kenroのミニコミ

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ホロコーストを忘れない「アンネの追憶」

2012-05-12 | 映画
上映の間、実は「沖縄」のことを考えていた。「沖縄」と記すか、オキナワと記すか、はたまたOKINAWAと記すか。ヤマトの人間にとっては沖縄であり、ヤマトやウチナ、はたまた日本語ネイティブでない人にとって分かりやすいのはオキナワ。そしてアメリカから見える、基地を置いている地はOKINAWAである。
「沖縄」のことを考えていたと記したのは、ほかでもない。日本にとって「沖縄」の意味とはなにかということである。それは40年前日本になった(「復帰」した)沖縄であり、65年以上前の戦争中には日本によって殺された沖縄である。
持って回った言い方をしたのは、ドイツにとってホロコーストとは、過去のドイツ、国としてのドイツはもちろん、ドイツ民衆自身が、自国民を殺戮した歴史を思い浮かべるからである。そして、日本。この国におけるホロコーストは沖縄である。し、ドイツがホロコーストをしつこく自省しているようには、日本は沖縄を自省しているようには到底思えない。
現在の沖縄県に在日米軍基地の74%が集中していることをここで書きたいのではない。そのような実態にいたった、65年以上前のヤマトのウチナに対する姿勢、思想を忘れてはいけないと思うのだ。そう、米軍上陸前に、皇軍が沖縄の民に手をかけたことを、自死を強要したことを。
「アンネの追憶」を見て沖縄への追想を重ねたのは、映画の世界で、ドイツのホロコーストを描く商業作品は繰り返し制作されているのに、日本では一部のドキュメンタリーを除いて沖縄を描いた作品は皆無という現実を実感したからだ。ドキュメンタリーというのは作品の巧拙もあり、多くの人が見るものではない。しかし、ひめゆりをはじめ、1945年3月の米軍上陸から6月の日本軍陥落までなにが起こり、人々がどのように生きたか、あるいは死んでいったかが明らかになっているにもかかわらず、沖縄の実相を伝える映画(商業ベースに乗る作品)は生まれていない。文化の貧困や政治の未熟というのはたやすい。しかし、明らかなのは、当時の日本軍はほかでもない皇軍であったという事実が、今日まで映画として描かさせることを躊躇させているに違いない。
アンネ・フランク映画であるのに沖縄のことばかかり書いてしまった。アウシュビッツに送られた父オットー・フランクだけが生き残り、アンネらが死んでしまった訳は、オットーが語るように「なぜ」だかわからない。しかし、祖国を持たなかったユダヤ人が(バルフォア宣言はさておき)、ドイツをはじめヨーロッパの国々でシチズンとして生きる基盤を確立していたのに、ユダヤ人というだけで隔離、逮捕、殺戮された歴史を、ドイツは少なくとも日本よりは直視しようとしている証しとして本作を位置づけられると思う。
一方「なぜ」に至らない現実を沖縄は示している。いや、「なぜ」を言ってはだめなのだ。知らない、考えない、想像力をはたらかせないことで沖縄はホロコーストとは違うし、日本はそのような非道に手を染めたことはないと思いたいの一心で今日まで来たのだから。

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