怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

人質の朗読会

2013-06-28 18:46:36 | 
久し振りの純文学です。
小川洋子の作品は、ドラマチックでもなく、ワクワクするでもなく、涙が止まらないわけでもないのですが、心に沁みいる生きてる喜びと悲しみをじわじわっと感じます。
この本も特になんでもない9篇の話なんですが、心に感じ入るのです。

ある国で反政府ゲリラに拉致された日本人8人。元猟師小屋の山岳アジトに拉致され人質になってから100日以上たって、特殊部隊がアジトに突入し、人質8人も全員死亡した。
2年後、人質たちの声の入っているアジトの盗聴テープが公開された。アジトを盗聴していた特殊部隊の盗聴班の個人(彼が9番目の物語の話し手になる)の判断で遺族に渡されたものでした。そのテープには人質になった8人が自ら書いた話しを朗読する声が残っていた。人質たちが退屈な時間を紛らわすための手段だったのだろう。
テープを聴くと8人の人質たちの話が始まる。その夜の朗読会の順番に当たっている人のごそごそという気配。慎み深い拍手。華やかさとか興奮とは無縁の、遠慮がちで今にも消え入りそうな、しかしこれから語られる物語への敬服の念に満ち溢れた拍手。
それぞれが個人の心に残る思い出と言うか経験して感じたことから紡ぎだされる物語なのですが、極限状態にもかかわらず、淡々と自らの心にとどまっている思いが語られている。それは、その場限りの単なる時間潰しなどではなく、彼らの想像を超えた遠いどこかにいる、言葉さえ通じない誰かのもとに、声を運ぶ、祈りにも似た行為。
はるか以前、友人の嫁さんが、まだ婚約者だった頃一緒に飲んでいて「人は誰でも自分の人生に物語を持っていて、どんな人でも一篇の小説を書くことが出来る」なんてことを言っていたが、まさにそんな物語です。その時は彼女は年上だったので、上手いこと言うなという思いと共に、すれている奴だなと思っていた(すいません、反省しています)のですが、今、自分の人生を振り返って、一篇の小説を書くことが出来るのでしょうか。この本に出てくる話は特になんと言うこともないありそうでありそうもない話ばかりで、自分の経験とは全く違うお話ばかりなのですが、自分の心の奥底に、これとは違った物語があるのではと静かに越し方を振り返えらせる力がこの本にあります。振り返っても朗読できるような物語を何も持っていない人生に愕然とするのですが、私の場合はやっぱり情けない失敗談で笑いをとる路線なんでしょう。
全く話は別なんですが、丁度この本を読む前に、あさのあつこの「うふふ」と言うエッセイを読んだのですが、小川洋子もあさのあつこも岡山県人。今でも岡山在住です。エッセイでは特にそうですが、何処となく岡山弁が出てきて、こちらもなんだか染まってしまいます。「おえりゃあせんのう(これは長門勇)」。岡山の乾いた大気が文学の素養を育てるのでしょうか。
「博士の愛した数式」もよかったですけど、この本も負けずによかったです。でも映画化は難しいでしょうね。
コメント
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