ナチスドイツ時代の非道や虐げられた人たちの悲しみを描く映画は枚挙にいとまないが、「シンドラーのリスト」を頂点とする実際的な暴力を描くものから、その時代を生きた人たち それは被害者も加害者もそして、傍観者、被害者であり加害者である微妙な立ち位置、意識の人まで 多彩な人たちを描いてきた。そしてここにきて、戦後ナチスの罪を暴こうとした人たち、それに抗う人たち、長い沈黙の故を語る人たちの作品にシフトしてきた。
「ハンナ・アーレント」(2012年)や「顔のないヒトラーたち」(2014年)は言わばそれらナチスの犯罪に向き合わなかった戦後責任としての戦争責任追及映画と言える。「否定と肯定」はそのような作品群の中でも描かれた時代が1990年代とつい最近である。
「『ガス室』はなかった」。日本では雑誌『マルコポーロ』が廃刊にいたった事件では同誌の発売が1995年1月17日という阪神・淡路大震災と同日であったため、日本での騒ぎは海外のユダヤ人団体等からの指摘があってからとされる。しかし、その前年にこの「ホロコースト否定」訴訟がおこっていたことからすると、その当時ナチスの蛮行否定論者やアーヴィングのようなヒトラー崇敬者が一定論壇を沸かせていたということであるだろう。
ユダヤ人学者デボラ・リップシュタットの著作とその出版社を「名誉棄損」と訴えたのが後に言う「歴史修正主義者」のデイヴィッド・アーヴィング。しかも訴えた裁判所は、名誉棄損ではないとの立証責任を被告側に課する法制度のイギリス。そして、イギリスの法廷では事務=戦略策定弁護士(ソリシタ)と法廷弁護士(バリスタ)と明確に役割分担がなされている。学者の矜持と自身の良心を持って、アーヴィングと直接対決したいリップシュタットは弁護団の方針で法廷での直接証言も止められ、ホロコーストの生き残りである人たちの証言も採用しないという。弁護団と激しく衝突するリップシュタット。
アーヴィングの「嘘」は、彼が歴史的証言を意図的に誤訳、誤導したから。それはアーヴィング自身が反ユダヤ、差別主義者としての主義主張に裏打ちされたものである。学者としての客観的解読姿勢ではないからと、攻撃する弁護団の法廷戦略に最後は納得するリップシュタットであったが、裁判長は最後の最後になって「原告が信念をもって、(歴史を)そう解釈・著述している場合は表現の自由の範疇では?」。さて判決は。
現在、朝日新聞が「従軍慰安婦」の吉田証言についてその真実性を否定し、それを前提とした報道については撤回・謝罪したことから、日本の右派勢力が「朝日によって日本が貶められた」旨の裁判を起こしているが、もちろんすべて一審で敗訴している。これら裁判の詳細を承知していないが、おそらくは従軍慰安婦の強制性があったかなかったか?などという(ここではもちろん「強制性」の字義が問題となる。)中身の話に入ることなく、公器である新聞が誤報を認めて謝罪したからといって、すぐに原告らの名誉棄損といった損害賠償請求権が発生するかどうかという、原告適格などの訴訟要件の段階で蹴られたのであろうと思う。が、リップシュタットの裁判はかなり違っている。そこではホロコーストの真実性に対する学者の表現の自由をも問題になっているからである。日本では、大江健三郎と出版社を被告とした「百人切り裁判」が、その歴史的証言等も認定材料とされ、軍人の子孫である原告の名誉を棄損していないと大江側の完全勝訴で終わっている。しかし、通常リップシュタット裁判のような「中身」に入る裁判は考えにくく、現に、アメリカでは「(慰安婦)少女像」建立を名誉棄損と在米日本右派勢力(幸福の科学アメリカ支部が資金源ともいう)が起こした裁判はスラップ訴訟(企業等の資金・権力を持つ側が、その反対勢力を黙らせようと多額の損害賠償をふっかける裁判)であるとの認定を受けてさえいる。
本作の解説では憲法学者の木村草太が「「あ、これ知っている。」リップシュタットの裁判の詳細を調べたことがあるという意味ではない。もっと生々しく「いま、これを体験している」」と述べている。木村は「荒唐無稽な主張が、いつの間にか一般の人にも広がってゆく。日本でも、南京大虐殺など、日本軍の残虐行為を否認する主張についてよく見られる光景」とも言う。「従軍慰安婦」否定論者も「南京大虐殺」否定論者も、安倍政権応援団と重なる。そして、「教育勅語」を諳んじ、「安保法制とおってよかったね」(木村の指摘するように憲法学者の9割が「違憲」との立場)と幼稚園児に言わせる当時の森友学園名誉校長は安倍昭恵氏。真偽は不明だが、昭恵氏を通じて安倍首相から森友は現金を受け取ったと森友学園理事長は主張している。
日本でもリップシュタット裁判は必要か。そうでもしない限り、この国を覆う歴史修正主義を打ち壊せないものなのか。しつこくナチス映画=戦争責任を問い続ける欧米の映画に学ぶことはできるのだろうか。
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