「話す」「語る」といった英単語を思いつくだけ挙げてみても、talk, tell, speak, mention, referなど幼稚な英語力でもいくつも浮かぶ。「主張する」や「告発する」なども入れるともっと多いだろう。しかし、ここではsayなのだ。つまりそれまでは、長い人で20数年も「言えなかった」のだ。
世界で拡がった主に性暴力、性犯罪被害女性らの告発、真相究明、責任追及の運動“#Me Too”の発端となったハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの悪行とそれを実名で告発する勇気を描いた、調査報道したニューク・タイムズ紙実在の記者2人と報道現場の物語である。
キャリー・マリガン演じるミーガン・トゥーイー記者は産後うつに苛まされていた時期にこの厳しい案件を抱え、ゾーイ・カザン演じるジョディ・カンター記者は一つ間違えば危険と隣り合わせの取材を敢行する。そして映画では2人の私生活も描かれ、スーパーウーマンではない生身のフツーの記者や社内での強固なバックアップ態勢、編集長のぶれない姿勢も描かれる。そう、ウォータゲート事件を暴いた往年の名作「大統領の陰謀」(1976)では、男性記者の背景、家庭が描かれることはなかった。40年以上経って報道の現場やそれを描く側に女性がきちんと進出してきた証である。不十分ではあるが。
映画にはワインスタインの姿はチラリとしか出てこないし、暴行現場の再現も一切ない。薄暗いホテルの廊下を映し出すだけで、どんな恐ろしいことが行われていたかを示すには十分な演出なのだ。日本でも男性映画監督の性暴力を告発した動きの中で、インティマシー・コーディネーター(セックスシーン、ヌードシーンや性的連想を含む場面で演者に寄り添い、その尊厳を損なわないよう配慮する専門職)起用の動きが広がったが、震源地のハリウッドではずっと進んでいるという。そして、性暴力を告発するのに、その暴力場面は必然でないことが本作で明らかになった。本作のような実話に基づく作品も含めて、暴力場面の再現はサバイバーの負担やフラッシュバックの危険性さえある。その狙いが奏功してか、被害者であるアシュレイ・ジャッドは本作に実人物として出演している。
ハリウッドの醜聞とNYタイムズ社というアメリカ社会そのものを描きながら、マリア・シュラーダー監督はドイツ出身、マリガンは英国俳優だ。マリガンには出世作「17歳の肖像」(2009)をはじめ、カズオイシグロの名著「私を離さないで」(2010)、そしてサフラジェット(女性参政権運動)を描いた「未来を花束にして」(2015)と好もしい作品が目白押しだ。トゥーイーは敵役だったと思う。
本作の出来とは関係なく、少し残念なことが2点。連邦議会の中間選挙の趨勢やインフレに伴う大幅な物価上昇などに注目が集まり、アメリカでは興行的にはあまり成功しなかったそうだ。#Me Tooは世界的な動きなのだから、アメリカ以外での成功を祈る。
そして、#Me Tooの範疇に入るかどうか分からないが、自分自身、苦い思い出がある。「残念」とは違うかもしれないが、それを決して忘れないことが、自分なりの#Me Tooに対する贖罪の回答だと考えている。
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