kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・琵琶湖疎水に国軍の父と言われた「山縣有朋の篇額」

2018年04月14日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座

藤尾橋から見える、山科疎水の「諸羽トンネル東口」を後にして・・・


「小関超え」の分岐点に向かいます。


曇り空に、若葉の緑が映えて癒してくれてます・・・


琵琶湖疎水第1トンネル西口(藤尾側)に
国軍の父と言われた「山縣有朋」の篇額があります。

文 字:廓其有容(かくとしてそれいるることあり)
拝毫者:山縣有朋(やまがた ありとも)
意 味:疎水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている

※ 山縣有朋(1838~1922)は、長州藩の武士で明治以降は軍人で政治家。
NHKの大河ドラマ「西郷どん」の時代に、欠かせない登場人物です。


少し行くと、琵琶湖疎水第1トンネルの出口部があります。
そして山縣有朋が書かれた「廓其有容」の文字が見えました。

廓其有容
悠久をたたえ、悠然とした疎水のひろがりは大きな人間の器量を表しています。

●琵琶湖疎水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治23(1890)年に第一疎水が完成しました。

●疎水工事のなかで、もっとも難しかったのは、長等山(ながとやま)を貫く第1トンネルで、トンネルの出入口(三保ヶ崎・藤尾)と竪坑(シャフト)から堀進められました。竪坑とは、地表から垂直に掘り下げた坑道でです。

●竪坑から、大量の水が湧き出し、工事は困難を極めましたが、トンネルは明治22(1889)年に開通しました。ほとんど人力だけで掘られた全長2,436メートルの第1トンネルは、当時日本で一番長いトンネルとなりました。(説明板より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

京都に東山を借景した、山県有朋の別荘 「無鄰菴(むりんあん)」があります。
無鄰菴は疏水の水をとり入れた、三段の滝,池,芝生の池泉廻遊式庭園です。
疎水繋ぎで、無鄰菴にも行きたくなりますね。(^_^;)))

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都・山科疎水(琵琶湖疎水... | トップ | 京都三大祭・王朝絵巻が繰り... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座」カテゴリの最新記事