kenroのミニコミ

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ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に④

2017-09-17 | 美術

テレビやパンフレットなどでヨーロッパの街の風景が魅力的に紹介される際、路面電車がよく使われる。たいていはウィーンかチューリッヒと思われるが、ヨーロッパの主要都市は路面電車が市民の足であり、観光客の移動手段であることが多い。ドイツもそうである。さすがにベルリンは、街中から少し外れた旧東ベルリン地区を走っているが、路面電車が市民の足兼観光客の足であるのは大都市ミュンヘンもフランクフルトも、そしてカッセルもそうである。

カッセルで5年に一度だけ開催される現代アートの世界展ドクメンタ(今年はドクメンタ14)。今年はギリシアのアテネでも先行開催されたが、ギリシアとドイツでの開催自体が現在のヨーロッパが直面する問題を著し、そして向き合おうとしている。ギリシアは債務超過で、EU離脱(放逐)かとも危惧された。一方EUのけん引役であり最優等生国であるドイツは、あまりにも多い難民に、受け入れを表明したメルケル首相の支持率低下にさえ陥り、ナチスの悪夢を経験したにもかかわらず移民排撃の右翼政党の台頭さえゆるしている。

ドクメンタはまっこうからこれら政治的課題に向き合う。まるで社会的発言を包含しないアートは、アートではないというように。実はドクメンタはその発祥からアートにおける政治的立場を明らかにした企画ではある。1955年に第1回が開催されたわけは、ナチスドイツの時代、表現の自由が制限され、政権が好む芸術だけが認められたのに対し、アートがアート本来が持つ批評精神に特化したからであるという。第1回ではナチス政権の嫌った印象派の作品が多く展示されたが、次第に政治的メッセージの強いコンテンポラリー作品が中心になるようになった。言うまでもなく、ギリシアは中東やアフリカやからの難民受け入れの最前線であり、その後衛はドイツ。難民と債務問題。ヨーロッパが抱える2大課題である。そこで、ドクメンタの作家はどのようにそれを訴え、あるいは表現したか。

ビデオ作品に多いのが、難民の現実を想起させるものや、その難民と原住民との齟齬をあらわした作品。また、現代の細分化されたパーツ主義とも言える個の不在に疑問を投げかける作品など。

カッセル滞在最後の夜に、イタリアンのお店に行った。給仕の仕切り役とまみえたイタリア人(と本人が言っていた)と少し話せた。筆者の英語力では不正確な趣旨だけになるが、「今年のドクメンタは政治的メッセージが強く、批判も強い」「そうですか。アートは批判もあると思うけど」。しかし、ドクメンタがその出自ゆえ、「政治的」であることは避けられないし、そうあるべきであろう。アートはそもそも政治も含め、現状批判を表現する手段であるから。そういう意味では、ドクメンタを最左翼として、日本で本年さかんに開催された〇〇芸術祭の非政治性にはがっかりさせられる。むしろ、政治的メッセージを発する作家は排除したのではないかとも思えるくらい。日本の芸術祭は最右翼か。

言い過ぎたかもしれないが、ドクメンタの政治性は、芸術が弾圧されたアンチから出発したことを忘れてはならない。なぜ今回のドクメンタが「14」なのか。5年ごとに開催されるドクメンタはナチスの時代から70年を超えた。その戦後、5年ごと開催されたということは14で70年である。これは筆者の勝手な想像で正解ではないかもしれない。しかし、ホロコースト、第2次大戦を実際に経験した世代が亡くなっていく現在、アメリカ・トランプ政権をはじめ排外主義を煽る者たちの伸長は無視できない。ドイツでも簡単に「右翼」と言いきれないかもしれないが、AfD(ドイツのための選択肢)が支持を伸ばしている。そのような差異許容、寛容主義ゆえに存在価値のあるアートからの異議申し立てはむべなるかなとも思える。

ナチスの時代や、ヨーロッパが悲惨に見舞われた時代をいつまでも、しつこく直視する姿勢。それは、どこぞの国が戦争法(安保法制)をとおすため歪曲して持ち出してきた「積極的平和主義」(ヨハン・ガルトゥング博士)の理念からは遠いことは間違いない。ドクメンタに見られるアートの役割もそういうことであるのだろう。(The Parthenon of Books:Marta Minujin)

 

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