第3月曜日は新聞、雑誌、段ボールなどの資源回収日なので日曜日の晩から、1階に積み上がる。私も新聞などを結わえてせっせと下ろすのだが、段ボールで多いのがアマゾンの空箱だ。結構小さいものでもアマゾンは段ボール箱で配達されるのではないか。私はアマゾンのヘビーユーザーではないが(年に1、2回?)、宅配の便利さを享受しているので業界にコンシュマープレッシャーをかけているという点では同じだろう。
カンヌ映画祭でパルム・ドールを取った「私は、ダニエル・ブレイク」で引退したケン・ローチがメガホンを再び取ったのには理由がある。「ダニエル」で取材したフード・バンクに訪れていた多くの人がギグエコノミー(雇用者の呼びかけの時だけ従業員に仕事がある携帯)やエージェンシー・ワーカー(インターネット経由で単発の仕事を請け負う労働環境)といった従来の不安定雇用の一言では言い表せない新しい搾取を見たからだ。ネットやメールのなかった時代、ローチが昔撮った「リフ・ラフ」や「マイ・ネーム・イズ・ジョー」に出てくる建設労働者なども不安定雇用には違いなかったが、実働以外は一切支払わないとか、契約違反はすぐ罰金、といった終始時間も身体も管理されている現代よりましただったのではないかと思える。
宅配ドライバーとして登録したリッキーは、フランチャイズで個人事業主。雇われているわけではない。しかし、仕事量は多く、子どもの学校に呼び出されて休もうとしたら「代替を自分で探せ。さもなくば罰金だ」。妻アビーも移動時間は賃金を支払われない、細切れの時間で家庭をまわる訪問看護。いくつもの家庭をまわるのに自家用車を使用していたが、リッキーが持ち込み車両の方が得だとバンを買うため売ってしまう。アビーはバスで移動し、ますます家にいる時間がなくなる。両親が家にいる時間がずっと少なくなり、夕食はいつも子どもの携帯に入れる「レンジでチンして」との留守電。優等生だった息子セブは学校をサボり、警察沙汰に。12歳の娘ライザはおねしょうなども。家族を守るために始めた仕事で家族はバラバラに。そしてリッキーは配達中に強盗に遭い、重症を負う。しかしドライバーを束ねるボスからの電話は「宅配専用端末は賠償してくれ」。優しく穏やかだったアビーもついにキレる。汚い言葉でボスを罵るのだ。直後「介護をしているのにこんな汚い言葉を使って」と嗚咽する。休むと稼ぎはなく、罰金が増すばかりのリッキーは包帯だらけの身で出勤しようとする。家族は止めるが、ボロボロの体でハンドルを回し振り切るリッキー。映画はここで終わる。ローチでおなじみのアンチ・エンディングである。
コンビニエンスストアの店主が自殺したニュース。自殺まで至らなかったが、人手が確保できないと24時間営業をやめて本部に反旗を翻した店主。いや被用者の身でも保険業界や日本郵便、その他さまざまな営業活動で「自爆営業」は当たり前である。しかし、高い営業成績をあげた人に合わせろ、努力や工夫が足りないからだ、と攻め立てる。営業目標に限らない、持ち帰りも含めて残業が多い長時間労働になるのは、その人の働き方、能力に問題があると。営業も含めて労働に関する個人に求められるノルマが高すぎるのだ。古くはOJTもあったが、現在では即戦力ばかり求められる。筆者の友人がなるほどということを言っていた。「冷蔵庫も洗濯機も家電は取説をほとんど読まなくてもすぐに使えるのに、パソコンはなんでこんなに苦労するのか」と。そう、現代人はパソコンの内容を冷蔵庫の即適応力に求められているのだ。冷蔵庫は故障すればすむが人間は電化製品ではない。しかし、それを資本の論理が求めているだけではない。消費者がそれを求めているのだ。ホームセンターで客に罵倒された者が、コンビニでモタモタしている従業員(正規雇用では絶対ない外国人も多い)に対しクレーマーと化していることもあるのだ。
「家族を想うとき」は邦題で、原題は「Sorry We Missed You」。「ごめんなさい、あなた(たち)を愛しく思う」というそのままの意味もあるだろうが、宅配業者が投函する不在連絡票の定型文言でもある。原題のままでよかったのではないだろうか。冒頭「搾取」と書いたが、搾取には資本家が労働者から利益を搾り取るという本来の意味もあるだろうが、ここでは家族関係や人間関係の破壊、収奪も含むだろう。ローチの射程は、取り戻すべき家族(血縁はもちろん関係ない)の修復にあると思える。