日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

墓掃除

2012年07月22日 | インポート
3連休ともなると体がなまってしまう。

初日はアジゴ釣り、2日目は法事、3日目は午前中を何となくゆったりと過ごす。

せっかく減少傾向にある体重が、体をあまり動かさないで、食べ物がおいしく、いくらでも入っていくので、増加傾向に転じている。

という訳で、午後は体を動かして、明日からの竹松遺跡発掘のアルバイト作業に備えるための体調作りも兼ねて、墓掃除をすることにした。

我が家の墓は、家から見える、車で3分ぐらいの場所の高台の斜面にある。

父が若かった頃、祖父と共に人夫さんを雇って、墓石を人力で運び上げて作ったという。

その当時は、うちの墓所まで通ずる徒歩道があったそうだが、昭和32年の諫早大水害の折の豪雨により斜面が崩れて、その徒歩道は無くなってしまったのだそうだ。

私が物心付いてから、父に付いて墓掃除や墓参りに行くようになった頃には、家の墓まで行くには、よそ様の墓所の敷地を通らせてもらわなければ行けないようになっていた。

刈払い機と金属製の熊手を持ち、腰には熱中症を予防するための水分補給のための水筒をぶら下げて、本日もよそ様の墓所を通らせてもらって家の墓所まで行った。

この前に墓掃除をしたのは、3月の彼岸の中日の少し前だったので、4ヶ月近く草が伸び放題になっていて、膝丈ほどの高さになっていた。

午後2時ごろから、刈払い機のエンジンをかけて、膝丈ほどに繁茂した雑草を刈り倒す。

通らせてもらうよそ様の墓所の草も、一部を刈り取らせてもらう。

ついでだから、家の墓所の周辺の空き地に繁茂している雑草も、途中にある無縁墓に生えている草も刈り取らせてもらう。

刈払い機を使っての除草作業だから、たいした作業でもないので、墓掃除の時にはいつもそのようにしている。

それらの全てを含めた面積は、一畝(ひとせ)ぐらい(10m×10m)になろうか。

墓の面倒を見る人がいなくなって無縁墓になっている墓所にはかかわるな、かかわればその墓に入っている人に取り付かれるなどと言う人もいるが、墓所をきれいにしてもらって悪い気がする魂はいないだろうという考えで、私はいつもそのようにしている。

そのようにかなり広い範囲の除草作業になってしまうので、途中で刈払い機の燃料が切れてしまった。

腰にぶら下げていた水筒の水も飲み干してしまったので、一度家に帰り、刈払い機の燃料の補給と、水筒の水の補給をして、墓に供える水を2リットル入りのペットボトル2本分持って再び墓へ。

残っていた雑草を切り倒してから、熊手でかき集めて、崖になっている所に寄せて落とす。

家の墓のすぐ脇は、今は崩れて崖になっている。

崩れる前にはそこに徒歩道があったのだそうだ。

そのような作業が済んだ後に、石塔に供えているコップや茶わんをきれいに水洗いして、水を満たす。

「南無阿弥陀仏」を刻んであるメインの石塔と昔からの石塔などがあり、合計6箇所に水を供える。

そして、メインの石塔の上から水をかけて墓を清める。

本来ならば、花立の水も交換して花も飾り、線香を持ってきてお参りするところだが、今回はお盆の前の予備の墓掃除という事で、そのような準備はしていなかった。

墓に手を合わせてお参りを済ませた頃には、午後5時を回っていた。

これでお盆前の本式の墓掃除が、だいぶ楽になった。

墓掃除と墓参りをすると心が落ち着く。

休みの最後の日に、いい汗をかく事が出来た。


豊田一喜










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