私は好きでこの97年式G2に
発売の250も、ブレーキングし
ながらコーナーに突っ込むと、
フレームがよじれた。
ると別な部分に不具合が発生す
と感じる。
排ガス規制で消えた名車は多い。
それを以て名車とはいえない。
言うとしたら間違いだ。
名車の要件は別なところにこそ
ある。
バンク角で峠を攻めるオートバイ
ではない。これでいい。
ヒントを得て完成した、とは
XSR700を作ったヤマハの開発
総責任者本人の言葉だ。
まった。
から3年後だった。
バイ」を好む人たちには日本
でさえも歓迎された。
ちょうど50年前の13才中1。
既にヒール&トゥで四輪は操縦
していた。
四輪も二輪もヒール&トゥや
ブリッピングは大切。
それの慣いはまずイメトレから。
イメトレはかなり大切。
だが、アクセル開度によるツキを
掴んで繊細なアクセルワークをす
るのは、実践しかない。
イメトレは大切で、例えば筑波で
あっても、目をつぶって実走と
同じように周回する。
すべて実践と同じ操作のイメージ
で。
二輪レーシングライダーがよくやる
イメトレだ。
そして、タイム計測して、自分が
走る実走とぴったり同じタイム
ならば、そのイメージは正確だ。
そして、実走訓練と併せて考える。
どこを詰められるかを。
実はイメトレは、剣道や抜刀術でも
極めて有効な稽古方法である。
ローバーミニ旧型の場合、ヒール&
トゥではなく、サイド&トゥのよう
な位置関係だった(笑
あの車のみ、クラッチに負担をかけ
ないように、信号停止直前にはNに
入れていた。
オートバイでも、私は信号停止や
駐車場所への停止の際には、車体
停止の前にNに入れて滑走してい
る。
これは教習所では×の乗り方。
だが、止まる時に、停止後に二輪
でガチャガチャとギアを下げる事
は私の場合には一切無い。
そして、エンジンに負荷をかける
エンブレ使用での制動や減速は私
の場合にはやらない。
二輪の場合は、ブレーキングしな
がらのブリッピングシフトダウン
が四輪でのヒール&トゥに該当す
る。
四輪車でも状況によっては必要だ
が、二輪車ではオートシフター
装着車以外では絶対に必要な
操作がブリッピングだ。
ブレーキレバー4本掛けではスロッ
トルを煽ってエンジン回転を同調
させるブリップはできない。
最近、オートバイに極度に乗れな
い人が大量に日本にいるのは、も
しかすると四輪車もマニュアル車
を運転できない人たちだらけだか
らではなかろうか。
実は四輪車もオートバイのように
すべてマニュアル車にすれば、
アクセルとブレーキの踏み間違え
などという呆れる間違いは起きな
い。
だが、あの誤操作の蔓延は、「足
を浮かせて踏みかえる」という
大嘘教えがはびこったゆえだ。
原因はそれ。高齢者がどうのこう
のではない。
足を空中に上げてから踏みなおす
という危険で不安定な事を「正し
い」と教え込んだ結果が今だ。
足の踵を床に着けて、左右で扇形
に足先を動かす操作をすれば、
アクセルとブレーキの踏み間違い
などは物理的に発生しようがない。
だがその安全な操作を教習所や
警察では「誤った操作」として
させないようにしている。
その大嘘の結果が、踏み間違え
事故の多発原因となっている。
しかし、嘘を指導しているのは
お上とその腰巾着たる教習所だ。
事故原因が自分たちの誤操作
指導にあるとは絶対に認めない。
また、その大嘘を指摘するモー
タージャーナリストも一人も
いない。プロのモータージャー
ナリストは真のジャーナリズム
精神などは皆無で、御用学者
よろしくお上とメーカーのひも
付きのイエスマンしかいないか
らだ。
結果、踏み間違え事故は無くな
らない。
高齢者の加齢による判断ミスで
あるかのように虚偽報道するば
かりで。
バイク歴一年未満の二十代女子、
小さなバイクで旅に出ました
【モンキー125】
もう引き返せない、人生初のバイク旅!#2
乗れてる。
乗れる乗れないは機種や排気量は
関係ない。
乗れる人は乗れるし、乗れない人
は乗れてない。
オートバイの楽しみ方はいろいろ
ある。
ただオートバイを走り込みのため
だけのマシンとして使うのもその
一つだろう。
だが、オートバイで見知らぬ世界
に行く楽しみを捨象しては、二輪
の楽しみの8割以上を捨て去って
いる事は間違いなく、それはとて
も勿体ない。
オートバイと共に行く。果てしな
く。
これ、かなり二輪車での楽しみの
大きな部分を占める。
車でもいいじゃないか、なのでは
ない。
寒いし暑いし汚れるし、そして何
よりも危険なオートバイという乗
り物で共に行く事に意味がある。
手作り料理でなく、レンジでチン
でいいじゃないか、というのとは
違うのに似ている。
そこには一つの「豊かさ」がある。
苦難と共にある人間的な豊かさが。
実利だけ優先するならば、人は
あえて二輪車になどは乗らない。
だが、人の中には二輪に乗る種族
がいる。
それは、その種族が「二輪乗り」
だからだ。
単に特定区間を走らせる事だけ
を選択しているのは「二輪乗り」
ではない。つまり乗り屋でもない
ただの「走らせ屋」でしかない。
オートバイ乗りはオートバイに
乗って見知らぬ世界に走り出す。
たとえ、それが闇夜であっても。
モーターサイクルロードレースと
いうスポーツがある。モーター
スポーツだ。
だが、レースというものは、最初
は旅から始まった。
自転車でもレースが「ツールド~」
とあるのは、それは二輪車での
遠路の道行きの旅から始まった
からだ。
オートバイで道を行く。
独りで。あるいは友たちと。
車や電車ではない。
あえて悪条件の二輪で行く。
ある時には目的地を定めて。
ある時には、行き先を決めずに。
走る道の一つ一つ、風景のすべて
に出会いがある。
オートバイで外に出る。
自分の知らない世界へ。
オートバイは連れて行ってくれる。
そして、その道程の中で、オート
バイと対話しながら走る。
景色の中に溶けながら。
オートバイはそれがいい。
カワサキの400新型。
なぜかカッコよく見える。
いてNSRより加速が速かっ
たKR-1のハンドリングや、
その後のゼファー400、ゼ
ファーχのハンドリングの良
さはあまりクローズアップ
判りやすい例。
車種が違っても、乗り方は同じ。
車体のポジションが異なるだけ
で、乗る際の要点はどの車両で
も同じだ。
同じオートバイなのだから。
ただ、私の乗り方は、「現代に
おいての多数派(1980年代に
はごく少数派)」の人たちとは
根本的に異なる。
私は16才の高校1年の公道乗り
始めから今のスタイルだが、
始まりが別方向だと、たぶん
ずっとそのままで終わるだろう。
その違いは、走りの為の走りか、
そうでないかの違いだ。
単なる移動手段として二輪を
利用流用している人たちとは
まるで違う乗り方を私はする。
同じオートバイでもそういう
二分の方向性が現実に確実に
存在する。
それは起点からすでに二股に
分かれた道のようなものだ。
乗り方走り方の方向修正をした
いならば、スタート地点に戻ら
ないと、行く先で合流は絶対に
しない。
そして、その戻るという事は、
考え方を基本基礎に戻すという
事でもある。
しかも、間違った方法を基本と
思い込むことは拒否して。
間違った事を間違った事として
認識できる素養を自らの手で育
てないとならないし、そうした
自分に厳しい視点を持つ勇気が
ないと、進む先もそれなりの地
点でしかない。(たぶん行き止
まりか崖で道が途切れている)
この動画は消される可能性があるので消される前に多くの方に見ていただきたいです。#緊急事態条項反対 デモ開催中 #壊憲発議させるな #憲法壊悪反対#クリスマスイブpic.twitter.com/kVzXWcA156
— 柚子姫🐾@れいわ消費税は廃止 (@pDyvhzFJAIAJe90) December 23, 2023
20年以上前、前世紀から今世紀
トラクションを得るためにタイヤ
には面圧をかけて乗る。
タイヤは傾けるのではなく、潰す
感じ。
S字の切り返しでは、減速が必要
な速度とレイアウトなら、ブレー
キングとブリッピングシフトダウ
ンと体重移動をすべて同時に淀み
なく短時間でジェントリーに緻密
に円滑に行なう。
ガチャガチャした雑な動きではな
く、「そこはツルンとしていた」
というような滑らかな動きで。
それらを同時に行ないながらコー
ナーに突っ込んで行く操縦をする。
私の場合、深い左コーナー手前の
緩い右S字では平乗りをする。
広島県三原の竜王みはらしライン
でも1ヶ所だけ平乗り(1987年に
は清水選手も筑波1ヘア手前で採
用)をするコーナーがある。
平忠彦のタイラ乗り。
他選手も2年後には採用した。