ヨーロッパ近代彫刻の雄と言えば、まずロダンを思い浮かべると思う。ではロダン以降、特に20世紀を代表する彫刻家とは誰であろうか。
印象派のルノワールやドガ、後期印象派の影響色濃いフォービズムのマティスなど彫刻を手掛けた画家も多い。マティスは20世紀になってからの評価が高いし、平面に限らず陶器など多作のピカソも彫刻を制作している。しかし、20世紀の彫刻家と言えばブランクーシやボッチョーニ、ザッキンが考えられる。ただ、「20世紀の」という場合、ここでは第2次大戦後は視野に入っていないと思う。だから、戦後の活躍の方が想起されるジャコメッティやマリーニ、アルプは容易に思い浮かばない。そして、東西に分断されていたため、その作品が西側に知られるようになるのに時間のかかったエルンスト・バルラハやケーテ・コルヴィッツになるともっと知られていないと思う。実は、長々といろんな彫刻家の名をあげたのには理由がある。ピカソがもっとも信頼を寄せていた彫刻家といえば、フリオ・ゴンザレスであり、ここには登場しなかった「20世紀の」彫刻家足り得るからである。
ゴンザレスは、ピカソと同じカタルーニャ地方の出身。金工職人の家に生まれ、父が早くに亡くなったため、兄らとともに家業を継いだが、一家でパリに移住。そこでピカソに出会い、高く評価される。一家を支えるため、溶接工として働いたことが、後の制作に大きく寄与することになる。それまでの彫刻が、金属を使用するといえばその素材、加工法はロダンの系譜でブロンズであった。ブランクーシやアルプ、リプシッツはブロンズ以外の秀作もあるが、当初はブロンズ作品であった。そして、ロダンの時代の青銅のブロンズから、ブランクーシやアルプのように光沢のあるブロンズに発展したものであり、ゴンザレスのように鉄を制作で使いこなした者はいない。ゴンザレスは溶接の技術を得て、鉄にアートを咲かせた。
歴史によれば、金が尊ばれる時代以前、紀元前、鉄がもっとも貴重な鉱物資源であった。金や他の鉱物資源が鉄より高価であるのは確かだが、鉄が加工に優れ、安価ゆえに入手しやすい素材として、工業素材としての有用性を確固たるものとなった。ブロンズはそれで使いこなす技術がいる。しかし、鉄も美術作品として顕現させるには技術が必要だ。ゴンザレスは溶接技術で、鉄という工業素材に息吹を与え、その冷たく、固いだけのイメージを変質させたのだ。
例えば、鉄と真鍮を使用した花シリーズ。菊を鉄で表したり、花弁をひとひら、ひとひら鉄で制作した。しかし、花のような柔らかいものの典型との距離というより、見せるイメージの固さとは裏腹に、ゴンザレスは柔らかさ、親しみやすさを、むしろ鉄に求めたのではとも思える。抽象彫刻は、難解であるとともに、造形的な面白さ故にときに柔らかく、温かさをも感じてしまう。アルプの彫刻は曲線ばかり、楕円や球形の多用ゆえに柔らかい雰囲気を醸し出しているが、ゴンザレスのそれは直線や方形が多いにかかわらずやさしい。
大きな戦争をくぐりぬけた美術家たちは、なんらかの形で大量殺戮、市民や近しい友人、家族らが殺される戦争そのものに反対の意思表明をしてきた。ピカソのゲルニカは、スペイン内戦中、共和国軍を支援したドイツ軍のゲルニカへの空爆に対する抗議であったし、ザッキンは瓦礫と化した街、イコール多くの命が奪われた戦争そのものの非人道性を厳しく問うていた。
鉄に魅せられたゴンザレスは、ピカソやザッキンのように直接的な戦争反対の作品を表しはしなかったが、繰り返し制作された「モンセラ」シリーズは、明らかにスペイン内戦によって、後に帝国主義の戦争に巻き込まれたスペインの、被害をまともに受けた一介の市民、農民、非戦闘員らの怒りと苦悩、諦観を現したものであった。そしてカタルーニャは言葉を禁止されるなどフランコ政権によって徹底的に弾圧された。
ときに抽象は具象を凌駕する。ゴンザレスの彫刻に対面していると、固い鉄が、柔らかな人間、感受性を奥深く表しているようで、とても温かく迫ってくるのだ。(叫ぶモンセラのマスク)
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