十数年ぶりに、島原市の本光寺のところまで行く用事がありました。
本光寺所蔵の地図を、伊能忠敬測量隊が作成した物かどうかを調査するために、伊能忠敬研究会会長の渡辺一郎氏が本光寺を訪問された時に、一度お邪魔した事があります。
200年ほど前の文化9年11月4日(西暦1812年12月7日)から、同年11月19日(西暦1812年12月22日)までの16日間で、伊能忠敬測量隊が、島原半島全域の海岸線(外周)と、雲仙温泉へ至る道路の一部を測量したという記録が残っております。
日本全土の、正確な測量に基づく地図を、歴史上初めて作成したと言われている伊能忠敬が、毎日の測量行程を日記に記録していたので、その様な事を知る事が出来ます。
愛野村の庄屋、深浦九郎左衛門の家に一泊して、そこで天文測量を行ったと記されております。
文書化された情報は、200年の時を経ても、当時の地名などを知る資料として役に立ちます。
情報公開の推進を主張されている奥村市政において、特に議会情報に関しては、どのような方式での情報公開を実施されていくのか、まだはっきりとは見えてきません。
文書化して残る記録(議事録)を、どのようにして公開されるのか、その方針を早く知りたいものです。
豊田かずき
本光寺所蔵の地図を、伊能忠敬測量隊が作成した物かどうかを調査するために、伊能忠敬研究会会長の渡辺一郎氏が本光寺を訪問された時に、一度お邪魔した事があります。
200年ほど前の文化9年11月4日(西暦1812年12月7日)から、同年11月19日(西暦1812年12月22日)までの16日間で、伊能忠敬測量隊が、島原半島全域の海岸線(外周)と、雲仙温泉へ至る道路の一部を測量したという記録が残っております。
日本全土の、正確な測量に基づく地図を、歴史上初めて作成したと言われている伊能忠敬が、毎日の測量行程を日記に記録していたので、その様な事を知る事が出来ます。
愛野村の庄屋、深浦九郎左衛門の家に一泊して、そこで天文測量を行ったと記されております。
文書化された情報は、200年の時を経ても、当時の地名などを知る資料として役に立ちます。
情報公開の推進を主張されている奥村市政において、特に議会情報に関しては、どのような方式での情報公開を実施されていくのか、まだはっきりとは見えてきません。
文書化して残る記録(議事録)を、どのようにして公開されるのか、その方針を早く知りたいものです。
豊田かずき