『We』誌(フェミックス http://www.femix.co.jp)で連載中の「ジソウのお仕事」は内容によっては途中涙で読み通せないほど、重く、切なく、そしてやさしい。もともと家庭科の男女共習を目指して発刊した『We』はもう30年以上購読しているし、恥ずかしいが、自身も連載をもたせてもらったこともあった。しかし、「ジソウ」は最も好きな連載である。
ジソウすなわち児童相談所。乳幼児虐待で子どもが亡くなると、児相がどう関わっていたのか、関わっていなかったのか問題にされる。「児相は何していたんだ!」とその地と直接関係のない人からの非難、抗議の電話なども多いという。しかし少なくともジソウを読んでいると、何もしていないわけでないし、むしろそこまでやっても、と絶望感に苛まられそうな事案が多い。筆者の青山さくらさんの日常はそうである。
親が覚せい剤などの薬物の常習で育児力がない、父、あるいは近親者からの女児(男児)に対する性暴力、娘に売春も含め犯罪行為をさせる親、学校にほとんど行っていないので学習や自尊感情など、憲法で規定された「個人の尊重」「教育を受ける権利」などを奪われ、劣悪な生活環境の子どもたち。もう、先進国?で世界一?安全?安心?な国と思えない現実。でも、児相に繋がっただけでもこの子ら(親も)は「よかったね」と言いたくなる。繋がらなかった例が、大阪であった幼児置き去り死事件であり、繋がっても届かなかったのが目黒虐待死事件とかなのであろう。それほどまでに繋がるのが大変で、繋がっても親も子も安心な状況にとは、早々うまくいくものではないのだろう。だから児相を責めて、その人員不足、専門性不足(児童福祉司が足りない、養成が追いつかない、など)、全体的なフォローを議論しないのでは何の解決にもならないのである。
青山さんの語りは実は淡々としているように見える。いや、そうでなければ、およそ耐えられない案件が続くからだ。小学生で妊娠や、父親の子どもを産んだ子、ゴミ屋敷住まいで臭くて教室に行けない子、しかし、父が誰か分からない子を妊娠する母親も。誰も悪くないと思う。娘に性虐待する父は悪いに決まっているが、その父に頼っている母や子、悲しみは増幅してこそ、救いを探すのも難しくなる。けれどひどい事態を一旦受け止めて、そこから、どう改善していくか。青山さんはジソウの仕事を「おせっかいな介入」と呼んでいるが、そのおせっかいが人数も権限も限りのある児相だけに負わせているのは私たち民主社会に生きる市民の責任だろう。児相の職員の多くは逃げていないし、考え、悩んでいる。現場と報道と実態のミスマッチングがもどかしい。結局繋がりきれず、音信も取れない関係もあるし、立ち直ったのかどうか、不明な親子もいる。けれど諦めない。それが児相の役割であり、ジソウの信念であるから。
単行本になる際に、青山さんの連載に加えて、児相の現場にいて、「なくそう! 子どもの貧困」全国ネットワーク世話人も務める明星大学常勤教授の川松亮さんの丁寧な児相現場、統計的解説、児相のこれから、も付け加えられた。高級官僚による引きこもりの息子殺害事件の裁判が報じられている。家族の問題は、どこにでもあるし、恵まれない子どもの問題や一握りの特殊な親の問題では絶対ない。そして、日々の鬱憤を公務員バッシングで晴らして終わる問題でないし、それでは絶対解消しない。
筆者が新刊を心待ちにしているコミックに『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ 小学館)がある。児相とケースワーカー。現場は微妙に違うが、重なる部分も多いと思う。どちらもこの国に住まう人、すべてが支えるべき、関わるべき仕事だと思う。(フェミックスは小さな出版社です。直接注文してあげてください。http://www.femix.co.jp)