5年半ぶりの海外、初めて香港に行った。2021年、コロナ禍に開館した現代アートの美術館M +(エムプラス)がお目当てだ。ここ数年新たに開館したものも含め行きたい美術館はまだまだあるがあれだけ訪れたヨーロッパは円安、原油高(燃料サーチャージ)でとても行けない。香港ならそれより安価、4時間ほどで行ける。しかし行ってみるとその物価高に驚いた。それも飲食代金がとても高い。日本が低賃金・非正規労働者を背景に安すぎるのかもしれないが。
さて、M +。新営の美術館は常設展を持たないケースも多いが、コレクションが半端ない。現代アートに特化しているため、コレクションもドローイングや立体、インスタレーションのほか、「現在」を想起させるアーキテクチャ、プロダクツ、ファッションといったデザインをキーワードに世界を縦横無尽に横断する。それは、アジア的混沌の象徴でもある香港であるからこそふさわしいプレゼンテーションであるかもしれない。人類の歴史とともに始まったアートが、一部の限られた層のためのアートか、そうではなく全体、全人類のためのアートか、あるいは、アートが奉仕するのかアートに奉仕するのかといった答えのないアートそのものの歴史をまざまざと見せつけられるようだ。そう、デザインという観点で見ると現代の私たちの周囲はアートで埋め尽くされている。都市空間から交通、電気製品、通信、デジタル環境に至るまで考え尽くされているのだ。だがその考えは尽きない。だから、全体の規模の割に映像作品が少ないのは意外であり、また観覧しやすい。というのは、ドクメンタなどの世界規模のアートフェスティバルでは時に長尺の映像作品が多く、とても1日で回れるものではないからだ。
都市や建築、工業製品などは馴染み深く、親しみも感じられる。それは、成長過程にあった日本で生み出されたものも多いからだろう。丹下健三の建築、ダイハツミゼット、ソニーのウオークマンなどどれもモノづくりで日本を誇った証言者であり、遺言者でもある。しかし、デザインはいずれ陳腐化し、機能はどんどん高性能に上書きされる。と同時に、人が好むデザインとは時に普遍的であり、地球の歴史から考えるとほんのミリ単位に過ぎない人類の歴史では変化とはさほどのことでもないのかもしれない。そのような「悠久」から遠い位置に存するように思える「モノ」で人類史、アート史を語ることが許され、面白いのが現代の美術館の存在意義でもあるだろう。だからここではモノに魅せられ、囚われた現代人たる自身を振り返りつつ楽しむことが、このM +の廻り方である。
映像作品が少なく観覧しやすいと述べたが、展示数はとんでもないのでじっくり回ればとても時間は足らない。そして企画展は中国出身のファッションデザイナーのマダム・ソングで、もともとモードには無知の自分はそれほど時間をかけなかったのが幸い?した。マダム・ソングは中国共産党とも良好な関係を築いていたのでこのような展示に至ったが、現在の中国・習政権に批判的とされる艾未未(アイ・ウェイウェイ)は、北京オリンピックの功労者であるのにいくつかの作品が外された事実は、中国という体制下でのアート空間の限界と厳しさも感じられるだろう。
ロッカーが有料なのは不満だが、シニア入場料は半額というのは嬉しい。ぜひまた訪れたい空間である。ただし香港に再び行くことがあればだが。(ちょうど日本人「虹のアーティスト」)靉嘔(Ay-O)のミニ企画もしていた。)
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