怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「仏果を得ず」三浦しをん

2014-09-09 07:29:28 | 

文楽の世界なんて全く無縁で、これは幸か不幸か大阪の橋下市長が補助金を減らすというので注目されたことを知っているくらい。日本文化の宝というなら大阪氏なり大阪府という一自治体が補助して成り立っているというのもおかしな話と思っていたくらい。
それでも文楽を見た橋下市長が退屈だったから補助金は減らすという理屈は文化のすべてを自分が判定するみたいな感があり「何様ですか」と言いたくなりました。
この本はそんな「文楽」の世界を若手の太夫の眼を通して描いたものです。三浦しをんのニッチな職業紹介シリーズというものです。

補助金騒ぎで知ったのですが、文楽協会の三業(太夫、三味線、人形)の担い手たちは人間国宝といえども経済的にはあまり恵まれていない。ましてや若手では結構苦しい。そんな生活実態もさりげなく盛り込まれているのですが、名人級になるとご贔屓がたくさんいてそれなりに優雅に暮らしている。でもこれは所得としては捕捉されていないよね。
ところでこの小説、若手の健太夫の成長物語でもあるのですが、演目も幕開き三番叟から順番に女殺し油地獄や心中天の網島、仮名手本忠臣蔵へと自分のものにしていきます。
師匠の銀太夫の好色で万事に身勝手な振る舞いには笑ってしまいますが、芸に対しては弟子の成長を願い、真摯に取り組む姿には、この世界にはおりそうでたぶんいないのだろうなと思うのですが、魅力的です。三味線の相方の兎一郎の対照的にニヒルというか無愛想でいながら訳知りで芸には真摯な姿とともに小説を面白くしています。
それぞれの演目で健が語る人物にいかに感情移入して自分のものにしていくのか、そしてそれを言葉で語りあげていき人形に魂を入れていく。常識人としてみればなぜこんなことをするのか皆目分からないのだが、近松門左衛門が造形した人物にはそうしなければいけない必然がある。
女殺し油地獄の与兵衛には身分社会の中であらかじめ定めづけらた生への否定があった。だから与兵衛には心の底に悲しさやむなしさがあり色気がある。
安珍に恋い焦がれた清姫が真夜中に蛇体となって川を渡る、そこには「無間地獄に沈まば沈め」と踏み込んでいく情念がある。
心中天の網島の紙屋治兵衛は大阪の商家のボンボンで自分と他人を線引きし、勝手に序列をつけ、自尊心に振り回され、「物の数にも入らない」と思っていた女が、自分と同じように勘定と思考のある「人間」だった知る。その時はもう心中するほか道は残されていなかった。
仮名手本忠臣蔵の勘平はいい加減な男だが忠義を尽くす最後の手段、仇討に何としても参加しようとあがく。これと決めた一つの道を突き進んですべてを取り返そうとする。その結果の悲劇なのだが、腹を切りながら、それでも生きて生きていきたいと願う。
ちなみに題名の「仏果を得ず」はこの場面で勘平の最後のセリフ「ヤア仏果とは穢らわし。死なぬ、死なぬ。魂魄この土にとどまって、敵討ちの御供する」からきている。正直言って私、最初は何のことかさっぱりわかりませんでした。当然ながらこれを文楽の世界を書いた小説もわからず手にとってしばらく読んでから分かった次第。
近松門左衛門は江戸時代のがんじがらめの身分制度の中でその理不尽さ、自由への願いを奥底に秘めながら膨大な戯曲の中を書いていたのです。でもその時代の庶民にもその心はよく分かったからこそ支持され劇場を満員にしていたのでしょう。
全くの文楽には素人でしたが主人公の恋愛話を楽しみつつ、文楽の世界の内情も垣間見れ、演目の解説にもなっていて楽しむことができました。
ちなみに作中名古屋の芸術創造センターも出てくるのですが、今年も10月に文楽の公演があるそうです。ちょっと興味が湧いてきたところですが、この本を読んだだけで文楽の良さがわかるのでしょうか。ひねくれた高校生を一瞬で文楽の世界に引き込み魅了する名人芸を感得できたらと思うんですけどね…



コメント
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