強制的な国事行為により亡くなられた多くの人々が祀られている場所に参拝に行くということは、他国から批判されるような事ではない。
分かりやすい例えをあげてみる。
家族の中に、法を破って死刑を執行された者がいたとしよう。
死刑の執行ということによって、犯した罪を帳消しにすることなどできるものではないが、生きる事が当たり前の人間としては、最高に重い処罰を受けたことになるのではないか。
私だったらその遺骨を受け取り、自分の家の墓に納めて、盆・正月・彼岸にはお参りに行くと思う。
お墓というのは、一人の人を供養する場所ではなく、全ての祖先を供養する場所であるはずであるから。
このように考えると、神道と仏教の違いはあったとしても、小泉首相の靖国神社参拝は他国から非難されるような問題ではないという事が納得してもらえるのではなかろうか。
断っておくが、私は右寄りでも左寄りでもない。かといって中立という訳でもない。
その事象ごとに自分なりの解釈により判断をしているつもりである。
もし中国という国に自尊心があるのであれば、自国の意に反するようなことをしていると思うような国からの「施し」は断固拒否して、それから自国の主張をするべきではないだろうか。
政府開発援助のことである。
自国の技術力で、有人人工衛星を打ち上げて、それを回収できるような国家である。
そのような国へ、自国製の無人の人工衛星の打ち上げにすら失敗をする事があるような我が国が、無償援助などする必要はないはずだ。
そのような事に使うお金があるのであれば、国内の本当に必要な公共工事等のために使うほうが、この疲弊している建設業界をも含めた国民にとっては、はるかに有益であると思う。
勝手な一素人の推測ではあるが、政府開発援助という名目でありながらも、実は戦後保障の一環として実施されている部分があるのではないのかということも、考えられなくも無いとも思っている。
国家間の事は、このような単純な論法では説明できないのだという事は認識しているつもりではあってでも、最近の中国の日本に対する言動を聞くたびに、つい言いたくもなる。
他国の大使館に投石するなどの犯罪行為を実行している自国民に対して、ただ傍観して規制もしないような国から、小泉首相の愛国心的な、誰にも危害を与えないような行為を非難される筋合いのものではないと思う。
週に2回ほどは町内のスーパーに妻とともに食料品の買出しに出かける。
私の好物のおかずの一つはきんぴらごぼうである。
ごぼうが置いてあるコーナーに行くと国産のごぼうの他に「中国産」の表示のごぼうが並んでいる。
中国産の方が国産品に比べて価格は半値程度であるので、以前は中国産の方を買い求めていた。
きっと中国の農家の方々が丹精込めて育てた農産物であろうと思い、ささやかではあるけれども日中友好のために協力しているつもりでいたのだ。
日本製品の不買運動をするということで、デモ行進をやっている。
日本の企業が多く中国に赴き、中国人の労働者を多く雇い入れて、いろいろな物を生産している。
日本製品の不買運動をするということが、自国の経済にどのような影響を及ぼすのかということは考えているのだろうか。
自国の置かれている現状認識がきちんと出来ているのか疑わしい。
最近では、中国産のごぼうは買わないようにしている。
国産の青森県産とか熊本県産のものしか買わない。
価格は中国産に比べて、二倍ほどだが、金輪際中国産のごぼうは買わないように決めた。
中国政府の日本に対する態度への、私に出来る一庶民としてのささやかな抗議の姿勢の表明だ。
かくして、今後は国産ごぼうによる「愛国心的きんぴらごぼう」が我が家の食卓の一品となるのであります。