川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

朴信江さんサルプリ舞  韓国舞踊発表会

2011-09-23 11:38:13 | 映画  音楽 美術など

9月22日(木)晴れ夕方から小雨

 「趙寿玉チュムパンの会」の「韓国舞踊発表会」に行ってきました。渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール。

 「韓国舞踊」の良さが何も分からない僕が喜んで出かけたのは招待主の朴信江(パク・シンガン)さんの晴れ姿を見てみたかったからです。長年の友人です。

 会場でお連れ合いの河さんに会いました。こんな日を迎えるまで妻の活動を影で支えてきたに違いありません。

 この会場には両脇に座布団席があり、僕はおお助かり。舞台に一番近い席で両足を伸ばして見ることが出来ます。こうすると足の冷えを少なくすることが出来るのです。

 配られた「会報」に信江さんの「つぶやき」が載っています。

 ‥サルプリ舞の練習中に、先生が「自分のこれまでの人生を振り返るように」とおっしゃいました。右手を少しずつ上にあげ、前に一歩進むその時に、それだけのものを振り返る。左手を上から下におろす時も「遠くに何か大切な思いを届けて」とも。

 どんな衣装の踊りでも、表現するのは自分の中の思い。踊り続けた年月を振り返ると、いろいろなことがありました。踊ることで自分を見つめ、乗り越えることができました。修行の場であり、癒しの場でありました。‥

 間に短い休みはありましたが2時間を超える熱演が続きました。この文章を読んでいたせいか「サルプリ舞」が印象に残っています。信江ちゃんは今何を思い出しているのか、どういう思いを届けようとしているのか、あれこれと想像しながら見たことでした。

 子育ての時期もそれが一段落した今も母として妻として社会人として一生懸命生きてきた人です。その人生がこの踊りの中に昇華して生きる喜びを感じさせてくれるのでしょう。心からの拍手を贈りました。

 2009年12月14日に見た趙寿玉さんの踊りは忘れられません。氷雨ふる新潟港の埠頭でした。

  「趙 寿玉(ちょう・すおく)さんの鎮魂の踊りは形容のしようがありません。雨と風の中で舞う趙さんと招き寄せられた諸霊たちが交遊しています。50年の恨みを語り、やっと会えた喜びに抱き合っているのでしょうか。雨の地べたに半跏して祈る姿はただごとではありません。この方の修業の極相に立ち会っているようです。」

   「川越だより」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091215

 趙さんの活動日誌にはこうあります。踊られたのはやはり「サルプリ舞」だったようです。

 

  12月14日(月)新潟港(新潟市) において、新潟港追悼集会「あの日を…忘れない」 に参加。 

         サルプリ舞を踊る。 

 

 「北」の地で50年の恨みを抱えたままさまよう在日コリアン帰国者や日本人妻の諸霊とたしかに出会っているように見えたのです。この場面を目撃できたのはほんの数十人でした。信江さんもその一人です。

 ぼくはどうしても思ってしまいます。舞踊家であれ、音楽家であれ、小説家であれ、人間であれば、ましてコリアン系の人々や日本人であれば、「北」の地で50年間も助けを求める人々の思いに心を致し、行動を起こさないでどうして「生きている」といえるのか。

 これもまた僕の正直な気持ちです。芸術家、表現を仕事とする人に特に聞いてみたいことです。

 参考資料●サルプリ舞http://iruchi.com/dance/sarupuriサルプリ舞