やはり1月のこの時期にベネルクスを訪れるものではない。閉館中、模様替えで一部閉館、改修中の美術館が多く、展示を十分に見ることができなかったからだ。今回ベネルクスを選んだのは、前回訪れたときパリでの乗り換えのトラブルもあってブリュッセルに着いたときとても疲れていて十分に見られなかったことがあったからだ。そしてアムステルダムでも国立ミュージアムはあまりの人の多さに辟易してしまい、レンブラントの「夜景」もゆっくり見られなかった。
そして今回。国立ミュージアムはそれこそ見学者もまばらで「夜景」はじっくり見られたが、同館は大規模な改修中でほんの一部の仮設展示のみ。つまり狭い部屋に「夜景」を押し込めた以外ほとんどの作品が見られなかったのだ。とても残念。正直言って前回訪れた時はネーデルランド、フランドル美術のことをあまり知らなかったために人の多さくらいで見るのをあきらめてしまったのだ。それが今回あの時よりは知識も溜め込んで、勢い込んで行ったのに。もちろん「夜景」以外にもフェルメールの「手紙」「ミルクを注ぐ女」などの超有名作品は見られたが、圧倒的に数が少なく「堪能」とまではとても言えなかった。返す返す残念。国立ミュージアムはレンブラントなどバロック絵画はもちろんのこと、近代/現代美術も充実しているのに今回は一切展示なし。こういうこともあると気をとりなおして隣のゴッホ美術館へ。
こちらは改修中ということもなく、普段通りに開館。であるから1月だというのに来館者も結構多かった。ゴッホについては多くのことを語るまでもないし、以前書いたこともあるが(「狂気」だけではない等身大のゴッホ
http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/ac3e00544965b7189cd1d0507e6e4476)「狂気の」ゴッホ像ばかり喧伝されている多くの日本のゴッホ展にあって、ゴッホの「全体」像を知るにはやはりゴッホ美術館である。信仰に生きようとあがき、パリで多くの画家仲間に触れ、影響を受け、ゴーギャンとの出会い、同居そして破局。精神を病んだゴッホはサン・レミの施療院で初めてかもしれぬ心穏やかに自然と向き合うだけの画題に出会うが結局は自死。とこんな風に解説されることも多かろうゴッホの足跡を丹念にたどることができるのがここ。彼の死後、それも弟テオの死後評価されたためか作品は散逸しており、必ずしもアムステルダムに有名作品が多いわけではないが、静かにゴッホの画業と向き合える。
最後に今回も訪れたアンネ・フランクの家。展示が以前(前回はナショナリズムとは?を訪れた各国各人に問いかけるすばらしいものであった)と変わり、ちょっと意外だったがわずか13歳でナチスによって囚われ命を落としたアンネの生活を体感するのには十分な空間。シーズンは早くから並ばないと入館できない混雑さだが、今回はもちろんすぐ入れた。
アンネ・フランクの家には来館者が自由に思いを綴られる雑記帳がある。「過去への想像力が問われている」と記した。(写真はゴッホ美術館)
そして今回。国立ミュージアムはそれこそ見学者もまばらで「夜景」はじっくり見られたが、同館は大規模な改修中でほんの一部の仮設展示のみ。つまり狭い部屋に「夜景」を押し込めた以外ほとんどの作品が見られなかったのだ。とても残念。正直言って前回訪れた時はネーデルランド、フランドル美術のことをあまり知らなかったために人の多さくらいで見るのをあきらめてしまったのだ。それが今回あの時よりは知識も溜め込んで、勢い込んで行ったのに。もちろん「夜景」以外にもフェルメールの「手紙」「ミルクを注ぐ女」などの超有名作品は見られたが、圧倒的に数が少なく「堪能」とまではとても言えなかった。返す返す残念。国立ミュージアムはレンブラントなどバロック絵画はもちろんのこと、近代/現代美術も充実しているのに今回は一切展示なし。こういうこともあると気をとりなおして隣のゴッホ美術館へ。
こちらは改修中ということもなく、普段通りに開館。であるから1月だというのに来館者も結構多かった。ゴッホについては多くのことを語るまでもないし、以前書いたこともあるが(「狂気」だけではない等身大のゴッホ
http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/ac3e00544965b7189cd1d0507e6e4476)「狂気の」ゴッホ像ばかり喧伝されている多くの日本のゴッホ展にあって、ゴッホの「全体」像を知るにはやはりゴッホ美術館である。信仰に生きようとあがき、パリで多くの画家仲間に触れ、影響を受け、ゴーギャンとの出会い、同居そして破局。精神を病んだゴッホはサン・レミの施療院で初めてかもしれぬ心穏やかに自然と向き合うだけの画題に出会うが結局は自死。とこんな風に解説されることも多かろうゴッホの足跡を丹念にたどることができるのがここ。彼の死後、それも弟テオの死後評価されたためか作品は散逸しており、必ずしもアムステルダムに有名作品が多いわけではないが、静かにゴッホの画業と向き合える。
最後に今回も訪れたアンネ・フランクの家。展示が以前(前回はナショナリズムとは?を訪れた各国各人に問いかけるすばらしいものであった)と変わり、ちょっと意外だったがわずか13歳でナチスによって囚われ命を落としたアンネの生活を体感するのには十分な空間。シーズンは早くから並ばないと入館できない混雑さだが、今回はもちろんすぐ入れた。
アンネ・フランクの家には来館者が自由に思いを綴られる雑記帳がある。「過去への想像力が問われている」と記した。(写真はゴッホ美術館)
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