怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「悪いのは私じゃない症候群」香山リカ

2015-10-09 21:01:28 | テニス
日本人は自虐史観だと言われていたように、元来必要以上に自分を責め、すぐに私が悪かったと謝りがちでした。
ところがいつの間にか「悪いのは私ではない」と他人に責任転嫁する人が闊歩するようになってきました。
著者が教えている大学の学生にも診察する患者の中にも必死に自分の正当性や責任のなさを強調する人が増えているみたいです。

この本では、著者が見聞きしたそんな実例の数々が上がっているのですが、
卒業論文をほとんど全部コピペして提出し、それを指摘されると逆切れする。ネットにある情報はみんなのもの、私は悪くない、こうなったのは教員や大学が悪いと主張する。学校は学生の人格を気づつけるような発言は慎むようになどというので教員はヘンに委縮して、おかしいことをおかしいということも遠慮がちになっている。おかしいことをおかしいと指摘され納得したら「私が間違っていました」と自らの非を認めて謝るのが社会的ルールだったはずなのに…
医療現場でも患者からの執拗で激しいクレームが増えてきて、「私が苦しんでいるのは病院や医者のせい」と病気や症状までを人のせいにしようとする。病気になれば「なぜ自分が!」と思うことは多々あるし、それが重篤なものであればあるほどやりきれない思いに苛まれてしまうのは容易に想像できる。誰かのせいにしないと心が折れてしまいそうになる。でもだからこそ自分として受け止めなくてはいけない面はある。それをすべて人のせいにすることはできない。
最近は「新型うつ」がよく話題に上るが、往々にしてこうなったのは会社のせい、上司のせいで自分の不調は特定の何かや誰かが悪いからと主張する。企業サイドは「悪いのはうちの仕組みに適応できない彼だ」とばかりに解雇をしようと思っているのだからますます頑なになる。鬱の症状があるにもかかわらず、言うべきことをはっきり主張するので、不満を募らせて直接会長なり社長にメールして職場内が余計ぎすぎすしてしまうこともある。
メールって簡単にできてしまって心理的バリヤーが低いんですよね。
スピリチュアルブームというのは、今のあなたが悪いとは言わないで、前世が悪いとか、宇宙の気が悪いとか言われると、今の自分の不都合を免責されることから多くの人に支持されているのでしょう。こうなったのは自分の責任ではなくて「前世の姿である戦国武将のせい」と言われれば、自分は責められることはない。そこで免責はされても現実の中で問題を解決していこうという意欲は出てこない。理不尽なことでもあきらめ現状に甘んじてしまう。あえて言えば現状逃避の麻薬みたいなもの…
心の病をすべて「あなたではなくて○○のせいなんです」と言ってしまうのはどうか。自分自身の心の中で起きている病気は自分の問題として引き受けないと効果的な治療に結びつかないというのは、説得力があります。
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