本格的西部劇。
1889年。
無法時代の終焉と、それに伴う
「法の時代」への移行期の歪ん
だ権力を描く。
主人公は冴えない少し抜けてい
る老境の牧童だ。
だが、仲間を思う心と義侠心は
他の誰よりも澄んでいた。
そうした主人公が47年来の殺さ
れた友のために銃を取る。
最初は敵討ちのためだったが、
その殺人事件にはどす黒い権力
欲の真相が隠されていた。
親友であり雇い主でもあった
牧場主の殺害事件の犯人にされ
てしまった主人公は、真実を
訴える為よりも、友への弔い
のために立ち上がるのだった。
「カッコいいガンマン」が主人公
ではない西部劇だが、良作。
トミー・フラナガンが演じる主人
公レフティは、半世紀以上前の
イーライ・ウォーラックを彷彿
とさせる。イーライは悪役だった
が、この作品でのトミーは、朴訥
すぎる真面目な牧童を演じきって
いて好感がもてた。演技も巧い。
さあ。
年末年始には西部劇映画を観まく
ろうと思っている。
最低50本は観るつもり。
高校の時、S特進クラスの担任は
元早大社学同だった。私の人生に
一番大きな影響を与えた人物だっ
た。
その担任は「映画は年間200本観ろ」
と言った。
まだビデオもDVDも存在しない
時代にだ。
ほぼその数近くを観た。フィルム
センターや夜の文芸座や三百人劇
場や高校近くの「映画館」という
喫茶店で。
そして、何が見えたか。
見えないものが見えて来た。
見えない敵はまだ見えなかったが、
18才になる手前で見えて来たもの
はあった。
その担任は私が卒業すると同時に
うちの高校を見限って開成に転勤
した。副校長(教頭)にまでなっ
たようだ。早稲田文学の人だった。
その後、今世紀に入りネットで
愛知県の中高一貫進学校の校長
になったのを知った。
スヌーピーみたいな顔をした人
だった。
恩師だが、私が社会人になり、
二人で飲んでいても痛快だった。
理知的な広島県出身の人。
私が知る「知性の人」は弘中
淳一郎氏と高校時代のその担任
だった。
映画を観る事の喜びの薫陶は
担任教師だった彼から受けた。
高2のある日。
担任は現国の授業の時に言った。
「君たちは僕のこのくだらぬ
講義など聞いているよりも、
鎌倉の海に行って、海を眺めて
いたほうがずっと為になる」と。
翌朝、私は地下鉄には乗らず、
山手線で東京駅まで行き、そこ
から横須賀線に乗って北鎌倉で
降りた。
そして徒歩で鎌倉の海岸に出た。
北鎌倉から海岸までは2.5km程
だ。鎌倉駅で下りずに北鎌倉を
選んだのは、平日とはいえ、喧
噪が感じられる鎌倉駅を避けた
からだった。
湘南海岸に出て、暫く由比ガ浜
で海を眺めていた。
かなり時間が過ぎてから、私は
砂を払って立ち、稲村ケ崎まで
歩いた。
江ノ電に乗ってから幼い頃に育
った町である藤沢で湘南電車
に乗り換えた。
そして、都内に帰った。
日はとっぷりと暮れていた。
翌朝、学校で担任が言う。
「おまえさんは、昨日なんで
登校しなかったのだ?」と。
「鎌倉の海を見てました」と
私は言った。
すると、さすがの早大番外地の
今は教師というやくざな稼業の
彼も呆れていた。
なぜやくざな稼業か。
早稲田の人間は大学を中退して
やりたい事をやるのがまともな
のである。
早大一文にいながらあの激動の
時代に教職課程もちゃっかり履
修し卒業して、教師になって安
定した職業を得るなどは、早稲
田人からしたら番外地であり、
やくざな稼業なのだ。そういう
のは慶應の奴らがやる事だ。
残念ながら今は早大第一文学部
は学部そのものが消滅した。
個人的にも言い知れぬ寂しさも
あり、残念だが、それでいい。
それこそが早稲田ぽいからだ。
海老色イモダサ大学に栄光あれ。
いや、大学当局などはどうでも
いい。学生たちにこそエールを
送りたい。「縮こまるな」と。
これはすべての大学生諸君に。
大学は就職予備校じゃねえんだ
から。
そして、なにが本当はやくざな
稼業であるのか、本作『ワイル
ド・ウエスト 復讐のバラード』
は私たちに教えてくれる。