kenroのミニコミ

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ドイツもまだ戦争は終わっていない 「僕たちは希望という名の列車に乗った」

2019-06-15 | 映画

刑事フォイル。イギリスのテレビ放映されたドラマで日本でもBSで放送された。これにいたくハマった。フォイルは戦争中、地方都市の警視であったが、警察を辞めた後は戦後諜報機関の捜査員となる。放映された時は「刑事フォイル」だが、原題は「Foil’s war」、「フォイルの戦争」である。であるから、フォイルが経験、見聞きした戦争の実相が深く、丁寧に描かれているのがドラマの魅力である。戦争には戦前、銃後も含む戦中、そして戦後があって、初めて戦争そのものを語ることができると思う。戦争というと戦中の出来事、戦闘や銃後の被害、空襲や様々な人的被害、生活苦などが描かれるのが常であるが、戦後も重要である。というのは、まさに戦中、誰がどのように行動したか、しなかったか、その思惑は、その背景とその後の影響は、と戦争が終わっていないことを直視せざるを得ないからである。ナチスの罪責をいまだに問うドイツをはじめヨーロッパの姿勢が顕著だろう。

そのナチスの暴政に抵抗したりしたため、戦中には必死の経験をして、生き永らえた人たちが政権の中枢にある東ドイツ。ソ連の完全な支配下にあり、その政治体制に異議を唱える者、従わない者は全て反革命、ファシストである。1956年10月ハンガリーで報道の自由、言論の自由、自由な選挙、ソ連軍の撤退などを求める学生らのデモが始まった。11月1日にはナジ・イムレ首相がハンガリーの中立とワルシャワ条約機構からの脱退を表明し、ソ連に反旗を翻した。「ハンガリー動乱」である。しかし11月4日にソ連は軍事侵攻し、2500人のハンガリー人が犠牲になった。再びソ連の支配下となったハンガリーはもちろん、東ドイツでも民衆蜂起を「反革命」「ファシストの扇動」と決めつけ、徹底的にプロパガンダを行う。そのような時代にあって、たまたま訪れていた西ドイツの映画館で民衆蜂起のニュースを見たクルトとテオ。東ドイツの教室で「犠牲になった民衆に黙祷を」との提案を多数決で受け入れたクラスでは歴史の授業の最初に2分間の黙祷を捧げるがこれが思いもよらぬ方向に。首謀者探しに躍起になる学務局員、国民教育大臣まで出てきて、首謀者が分からなければクラス全員に卒業試験を受けさせず、クラスは閉鎖するという。クラスは多くの場合肉体労働者になるしかない現状に反して、大学進学というエリートコースだったのだ。

生徒一人ひとりを詰問する学務局員は生徒の親世代、すなわちナチスの時代を生き抜いた彼らの過去を徹底的に暴き、動揺させる。黙祷に反対していたエリックは、父親はナチスに抗し英雄死したと信じていたが、ナチスに寝返り、ソ連側に処刑されていたことが明らかに。「首謀者」のクルトは父が市議会議長という名門だが、父はこの処刑に居合わせていた。クルトの親友テオの父は1953年の民主化運動に参加したために知識層から、過酷な製鉄所勤務になっていたことも分かった。エリックが苦しさのあまり、クルトを首謀者だと白状したため、クラスは窮地に。クルトをはじめ、クラスの大半は「首謀者は自分」と告げ、西ドイツへの脱出を試みる。史実だそうだ。

映画を見ていると東から西へ検問はあるが、簡単に移動できたことが驚きだ。そうベルリンの壁ができたのが1961年、その前の話である。しかし、西側陣営に入り経済成長する西ドイツに対し、東側=ソ連以下社会主義陣営側の結束を示す必要があった。東ドイツで有名な国民密告=諜報組織、シュタージは映画には出てこないが、学務局員が生徒に密告を促すあたり、とても怖い。そしてその密告の材料にされたのが前述の「戦争中本当はどう過ごしたか、振る舞ったか」である。

冒頭に戦争とは、戦後も描かれて初めて戦争そのものを語ることができると書いた。戦後もきちんと伝えなければ、戦争を総括したことにはならないのである。本作と同時期、統合後のドイツで旧東ドイツ出身の労働者が、将来や展望のない現在に不安を抱え、窮屈だったが皆が平等だった(と記憶を上書きする)東ドイツ時代を懐かしむ映画「希望の灯り」も上映されている。そもそも戦争が東西分裂を生み出し、戦後の苦しみも生み出した。戦争に終わりはない。

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