kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

豊かさをいつまでも  天空の草原のナンサ

2006-01-29 | 映画
 モンゴル人気だそうである。別に観光施設があるわけでもなく、近代人/都会人からすれば不便極まりない土地に日本人が数多く訪れているらしい。どこまでも抜ける青い空、夜には満天の星が近くに輝き、昼には風と動物たちの草を食む音以外何も聞こえない草原は夜には完全なしじまとなる。移動式住居ゲルでの人々の暮らしはつづまやかで無駄がない。
 訪れる人にとって自然とともに暮らす人々の知恵と郷愁に憧れるのだろうが、アフリカや南米にも自然とともに歩む民の姿はあるわけで、モンゴルに惹かれるのは同じアジアの血を引く者としての親近感、ゲルの暮らしにも垣間見える文明化にほっとするからだろうか。
 そう、今やゲルで遊牧生活をする人は激減し、町に働きに出る者が多いそうだ。主人公ナンサも夏休み、冬休み以外は町で寄宿生活を送りながら学校に通い、ナンサの父親は「町に働きに出よう」と言い、母親が「ここの暮らしもそんなに悪くない」というシーンがある。近代化の波はどんどん押し寄せ、昔ながらの暮らしをずっと維持するのが難しくなってきている様も丹念に描かれている。
 ナンサは6歳。妹とまだよちよち歩きの弟がいる。6歳と言えば小学校1年生くらいだが、とてもよく働く。妹らと遊び、その世話をしながらも馬を乗りこなし羊追いはできるし、水運びや食事のお手伝いだって。そのナンサが見つけたのが頭部が真っ黒で斑のある犬ツォーホル(モンゴル語で「ぶち」なそうな)。この犬がカンヌ映画祭でパルムドッグ賞をとっただけあってとても愛らしく演技達者。ちょっと古いがのらくろを彷彿とさせる黒い顔で表情がよく見えないが、ナンサが自分をかわいがっているということと、それに応えようとしているのがよくわかる。
 とにかく豊かだ。小さな風力発電では電気はすぐ消えるし、テレビ、パソコンなど何もない。けれど、オオカミに教われた羊の皮は町で売れる貴重な現金収入、肉は食料に、牛や羊のミルクは飲料はもちろん、お酒やチーズになる。まったく無駄のない生活。現金がないと、インターネットなどを駆使して新しい情報を追い続けないと不安な日本人には信じられないシンプルさと智慧に満ちあふれているのを豊かだと感じるのは、現代人の単なる逃避かもしれない。そう遊牧民の生活だって厳しい。家畜がオオカミに襲われ、遊牧生活を捨てた人が残していった犬がオオカミの群れに加わり野生化しているのだ。だからナンサがツォーホルを拾ってきたとき、父親は絶対飼ってはならないと言うし、移動する際には近所の人に番犬として託そうとさえする。
 ラスト、一番幼い子が前の居住地に遺され、危うくハゲワシの餌食になるところをツォーホルが助け、ナンサはツォーホルとこれからも暮らすことができるといういかにも映画らしい結末である。春になるとナンサはまた町に行かなければならないし、両親は将来のためずっとナンサを町のおじさん宅に預けようかとも考えている。ナンサが自然とツォーホルと戯れられるのはそんなに長くないのかもしれない。
 モンゴル仏教の「輪廻転生」の考えがナンサを助けたおばあさんによって語られ、また遊牧民の生活は生態系の輪を乱さないありかたそのものでもある。家畜が草を食み、糞をするとそこに新たな植物が芽生え、またその家畜も移動していくのであるから。
 本作は「らくだの涙」に続くモンゴル人監督ビャンバスレン・ダバーの手によるドイツ映画。ダバーは言う。「私の願いは古いものと新しいものが互いに学びあい、それぞれを尊重しあって共生してゆくこと」だと。いつまでもいつまでもモンゴルにナンサがいてほしい。
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本家本元の魅力 レニングラード国立バレエ団「白鳥の湖」

2006-01-29 | 舞台
「白鳥の湖」は久しぶりに見た。今回は昨年10月に開館したばかりの兵庫県立芸術文化センターでしかも、前から2列目がとれた。やっぱりバレエは舞台のそばで見るのがいい。レニングラード国立バレエ団の長期日本公演のたった2日の関西での公演の1日目。もちろん振り付けはプティパ/イワノフ版である。
 あまりにも有名かつ幾度となく上演されているので筋立てはともかく、本作はやはりコール・ド・バレエの美しさが大きな魅力の一つだろう。それも昨年シュトゥットガルトバレエ団の公演と比べて感じたのだが、歴史の古いロシアのバレエ団であるからか団員も多かろうし、身長がそろっているのだ。もちろん日本人のそれより全体的に大柄ではあるだろうが、西洋のバレエ団はわりとコール・ド・バレエでも身長が不揃いで、そもそもその体格故もあって、時としてバラバラに見える。が、レニングラード国立バレエ団のそれはぴたっと揃って見えたのだ。そして、織りなす群舞も大きい白鳥、小さい白鳥と組み分けられ、実に優美そして形式美にあふれている。
 ジークリフト王子を演じたのはもちろん美形のドミトリー・シャドルーヒン、オデットおよびオディールは貫禄十分のオクサーナ・シェスタコワ。シャドルーヒンはこれはも北欧系の端正な容姿で王子役をするために生まれてきたような雰囲気を醸し出しているなら、シェスタコワは同団のほとんどの主要作品(「眠りの森の美女」のオーロラ姫、「ドン・キホーテ」の森の女王、「ラ・シルフィード」のシルフィードなど)の主役を張っているだけあってその表情、演技力は申し分ないし、シャドルーヒンよりずいぶん年上に見えるほど落ち着いている。そして、世界で一番有名、上演回数もおそらくトップの落ち着いた本作ではリフトがあまり見られないのがかえってよい。前述のシュトゥットガルトバレエ団の「ロミオとジュリエット」では情熱的な若い悲恋物語とはいえ(バレエは全部そうだって? かも)、少しリフトが過剰だと思えたからだ。たしかに派手なリフトの連発は時に嘆息もするが、コール・ド・バレエが魅力の「白鳥の湖」ではあまり大仰なリフトはパ・ド・ドゥでも似合わない気がするからだ。
 そして、本作で一番好きなのは第2幕、4羽の白鳥が手を携えて踊るパ・ド・カトル。頭と足しか動かせないのに、見事にそろった方向性、足さばきにはいつも驚嘆する。「白鳥の湖」をCDで聞いているといつもこの2幕目の軽快な旋律が楽しみで、あのクラシック・チュチュから出た8本の足が自在に動き回る様が目に浮かぶようでとても楽しい。脚線美とはこのパ・ド・カトルのためにある言葉のようにも思える。
 堪能した本公演であるが、基本的なのであろう4幕構成が、2幕目と3幕目が合体、4幕目の王子がオデットのために自死、悪魔のロットバルトも滅ぼされる3幕目として少し短い気がしたが、いろんな演出があるのであろう。これからの観察課題だ。
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