この本が出版された時には結構話題になって書評にも取り上げられていたと思います。
著者の専攻は「教育経済学」。教育に一家言ある人たちからは忌み嫌われそうですが、日本の教育論にかけていた視点で、非常に説得力があります。
この本の冒頭に統計学者の西内啓の著書から引用してあるけど、「教育という分野に関しては、まったくの言っていいほどの素人でも自分の意見を述べたがるという現象がしばしば起こる」ので日本では一億総評論家状態。しかし、どのような教育がいいかは教育される本人の特性や能力、環境などの様々な要因によって左右されるもの。他人の子育ての成功体験を真似しても自分の子どももうまくいく保証はない。たった一人の個人の体験ではなく個人の体験を大量に観察することによって見出される規則性こそが大切なのです。
アメリカではお国柄なのか、教育政策を行うについては「科学的な根拠」が絶えず求められます。政策を行うに当たっては、原因と結果の因果関係が求められるのです。
よく混同されるのですが、因果関係と相関関係とは違います。
相関関係ではどちらが原因でどちらが結果かはわかりません。また、見せかけの相関と言いますが、第三の要因が隠れているかもしれません。(ここらあたりを理解するためには西内啓の「統計学は最強の学問である」をぜひご一読を。
因果関係を確かめるために、アメリカでは措置群と対象群にランダムに振り分けて一定期間観察して、その差が統計的に有意かどうかを調べます。教育の分野でそういった実験を行うことは日本では倫理的に許されないという感覚が強くてあまり行われていないのですが、アメリカでは多くの研究業績があります。
ではエビデンスに基づく子育てはどうなのでしょうか。
詳しくは読んでいただくとして、結論だけを書いていくと
学力テストや通知表の成績など(アウトプット)がよくなったらご褒美を与えるのと本読む宿題をやる学校にちゃんと出席するなどする(インプット)とご褒美を与えるとでは、どちらが学力を上げるのに効果があったかというとインプットにご褒美を与えられ子どもたち。
アウトプットにご褒美を与えられた子供たちはテストの点を取るテクニックに走り、わからないことを質問し、授業をしっかり聞くとか本質的な学力の改善に結び付く至らない。どうせれば成績を上げられるのかという方法を教える人が必要みたいということです。因みにご褒美は子どもの一生懸命勉強するのが楽しいという気持ちは失わせていないとか。
ところで子どもは褒めて育てよとよく言いますが、むやみやたらに子どもをほめると、実力を伴わないナルシストを育てることになるだけ。ほめ方についても子どものもともとの能力(=頭がいい)をほめると子どもは意欲を失い、成績が低下する!
ほめるときはもともとの能力ではなくて、具体的に達成した内容をあげることが重要だとか。努力を誉められた子供たちは悪い成績を取ってもそれは能力の問題ではなく努力が足りないせいだと考え、努力をして成績を伸ばすのです。
テレビやゲームが子供にもたらす負の因果効果はそれほど大きくなくて、1日1時間以内ならばテレビもゲームも問題ないそうですが、往々にして何時間も夢中になってしまうのでこれは負の影響が出てきます。
また親が「勉強しなさい」というのはあまり効果がないとか。すべて親が抱え込むのではなく、学校、塾、親族に頼ればいいそうです。
同級生からの影響についていえば、同じような学力の子どもたちを同じ学級に編成する習熟度別学級が全体の学力を押し上げるのに有効な政策だそうです。
教育を将来に向けた投資としてみるとどの段階に投資するのが一番効果的かというともっとも収益率が高いのは、子供が小学校に入学する直前の就学前教育!
人的資本(勉強だけでなくしつけなどの人格形成や体力、健康なども含む)への投資はとにかく子供が小さいうちに行うべき!
就学前教育への財政支出は雇用や生活保護受給率、逮捕率にまで影響を及ぼすので社会全体にも影響を及ぼし収益率が高い。
ところで就学前教育で改善されるのは学力ではなくて「非認知能力」これは一言でいえば「生きる力」、人生の成功のため特に重要なものは具体的には「自制心」であり「やり抜く力」。
少人数学級の議論も取り上げているが、少人数学級が学力を上昇させる因果効果はあるものの費用対効果は低い。教育を受けることの経済的な価値に対する誤った思い込みをただすだけで子どもの学力は上がる。少人数学級とか子供手当の政策目標は何で本当に効果があるのかよく検証しなくてはいけないものです。
検証というとよく「学力テスト」が取り上げられますが、これは学校教育の成果を見るためにはほとんど効果がないとか。「どういう学校に行っているか」と同じくらいに「どういう親のもとで生まれ育てられたか」ということが学力に与える影響が大きい。もしかしたら学力テストの県別順位は単に子どもの家庭の資源の県別順位を表しているにすぎないかも。加えてこのテストには私立の学校は参加していないので私立の学校の比率の高い東京、神奈川などは順位が低くなってしまう。学力テストの結果を学校名とだけ紐づけると、本来学校や教員が負うべきでない責任を彼らの責任にしてしまいます。もし公表するのなら家庭の資源を表す情報(生活保護率、就学援助率、学習塾の数など)も紐づけて公表すべきでしょう。
とは言っても教員の質も子供の成長に大きな影響を与えます。ではどうすれば教員の質を高めることができるのか?教員の給与を上げることが教員の質を高め子どもの意欲や学力の改善につながるということを示したエビデンスはあまりない。教員研修が教員の質に与える因果効果もないみたいです。如何すればいいかというのは確たるものはないのですが、教員免許は必ずしも教員の質を担保しているものではないので教員免許制度を変更して、能力の高い人が教員になることの参入障壁を低くすることが有力な政策オプションだそうです。まあ、大学の教員などは免許制度ではないですし、異能の人が客員教授とか講師をやっているのはよくあることですよね。
教育を議論する時にもきちんとデータをもとにしてエビデンスを示していくことが大切だとよくわかります。文章もわかりやすいですし、難しい数式などは一切出てこないので、教育に関心がある人は是非読んでください。
著者の専攻は「教育経済学」。教育に一家言ある人たちからは忌み嫌われそうですが、日本の教育論にかけていた視点で、非常に説得力があります。
この本の冒頭に統計学者の西内啓の著書から引用してあるけど、「教育という分野に関しては、まったくの言っていいほどの素人でも自分の意見を述べたがるという現象がしばしば起こる」ので日本では一億総評論家状態。しかし、どのような教育がいいかは教育される本人の特性や能力、環境などの様々な要因によって左右されるもの。他人の子育ての成功体験を真似しても自分の子どももうまくいく保証はない。たった一人の個人の体験ではなく個人の体験を大量に観察することによって見出される規則性こそが大切なのです。
アメリカではお国柄なのか、教育政策を行うについては「科学的な根拠」が絶えず求められます。政策を行うに当たっては、原因と結果の因果関係が求められるのです。
よく混同されるのですが、因果関係と相関関係とは違います。
相関関係ではどちらが原因でどちらが結果かはわかりません。また、見せかけの相関と言いますが、第三の要因が隠れているかもしれません。(ここらあたりを理解するためには西内啓の「統計学は最強の学問である」をぜひご一読を。
因果関係を確かめるために、アメリカでは措置群と対象群にランダムに振り分けて一定期間観察して、その差が統計的に有意かどうかを調べます。教育の分野でそういった実験を行うことは日本では倫理的に許されないという感覚が強くてあまり行われていないのですが、アメリカでは多くの研究業績があります。
ではエビデンスに基づく子育てはどうなのでしょうか。
詳しくは読んでいただくとして、結論だけを書いていくと
学力テストや通知表の成績など(アウトプット)がよくなったらご褒美を与えるのと本読む宿題をやる学校にちゃんと出席するなどする(インプット)とご褒美を与えるとでは、どちらが学力を上げるのに効果があったかというとインプットにご褒美を与えられ子どもたち。
アウトプットにご褒美を与えられた子供たちはテストの点を取るテクニックに走り、わからないことを質問し、授業をしっかり聞くとか本質的な学力の改善に結び付く至らない。どうせれば成績を上げられるのかという方法を教える人が必要みたいということです。因みにご褒美は子どもの一生懸命勉強するのが楽しいという気持ちは失わせていないとか。
ところで子どもは褒めて育てよとよく言いますが、むやみやたらに子どもをほめると、実力を伴わないナルシストを育てることになるだけ。ほめ方についても子どものもともとの能力(=頭がいい)をほめると子どもは意欲を失い、成績が低下する!
ほめるときはもともとの能力ではなくて、具体的に達成した内容をあげることが重要だとか。努力を誉められた子供たちは悪い成績を取ってもそれは能力の問題ではなく努力が足りないせいだと考え、努力をして成績を伸ばすのです。
テレビやゲームが子供にもたらす負の因果効果はそれほど大きくなくて、1日1時間以内ならばテレビもゲームも問題ないそうですが、往々にして何時間も夢中になってしまうのでこれは負の影響が出てきます。
また親が「勉強しなさい」というのはあまり効果がないとか。すべて親が抱え込むのではなく、学校、塾、親族に頼ればいいそうです。
同級生からの影響についていえば、同じような学力の子どもたちを同じ学級に編成する習熟度別学級が全体の学力を押し上げるのに有効な政策だそうです。
教育を将来に向けた投資としてみるとどの段階に投資するのが一番効果的かというともっとも収益率が高いのは、子供が小学校に入学する直前の就学前教育!
人的資本(勉強だけでなくしつけなどの人格形成や体力、健康なども含む)への投資はとにかく子供が小さいうちに行うべき!
就学前教育への財政支出は雇用や生活保護受給率、逮捕率にまで影響を及ぼすので社会全体にも影響を及ぼし収益率が高い。
ところで就学前教育で改善されるのは学力ではなくて「非認知能力」これは一言でいえば「生きる力」、人生の成功のため特に重要なものは具体的には「自制心」であり「やり抜く力」。
少人数学級の議論も取り上げているが、少人数学級が学力を上昇させる因果効果はあるものの費用対効果は低い。教育を受けることの経済的な価値に対する誤った思い込みをただすだけで子どもの学力は上がる。少人数学級とか子供手当の政策目標は何で本当に効果があるのかよく検証しなくてはいけないものです。
検証というとよく「学力テスト」が取り上げられますが、これは学校教育の成果を見るためにはほとんど効果がないとか。「どういう学校に行っているか」と同じくらいに「どういう親のもとで生まれ育てられたか」ということが学力に与える影響が大きい。もしかしたら学力テストの県別順位は単に子どもの家庭の資源の県別順位を表しているにすぎないかも。加えてこのテストには私立の学校は参加していないので私立の学校の比率の高い東京、神奈川などは順位が低くなってしまう。学力テストの結果を学校名とだけ紐づけると、本来学校や教員が負うべきでない責任を彼らの責任にしてしまいます。もし公表するのなら家庭の資源を表す情報(生活保護率、就学援助率、学習塾の数など)も紐づけて公表すべきでしょう。
とは言っても教員の質も子供の成長に大きな影響を与えます。ではどうすれば教員の質を高めることができるのか?教員の給与を上げることが教員の質を高め子どもの意欲や学力の改善につながるということを示したエビデンスはあまりない。教員研修が教員の質に与える因果効果もないみたいです。如何すればいいかというのは確たるものはないのですが、教員免許は必ずしも教員の質を担保しているものではないので教員免許制度を変更して、能力の高い人が教員になることの参入障壁を低くすることが有力な政策オプションだそうです。まあ、大学の教員などは免許制度ではないですし、異能の人が客員教授とか講師をやっているのはよくあることですよね。
教育を議論する時にもきちんとデータをもとにしてエビデンスを示していくことが大切だとよくわかります。文章もわかりやすいですし、難しい数式などは一切出てこないので、教育に関心がある人は是非読んでください。