通勤途上のあちこちで、彼岸花の赤色が、ちらほらと見られるようになった。
稲穂が実りかけた季節に、その姿を決まった場所で、毎年必ず見せてくれる。
その赤い花が開く頃には、熱かった夏の記憶も少しずつ薄れて、肌寒さを感じる時間帯も、わずかではあるが訪れてくる。
海水浴場などの海辺は、祭りの後の静寂のようなたたずまいになり、物思いにふけるには恰好の場所になる。
沈み行く夕陽を眺めながら、人生を振り返るも良し、お腹がすいたならば、きょうの夕飯のおかずは何だろうかと思いをめぐらせるも良し。
私の思索は、絶対に後者になると思うが・・・・・・・。
それよりももっと大切な事がある。
海といえば魚釣りに結びつく。
結びつくという漢字がくれば「結の浜」を連想する。
結の浜防波堤での小魚釣りが、「おいで、おいで」をしている。
最近はしばらく、魚釣りには行っていない。
しばらくといっても、10日間程度。
9月30日までで禁漁期間に入る、諫早市高来町の境川でのヤマメ釣りにも、今シーズンの最後に行ってみたいし、諫早市飯盛町の結の浜防波堤にも行ってみたいが、今週の週末はよんどころなき用事が入っている。
行けるとすれば、来週の週末ぐらいになる。
武田鉄矢さんの「贈る言葉」という歌の歌詞は、卒業式を意識して作った歌ではなくて、夕暮れ時に、自分から逃げてゆく片思いの彼女の背を見て作った失恋の記録歌なのだそうだ。
彼は、失恋するたびに、失恋した相手の女性を思い、作詞をしたのだという。
以下は、贈る言葉の歌詞。
暮れなずむ町の 光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉
悲しみこらえて 微笑むよりも
涙かれるまで 泣くほうがいい
人は悲しみが 多いほど
人には優しく できるのだから
さよならだけでは さびしすぎるから
愛するあなたへ 贈る言葉
夕暮れの風に 途切れたけれど
終わりまで聞いて 贈る言葉
信じられぬと 嘆くよりも
人を信じて 傷つくほうがいい
求めないで 優しさなんか
臆病者(おくびょうもの)の 言いわけだから
はじめて愛した あなたのために
飾りもつけずに 贈る言葉
これから始まる 暮らしの中で
だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを
深く愛した ヤツはいない
遠ざかる影が 人込みに消えた
もう届かない 贈る言葉
もう届かない 贈る言葉
武田鉄矢作詞・千葉和臣作曲
上の歌詞の中で、
これから始まる 暮らしの中で
だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを
深く愛した ヤツはいない
というフレーズは、失恋したほとんどの人が抱いた事がある想いだと思う。
自分の遠ざかる若かりし頃の記憶の引き出しの中にも、そっとしまってあるような気がする。
ウィキペディアによれば、彼岸花の花言葉は、
「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。
「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
なのだそうだ。
武田鉄矢さんの「贈る言葉」を花でイメージするとすれば、彼岸花の歌と言っても、大きくははずれていないように思う。
以下は、ウィキぺディアによる彼岸花に関する解説。
ヒガンバナ(彼岸花、学名 : Lycoris radiata)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。学名の種小名 radiata は「放射状」の意味。
特徴
全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。
道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 - 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5 - 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。
開花終了の後、晩秋に長さ30 - 50cmの線形の細い葉をロゼット状に出す。葉は深緑でつやがある。葉は冬中は姿が見られるが、翌春になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。つまり開花期には葉がなく、葉があるときは花がない。
人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのを見かける。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であったことを示すと見るべきである。
また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、種子で増えることができない。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。
有毒性
全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなど)を多く含む有毒植物。誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたることもある。
水田の畦や墓地に多く見られるが、以下のような目的の為に人為的に植えられたためと考えられている。前者の場合ネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、後者の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐため、ただしモグラは肉食のため、ヒガンバナに無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まない。そのためにこの草の近くにはモグラが来ないともいう。
有毒なので「農産物ではない」つまり年貢の対象外とされたため、救荒作物として田畑や墓の草取りのついでに栽培された。
鱗茎はデンプンに富む。有毒成分であるリコリンは水溶性であるため、長時間水に曝せば無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある。また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもある。
鱗茎は石蒜(せきさん)という生薬名であり、利尿や去痰作用があるが、有毒であるため素人が民間療法として利用するのは危険である。ちなみに、毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されている。
名前
彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。上記の飢餓植物としての面から一考する価値はあると思われる。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。また、"天上の花"という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである(近縁種ナツズイセンの花は白い)。『万葉集』にみえる"いちしの花"を彼岸花とする説もある。「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」(11・2480)また、毒を抜いて非常食としている事もあるので、悲願の花と言う意味もあるが一般的には危険である。
異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあるが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。欧米では園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある。日本での別名・方言は千以上が知られている[4]。
また、韓国ではナツズイセン(夏水仙)のことを花と葉が同時に出ることはないから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華」と呼ぶが、彼岸花も同じく花と葉が同時に出ることはないので彼岸花も相思花と呼ぶことが多い。
日本では上記の「花と葉が同時に出ることはない」という理由から「葉見ず花見ず」とも言われる。
学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。
その他
季語・花言葉
秋の季語。
花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。
「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信
花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になると言われている。
以上は、ウィキペディアによる彼岸花の解説。
以上の説明を読めば、
鱗茎はデンプンに富み、有毒成分であるリコリンは水溶性であるため、長時間水に曝せば無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある、ということから、田んぼのあぜ道などで多く見かけることにも納得が出来る。
また、毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されているということなど興味深い。
彼岸花の咲く季節は、いろいろな感傷に浸る時間を連れてくる。
豊田一喜
稲穂が実りかけた季節に、その姿を決まった場所で、毎年必ず見せてくれる。
その赤い花が開く頃には、熱かった夏の記憶も少しずつ薄れて、肌寒さを感じる時間帯も、わずかではあるが訪れてくる。
海水浴場などの海辺は、祭りの後の静寂のようなたたずまいになり、物思いにふけるには恰好の場所になる。
沈み行く夕陽を眺めながら、人生を振り返るも良し、お腹がすいたならば、きょうの夕飯のおかずは何だろうかと思いをめぐらせるも良し。
私の思索は、絶対に後者になると思うが・・・・・・・。
それよりももっと大切な事がある。
海といえば魚釣りに結びつく。
結びつくという漢字がくれば「結の浜」を連想する。
結の浜防波堤での小魚釣りが、「おいで、おいで」をしている。
最近はしばらく、魚釣りには行っていない。
しばらくといっても、10日間程度。
9月30日までで禁漁期間に入る、諫早市高来町の境川でのヤマメ釣りにも、今シーズンの最後に行ってみたいし、諫早市飯盛町の結の浜防波堤にも行ってみたいが、今週の週末はよんどころなき用事が入っている。
行けるとすれば、来週の週末ぐらいになる。
武田鉄矢さんの「贈る言葉」という歌の歌詞は、卒業式を意識して作った歌ではなくて、夕暮れ時に、自分から逃げてゆく片思いの彼女の背を見て作った失恋の記録歌なのだそうだ。
彼は、失恋するたびに、失恋した相手の女性を思い、作詞をしたのだという。
以下は、贈る言葉の歌詞。
暮れなずむ町の 光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉
悲しみこらえて 微笑むよりも
涙かれるまで 泣くほうがいい
人は悲しみが 多いほど
人には優しく できるのだから
さよならだけでは さびしすぎるから
愛するあなたへ 贈る言葉
夕暮れの風に 途切れたけれど
終わりまで聞いて 贈る言葉
信じられぬと 嘆くよりも
人を信じて 傷つくほうがいい
求めないで 優しさなんか
臆病者(おくびょうもの)の 言いわけだから
はじめて愛した あなたのために
飾りもつけずに 贈る言葉
これから始まる 暮らしの中で
だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを
深く愛した ヤツはいない
遠ざかる影が 人込みに消えた
もう届かない 贈る言葉
もう届かない 贈る言葉
武田鉄矢作詞・千葉和臣作曲
上の歌詞の中で、
これから始まる 暮らしの中で
だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを
深く愛した ヤツはいない
というフレーズは、失恋したほとんどの人が抱いた事がある想いだと思う。
自分の遠ざかる若かりし頃の記憶の引き出しの中にも、そっとしまってあるような気がする。
ウィキペディアによれば、彼岸花の花言葉は、
「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。
「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
なのだそうだ。
武田鉄矢さんの「贈る言葉」を花でイメージするとすれば、彼岸花の歌と言っても、大きくははずれていないように思う。
以下は、ウィキぺディアによる彼岸花に関する解説。
ヒガンバナ(彼岸花、学名 : Lycoris radiata)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。学名の種小名 radiata は「放射状」の意味。
特徴
全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。
道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 - 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5 - 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。
開花終了の後、晩秋に長さ30 - 50cmの線形の細い葉をロゼット状に出す。葉は深緑でつやがある。葉は冬中は姿が見られるが、翌春になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。つまり開花期には葉がなく、葉があるときは花がない。
人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのを見かける。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であったことを示すと見るべきである。
また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、種子で増えることができない。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。
有毒性
全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなど)を多く含む有毒植物。誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたることもある。
水田の畦や墓地に多く見られるが、以下のような目的の為に人為的に植えられたためと考えられている。前者の場合ネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、後者の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐため、ただしモグラは肉食のため、ヒガンバナに無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まない。そのためにこの草の近くにはモグラが来ないともいう。
有毒なので「農産物ではない」つまり年貢の対象外とされたため、救荒作物として田畑や墓の草取りのついでに栽培された。
鱗茎はデンプンに富む。有毒成分であるリコリンは水溶性であるため、長時間水に曝せば無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある。また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもある。
鱗茎は石蒜(せきさん)という生薬名であり、利尿や去痰作用があるが、有毒であるため素人が民間療法として利用するのは危険である。ちなみに、毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されている。
名前
彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。上記の飢餓植物としての面から一考する価値はあると思われる。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。また、"天上の花"という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである(近縁種ナツズイセンの花は白い)。『万葉集』にみえる"いちしの花"を彼岸花とする説もある。「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」(11・2480)また、毒を抜いて非常食としている事もあるので、悲願の花と言う意味もあるが一般的には危険である。
異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあるが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。欧米では園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある。日本での別名・方言は千以上が知られている[4]。
また、韓国ではナツズイセン(夏水仙)のことを花と葉が同時に出ることはないから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華」と呼ぶが、彼岸花も同じく花と葉が同時に出ることはないので彼岸花も相思花と呼ぶことが多い。
日本では上記の「花と葉が同時に出ることはない」という理由から「葉見ず花見ず」とも言われる。
学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。
その他
季語・花言葉
秋の季語。
花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。
「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信
花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になると言われている。
以上は、ウィキペディアによる彼岸花の解説。
以上の説明を読めば、
鱗茎はデンプンに富み、有毒成分であるリコリンは水溶性であるため、長時間水に曝せば無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある、ということから、田んぼのあぜ道などで多く見かけることにも納得が出来る。
また、毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されているということなど興味深い。
彼岸花の咲く季節は、いろいろな感傷に浸る時間を連れてくる。
豊田一喜