kenroのミニコミ

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シベリアを知る、ヒロシマを伝える 四國五郎展

2019-06-17 | 美術

実は四國五郎という画家は、私が関わっている家庭科の男女教習をすすめる団体が母体となった雑誌(家庭の男女教習は1993年中学校で、94年高等学校で実現)「We」を応援するWeの会主催の「Weフォーラム(筆者もずっと参加している。「We」はフェミックス(http://www.femix.co.jp)発行)in広島」で永田浩三さんのお話を聞いて初めて知った。永田さんは、元NHKのディレクターで広島での経験も長い。お話には広島市で清掃作業員として働きながら、自己が日常使う清掃用具や広島の風景などを太い、濃い筆致で描いてきた職業画家ではないガタロさんも同席された。ガタロさんが最も影響を受けたのが、日中戦争に従軍し、敗戦後シベリアに抑留され、その間3歳下の弟を原爆で失った四國五郎である。原爆を描く画家といえば、丸木位里、丸木俊が浮かぶが、四國五郎の画業も見過ごすことのできない迫力だ。

四國五郎の名前は知らなくても峠三吉はもっと知られているだろう。「ちちをかえせ ははをかえせ」の『原爆詩集』の挿絵は四國五郎である。四國五郎は、シベリア抑留中の記録を豆日記に記して靴下などに隠し、飯ごうに仲間の名前を刻み、上からペンキを塗って日本に持ち帰った。当時、ソ連より抑留時代の記録を持ち帰ることは厳に禁じられていたから、凄まじい執念と機知である。後にその記録は「わが青春の記録」として大部にまとめられている。その四國が抑留から解放され帰国した1948年、最も可愛がっていた弟が18歳で原爆で亡くなったことを知る。原爆を実際に経験していないのに原爆によって肉親を奪われ、住み慣れた街を破壊された四國。四國は経験していない原爆の図を描き始める。

大阪大学総合学術博物館で開催されている「四國五郎展 〜シベリアからヒロシマへ〜」(7月20日まで)は、四國の足跡を順を追って伝える。初年兵として1944年10月に広島の第五師団広島西部第10部隊に入営した四國は、間も無く中国戦線に送られ、関東軍に入隊。45年8月9日、長崎に原爆が投下されたその日にソ連軍が参戦、四國は抑留されることとなる。広島の同じ部隊にはあの福島菊次郎がいたが、福島は部隊中に怪我をして中国行きなどをまぬがれた。抑留の3年間で仲間はどんどん斃れていく。その様もスケッチし、四國自身、大病を患い、命の危機もあったが、それ故入院し生きながらえることができた。一方、同じく抑留されたのに日本軍の上下関係そのままに横暴に振る舞う上官への反発から、民主化運動が起こる。当時の社会主義思想からソ連の思惑もあったに違いないが、四國はそれにのめり込んでいく。広島に戻り、弟の死を知った四國は、反戦運動や原爆の記憶の継承にずっと取り組む。詩人でもあった四國は、「辻詩」(同じ画面に画と詩を描いた。画は四國、詩は峠が書いたが、四國が書くこともあった)で戦争と原爆の実相を描き続けた。

転機と言えるものがあるとすれば、1974年。一人の老人がNHK広島放送局に画用紙に書いた絵を持ち込んだ。原爆の凄まじい体験をどうしても伝えたくて、サインペンで書いたという。原爆投下からまもなく29年。その老人、小林岩吉の圧倒される話に、当時の広島局員が番組にして、市民が描いた体験談、原爆の絵を広く募集することになったのである。その番組に深く関与したのが四國である。6月8日の放映には絵を持ち込んだ小林と四國が登場した。悲惨な体験、負の記憶を募集なんてできるだろうかと四國は消極的であったという。しかし幾度もの放送を経て、翌75年にかけて市民から寄せられた絵は2225枚。展覧会ではこれらも紹介されている。

四國の基本姿勢はもちろん反戦平和である。原爆という弟や広島だけで20万人の命を奪った大量殺戮兵器のみならず、1960年代のヴェトナム反戦運動にも関わる。四國を最も有名にしたのは1979年に出版された絵本『おこりじぞう』である。原爆で火傷を負った女の子を助けられなかった地蔵がその無念さ故、怒った表情になって地蔵は頭が丸い石と胴体に別れてしまったというお話だ。その挿絵を担当した四國は「こわい絵本を書くことは難しい…こわいものなど、描きたくないのだが、こわいものを地上から無くすためには描かなければならない」とあとがきで述べる。

「ヒロシマを伝える」四國の生涯のライフワークを伝える本展をぜひお勧めしたい。なお、シベリア抑留経験後、日本での住民運動や抑留被害者救済運動に携わることになった父親の聞き書きを丹念に著した小熊英二さんの『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』(2015 岩波新書)は必読である。

(四國の伝記やエピソードは全て『ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』(永田浩三 2016年WAVE出版)を参考にさせていただいた。)

 

 

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