三種の神器は今どこにあるのか、壇ノ浦の合戦で海の底にあるのか。南北朝の騒乱の中で行方不明になって今あるといわれているのは偽物?
本体は今も変わらず無事に(どうもまともに漢字変換できません)
・八尺勾玉は東京の宮中に鎮座
・八尺の鏡は伊勢の内宮に鎮座
・草薙剣は、名古屋熱田神宮に鎮座
ちなみに宮中には鏡と剣の形代がちゃんと鎮座していて、鏡は賢所に、剣は玉と一緒に天皇皇后両陛下の寝室の隣に設けられた剣璽の間に安置されているとか。
この三種の神器についてそれぞれの由来を考察し、何故三種なのか、そしてその意味は何かを大胆に考察したのがこの本です。確たる知識がないので鋭い論旨とその結論には異論を挟むことが出来ませんが、通説(?単にこんなもんかなと感じていただけのこと?)とは違って、ある意味目からうろこなのですが、ほんまでっかと言いたくなる部分もあります。牽強付会と言うか独断と偏見で切りまくると言うかすこし古田武彦と似たような印象を抱くのですが、どうなんでしょう。邪馬台国は北九州にあり、卑弥呼の墓は宇佐神宮にあると断言されると、それはそうかもしれないけれどいろいろ議論はあるしな~となります。確か半村良の「闇の中の黄金」でも邪馬台国「宇佐」説だったけど、そうなるとSF小説のレベル?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/30/9787d22c50358681099661d818762cd4.jpg)
この中で草薙剣については、いつも散歩コースにしている熱田神宮が今年1900年祭なので余計関心があるのですが、いくつか実見記録があるとか。代表的なものは「玉籤集裏書」なのですが、どこまで真実かは定かでありません。この証言どおりなら、両刃の白銅剣となります。この草薙剣はヤマタノオロチの体内から取り出された剣ですが、そのオロチを退治した剣はどうなったのでしょうか。それは鹿島神宮(藤原氏の氏神です)の神宝(国宝です)となっているそうです。藤原氏はスサノオの子孫と言うことでしょう。
それにしてもヤマトタケルが東征に際し伊勢神宮で叔母の倭姫命から授けられのだが、大事な剣を忘れてしまって亡くなるのもなんだし、それをそのまま熱田神宮に祀るというのもなんでしょう。本来ならもう一度伊勢神宮なり朝廷に帰すべきではないでしょうか。そうならなかったのは、熱田神宮に祀られた草薙剣が、授けられた剣ではなく、「尾張氏」の神器だったからではないのか、渡来氏族・尾張氏がもともと保有していた氏祖伝来の「渡来の銅剣」で、熱田社はそれを祀る氏神社だったと言われると頭の中がどんどん混乱してしまいます。
それでは本当の草薙剣はどこにあるの?筆者によるとそれは内反り片刃の鉄製素環頭太刀で石上神社に収められ、後に禁足地から発掘された。
ちなみに宮中にある分身の剣は片刃直刀の鉄刀(推測ですが)で順徳天皇が伊勢神宮から取り寄せている。そうだとしたら何故朝廷は熱田神宮に祀られる剣を草薙剣として認めているのでしょう。それも公式に千年以上の長きに亘って。そこまで処遇しなければいけない尾張氏とはいったいなんだったのでしょう。大和朝廷との関係は?
熱田神宮は三種の神器の一つの現物を祀るにもかかわらず、社格としては伊勢神宮とは同格になりえない理由はそこにあると言われると、ことがことだけに確認しようもなく、なるほどと思うのですが、完全には納得できない気持ちが残ります。
もちろんこの本で主張していることは草薙剣の由来だけでなく日本という国家における三種の神器の持つ意味を深く考察しています。
鏡はまさに天照大神の依り代といわれるとそうかなと思いますし、勾玉は8つのうち4つがニギハヤヒの神宝で4つはオオクニヌシの神宝といわれると答えようがありません。
賛成しかねる部分もありますが、新しい知見も多く、よく分からないけどなんとなく説得力もあって知的興奮を覚えます。
本体は今も変わらず無事に(どうもまともに漢字変換できません)
・八尺勾玉は東京の宮中に鎮座
・八尺の鏡は伊勢の内宮に鎮座
・草薙剣は、名古屋熱田神宮に鎮座
ちなみに宮中には鏡と剣の形代がちゃんと鎮座していて、鏡は賢所に、剣は玉と一緒に天皇皇后両陛下の寝室の隣に設けられた剣璽の間に安置されているとか。
この三種の神器についてそれぞれの由来を考察し、何故三種なのか、そしてその意味は何かを大胆に考察したのがこの本です。確たる知識がないので鋭い論旨とその結論には異論を挟むことが出来ませんが、通説(?単にこんなもんかなと感じていただけのこと?)とは違って、ある意味目からうろこなのですが、ほんまでっかと言いたくなる部分もあります。牽強付会と言うか独断と偏見で切りまくると言うかすこし古田武彦と似たような印象を抱くのですが、どうなんでしょう。邪馬台国は北九州にあり、卑弥呼の墓は宇佐神宮にあると断言されると、それはそうかもしれないけれどいろいろ議論はあるしな~となります。確か半村良の「闇の中の黄金」でも邪馬台国「宇佐」説だったけど、そうなるとSF小説のレベル?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/30/9787d22c50358681099661d818762cd4.jpg)
この中で草薙剣については、いつも散歩コースにしている熱田神宮が今年1900年祭なので余計関心があるのですが、いくつか実見記録があるとか。代表的なものは「玉籤集裏書」なのですが、どこまで真実かは定かでありません。この証言どおりなら、両刃の白銅剣となります。この草薙剣はヤマタノオロチの体内から取り出された剣ですが、そのオロチを退治した剣はどうなったのでしょうか。それは鹿島神宮(藤原氏の氏神です)の神宝(国宝です)となっているそうです。藤原氏はスサノオの子孫と言うことでしょう。
それにしてもヤマトタケルが東征に際し伊勢神宮で叔母の倭姫命から授けられのだが、大事な剣を忘れてしまって亡くなるのもなんだし、それをそのまま熱田神宮に祀るというのもなんでしょう。本来ならもう一度伊勢神宮なり朝廷に帰すべきではないでしょうか。そうならなかったのは、熱田神宮に祀られた草薙剣が、授けられた剣ではなく、「尾張氏」の神器だったからではないのか、渡来氏族・尾張氏がもともと保有していた氏祖伝来の「渡来の銅剣」で、熱田社はそれを祀る氏神社だったと言われると頭の中がどんどん混乱してしまいます。
それでは本当の草薙剣はどこにあるの?筆者によるとそれは内反り片刃の鉄製素環頭太刀で石上神社に収められ、後に禁足地から発掘された。
ちなみに宮中にある分身の剣は片刃直刀の鉄刀(推測ですが)で順徳天皇が伊勢神宮から取り寄せている。そうだとしたら何故朝廷は熱田神宮に祀られる剣を草薙剣として認めているのでしょう。それも公式に千年以上の長きに亘って。そこまで処遇しなければいけない尾張氏とはいったいなんだったのでしょう。大和朝廷との関係は?
熱田神宮は三種の神器の一つの現物を祀るにもかかわらず、社格としては伊勢神宮とは同格になりえない理由はそこにあると言われると、ことがことだけに確認しようもなく、なるほどと思うのですが、完全には納得できない気持ちが残ります。
もちろんこの本で主張していることは草薙剣の由来だけでなく日本という国家における三種の神器の持つ意味を深く考察しています。
鏡はまさに天照大神の依り代といわれるとそうかなと思いますし、勾玉は8つのうち4つがニギハヤヒの神宝で4つはオオクニヌシの神宝といわれると答えようがありません。
賛成しかねる部分もありますが、新しい知見も多く、よく分からないけどなんとなく説得力もあって知的興奮を覚えます。