最近「西郷どん」を見ているからではないけれど、読み進んできた井沢元彦の「逆説の日本史」もたまたまというかいいタイミングで明治維新前後の巻になってきて、その派生ということではないけれど、この本を読んでみました。
因みに週刊ダイアモンドの2017ベスト経済書の第5位です。
明治維新の性格についてははるか昔に大学で学んだ経済学説史によれば講座派と労農派による激しい論争があったとか。明治維新の性格によって政治的行動指針が変わってくるので大きな論争になったのですが、今思うとマルクスの唯物史観が絶対で上部構造は下部構造に規定されるというテーゼによって世界を一直線に見ようとしていたと思います。
世界はもっと多様性に満ちているんですよね。
閑話休題。明治維新の性格はともかくとして、鎖国政策をとり太平の眠りをむさぼっていた日本は、アヘン戦争の情報を得ることによって西洋列強と嫌でも対峙しなければならない現実を知る。
ちょっと意外だったのですが、時の幕府は出来るだけ正確にアヘン戦争に関する情報を得ようとしていた。主なルートは朝鮮から対馬経由とオランダを通じた長崎経由のもので、幕府の入手した情報は老中、将軍まで上がっていた。当然情報は幕府内部だけにとどまらず広く国内に伝わり、アヘン戦争に関する危機感が幕末の志士たちを輩出することになる。
ところでこの本で最初に取り上げられているのは有名な志士ではなくて名前は聞いたことがある程度の「高島秋帆」。彼は西洋で最も進んでいた大砲を輸入し、分解模倣してレプリカを各藩に販売していた。しかもその資金を長崎での脇荷交易で得ていて外国貿易の重要性を認識していた。
従って彼はまさに命をかけて開国通商を訴えている。残念なことに時の幕府は右往左往し優柔不断な対応に終始していた。高島秋帆の先見性に満ちた主張を十分に生かすことはできなかった。
次に取り上げられるのは大隈重信。早稲田大学を作った人以外に彼は何をやった人か知らなかったのですが、維新の志士ではなくて諸外国列強との交渉において、その手腕を発揮して頭角を現してきた人。
一国を代表する責任ある対応を取ったことが認められて、維新政府の中での官僚あるいは政治家への道を歩んでいった。
明治維新を革命ととらえるのなら「革命とは実務だ」という言葉をかみしめてしまいます。
血気にはやって攘夷だ討幕だと言って時の幕藩体制を倒しても、そのあと日本を統治していくためには列強との外交交渉しなくてはいけないし、何よりも統治機構を構築して基礎となる財政を確立していかなければいけない。大隈は列強との交渉に対応していく中で、財政の重要性を理解sて日本に貨幣制度を確立し兌換券を発行しうる銀行を創設していった。
そのことは士族解体というまさに明治維新の革命主体の自己否定をもたらすのだが、西南戦争を始めとする士族の反乱を抑え込み明治政府はその痛みを伴う改革をやり切っていった。
具体的には士族に対して秩禄処分と授産政策が行われたのですが、時あたかも松方デフレ政策の時期と重なって死屍累々。武士の商法と言われて揶揄されたのですが、その中でも小野田セメントを創設した笠井順八のような成功例もあった。武士の商法と言われようと外国から技術を移転し産業を興していくには膨大な試行錯誤が必要で、失敗例も経験を蓄積するためのある意味、必要経費だったかも。
さらにこの本では組織イノベーションとしての財閥を肯定的に捉え、大きな役割を果たしてきたとする。三井、三菱の人材登用と多角的事業が近代産業への創造的対応として戦前の日本経済を大きく成長させていった。
最後は科学者の創造的対応として世界的な科学者としてだけでなく企業家としても成功した高峰譲吉。研究開発で成果を上げればちゃんと研究費を捻出できるようなビジネスモデルを構築した姿はすごい。同時代人としては野口英世の方が有名みたいですが、研究者としても人間としても高峰譲吉の方がスケールが大きいですね。
その後、理化学研究所の歴史と果たした大きな役割を大河内正敏の姿を詳述していますが、ほとんどの人は同じだと思いますが、このことは初めて知ったことばかり。ぜひ実際に読んでみてください。
一橋大学の経済学者の本ですが、近代日本がいかにテイクオフできたかを考えさせられ、その割には読みやすいので、300ページほどのハードカバーですが、比較的サクサク読めました。
ところで一緒に写っている「金利と経済」はスカスカ頭になった私にはかなり難しかったですが、アベノミクスの行く末について考えさせられました。
因みに週刊ダイアモンドの2017ベスト経済書の第5位です。
明治維新の性格についてははるか昔に大学で学んだ経済学説史によれば講座派と労農派による激しい論争があったとか。明治維新の性格によって政治的行動指針が変わってくるので大きな論争になったのですが、今思うとマルクスの唯物史観が絶対で上部構造は下部構造に規定されるというテーゼによって世界を一直線に見ようとしていたと思います。
世界はもっと多様性に満ちているんですよね。
閑話休題。明治維新の性格はともかくとして、鎖国政策をとり太平の眠りをむさぼっていた日本は、アヘン戦争の情報を得ることによって西洋列強と嫌でも対峙しなければならない現実を知る。
ちょっと意外だったのですが、時の幕府は出来るだけ正確にアヘン戦争に関する情報を得ようとしていた。主なルートは朝鮮から対馬経由とオランダを通じた長崎経由のもので、幕府の入手した情報は老中、将軍まで上がっていた。当然情報は幕府内部だけにとどまらず広く国内に伝わり、アヘン戦争に関する危機感が幕末の志士たちを輩出することになる。
ところでこの本で最初に取り上げられているのは有名な志士ではなくて名前は聞いたことがある程度の「高島秋帆」。彼は西洋で最も進んでいた大砲を輸入し、分解模倣してレプリカを各藩に販売していた。しかもその資金を長崎での脇荷交易で得ていて外国貿易の重要性を認識していた。
従って彼はまさに命をかけて開国通商を訴えている。残念なことに時の幕府は右往左往し優柔不断な対応に終始していた。高島秋帆の先見性に満ちた主張を十分に生かすことはできなかった。
次に取り上げられるのは大隈重信。早稲田大学を作った人以外に彼は何をやった人か知らなかったのですが、維新の志士ではなくて諸外国列強との交渉において、その手腕を発揮して頭角を現してきた人。
一国を代表する責任ある対応を取ったことが認められて、維新政府の中での官僚あるいは政治家への道を歩んでいった。
明治維新を革命ととらえるのなら「革命とは実務だ」という言葉をかみしめてしまいます。
血気にはやって攘夷だ討幕だと言って時の幕藩体制を倒しても、そのあと日本を統治していくためには列強との外交交渉しなくてはいけないし、何よりも統治機構を構築して基礎となる財政を確立していかなければいけない。大隈は列強との交渉に対応していく中で、財政の重要性を理解sて日本に貨幣制度を確立し兌換券を発行しうる銀行を創設していった。
そのことは士族解体というまさに明治維新の革命主体の自己否定をもたらすのだが、西南戦争を始めとする士族の反乱を抑え込み明治政府はその痛みを伴う改革をやり切っていった。
具体的には士族に対して秩禄処分と授産政策が行われたのですが、時あたかも松方デフレ政策の時期と重なって死屍累々。武士の商法と言われて揶揄されたのですが、その中でも小野田セメントを創設した笠井順八のような成功例もあった。武士の商法と言われようと外国から技術を移転し産業を興していくには膨大な試行錯誤が必要で、失敗例も経験を蓄積するためのある意味、必要経費だったかも。
さらにこの本では組織イノベーションとしての財閥を肯定的に捉え、大きな役割を果たしてきたとする。三井、三菱の人材登用と多角的事業が近代産業への創造的対応として戦前の日本経済を大きく成長させていった。
最後は科学者の創造的対応として世界的な科学者としてだけでなく企業家としても成功した高峰譲吉。研究開発で成果を上げればちゃんと研究費を捻出できるようなビジネスモデルを構築した姿はすごい。同時代人としては野口英世の方が有名みたいですが、研究者としても人間としても高峰譲吉の方がスケールが大きいですね。
その後、理化学研究所の歴史と果たした大きな役割を大河内正敏の姿を詳述していますが、ほとんどの人は同じだと思いますが、このことは初めて知ったことばかり。ぜひ実際に読んでみてください。
一橋大学の経済学者の本ですが、近代日本がいかにテイクオフできたかを考えさせられ、その割には読みやすいので、300ページほどのハードカバーですが、比較的サクサク読めました。
ところで一緒に写っている「金利と経済」はスカスカ頭になった私にはかなり難しかったですが、アベノミクスの行く末について考えさせられました。